
資料整理していて思い出し見つけたのでアップしておくことにした。今回、鹿児島、宮崎両県の古墳探訪で日本最南端の前方後円墳を訪れた。しかし、それは大隅半島にあり、今回アップした当該古墳は薩摩半島指宿に所在するので探訪することはかなわなかった。
弥次ヶ湯古墳位置
6世紀後半から7世紀前半にかけての築造で、大和政権の影響を受けた隼人族の王墓とみられる若干20m未満、それでも周溝を巡らす円墳である。薩摩半島での発見は当該古墳が初めてである。これらのことから当該古墳がどれだけ貴重なものかが判ると言うものだ。最南端の円墳ということもそうではあるが。
資料を整理していたら新聞の切り抜きが出て来たのでアップしておこう。古墳と言う文字の付くものでは日本最南端の古墳であるということが書かれてある。そうだな、何処か頭の隅にあったのだが・・・うーむ。

川の水は透き通っている。綺麗だ。


吾平山上陵は、岩屋の陵で、神武天皇の父である天津日高彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊と母である玉依姫命の御陵である。入り口から約500mの参道を静々と身体が勝手に動いて行くにはびっくりだ。さて、日本書紀によれば「久しい後に天津日高彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊は西洲の宮でおかくれになった。それで日向の吾平山上陵に葬った。」とある。ところが古事記にはそのような記事が載ってないのである。
日向と言えどもこの地は鹿児島県大隅半島のど真ん中に位置する。8世紀の初めに薩摩国、大隅国が分離されたが、志布志湾岸は依然として日向国であったのだからこの所在地を日向と言ってもいいのであろう。
賢明なる読者諸氏は既にご存じであろうが御陵は此処だけでなく参考地として鵜戸神宮近くにもあることをご存じであろう。










