豊後森から出発し、恵良から分岐する宮原(みやのはる)線を走り、肥後小国までの26,6kmを疾駆したキハ07の姿である。この線には阿蘇釣駅があり、当時は九州最高地点の駅であった。ついでに付け加えさせてもらうけれど、我輩の自転車での九州一周の第一日目に泊ったところが宮原線の町田駅であった。43年も前だがな。
8620形である。総数にして672両、大正3年から昭和4年まで量産された名機となった。旅客列車300トンを牽引して平坦線を90キロのハイスピード疾駆した。当時では驚異的な能力を持っていた。その容姿は英国風のエレガントな蒸気機関車であった。ついでに付け加えさせていただくと、昭和44年10月の長崎国体での天皇皇后両陛下の行幸時、松浦線を48627(本機)28629(補機)の重連でお召を牽引したのである。