
草いきれが伝わってくるだろう。

環湟の跡があり、外堤を持ち、西都原古墳群中唯一横穴式石室を持つ。このスタイルを誰が考えたのだろうかな。
「この古墳でいきましょうか」「おー、これは斬新だな。この築造案でいくべきだ」と埋葬予定者は言っただろうな・・・
県道172号の側道に入ってみた。その道のために犠牲になった古墳があった。ある古墳は移築され整備されているのだがこれはそう言うわけにはいかなかったようだな。しかし、古墳探訪者としてはあるところにある古墳に行くのは当たり前で、「おー、こげなとこにも古墳があるやないか。見つけた見つけたぞ」の方が興奮するよな。それで来た甲斐があったというものだろうな。