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街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

水町遺跡 (福岡県)

2024-08-22 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

水町遺跡 (福岡県)

 

 

遠賀川流域古墳公開時にはボランティアの方々が迎えてくれる。六世紀半ばから七世紀前半くらいが全盛期であったろう。目の前を南から北へ滔々と流れる遠賀川を上手く利用しただろうな。
横穴墓群を見るのは福岡県北では珍しいかもしれないが、近くには古月、垣生公園内などで見ることが出来る。小さな円墳が4基あるのだがな。少し手を入れて頂ければと思うのは我輩だけではあるまい。

 

水町遺跡位置

 

当該ブログの記事は令和6年8月14日から21日までである。

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福岡県大任町周辺 (福岡県)

2024-08-13 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

福岡県大任町周辺 (福岡県)

 

 

残念なことに大任地区にある古墳についてはあまり、いや殆ど知られていないと言うのが現状で案内も説明もないのである。御多分に漏れず神社創建のためか古墳が削られているのが見て取れるだろう。小形の前方後円墳であったようでこうして横穴式石室を持っている。彦山川があばれ川だったことからこの周囲にある古墳や横穴墓は皆丘陵上にある。
またその彦山川を利用して遠賀川に出、響灘に出ていただろう。

 

丸山古墳位置

 

当該ブログの記事は令和6年8月1日から12日までである。

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伊方古墳 (福岡県)

2024-07-31 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

伊方古墳 (福岡県)

 

 

遠賀川流域古墳公開時(年に二度4月 10月)に見学できる。この地区にはこの一基のみだが大型の円墳(径 34m)であり、石室など見事なものだ。6世紀後半から7世紀初頭に築造されただろう。緩斜面が拡がるこの地域で弥生時代から栄えたようなのだが、その系列の有力者か。惜しむらくは他に古墳を見ないのが残念である。

 

伊方古墳位置

 

当該ブログの記事は令和6年7月30日までである。

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福丸古墳群 (福岡県)

2024-07-20 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

福丸古墳群 (福岡県)

 

 

 福丸一号古墳 の後背地の山中に広大に広がる。群集墳が綺麗に残されている。素晴らしい古墳群である。50基ほどの円墳が集中する奥津城である。全てが大きな石室を持つ。中には目を見張るものもあることに驚きを隠せない。最大級のものは福丸一号墳(これも場所を確定させ、写真もアップしているので参照してもらいたい。)恐らくは六世紀初頭に始まり七世紀初めくらいまでに営まれたのではないか。ここは面白いぞ。次から次へと石室を持った古墳が現れるのだから。ここをみたらもう円墳は見ないでもいいかな。夢にうなされるかも。ははは。そんな訳ないか。

 

福丸古墳群位置

 

当該ブログの記事は令和6年6月29日から7月19日までである。

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大分宮(だいぶ宮) (福岡県)

2024-06-20 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

大分宮(だいぶ宮) (福岡県)

 

 

神功皇后三韓征伐より帰還され、12月14日応神天皇を筑紫で産まれた。時の人はその産処を名づけて 宇美(宇美八幡) と言った。新羅を討った翌年2月 穴門豊浦宮 に移られ海路より京に向かわれた。と日本書紀に記されている。宇美から穴門豊浦宮までの経路は書かれていない。
筑紫風土記には経路が書かれており周辺地域の地名の由来もそうなのだろう。さて、前方後円墳であるが全長40m程で、主体部が判然としない。早い段階であれば4世紀終りから5世紀初めには築造されたと想像するが・・・その域を出ないな。

 

大分宮(だいぶ宮)位置

 

当該ブログの記事は令和6年6月10日から19日までである。

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戸山原古墳 3号墳

2024-06-09 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

戸山原古墳 3号墳

 

 

1号墳の脇、しかも現在のレベルよりも低く、現状では地下に所在している。1号墳発掘の時に天井石が検出された。複室構造で床面には石が敷き詰められている。墓道も長い。径15m程か。1号墳よりも以前に築造されていることが判るので6世紀中頃から後半にかけてが築造時期だろう。周囲には古墳の痕跡が多く当該地域が首長クラスの者の奥津城だったのだろう。その後北側崖に横穴墓が多数造られることになる。

 

戸山原古墳 3号墳位置

 

当該ブログの記事は令和6年5月29日から6月8日までである。

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戸山原古墳 周辺

2024-05-28 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

戸山原古墳 周辺

 

 

戸山原古墳に通うときにその脇を通っていたので気にはなっていた。古墳であることの核心はあったのだが、川崎町の埋文担当者に確認したところ「古墳なのですが 発掘調査はしていません」と言う答えである。
現状は墓地として利用されているからそれも無理な話である。
まあしかし畑の所有者に断りを言って近くまで行って核心が確信になったということである。径10~15m程の円墳で横穴式石室を持っていたようだ。らしき石材が横たわっている。

 

周辺古墳の位置

 

当該ブログの記事は令和6年5月23日から27日までである。

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戸山原古墳 公開 2015-10-17 (福岡県)

2024-05-22 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

戸山原古墳 公開 2015-10-17 (福岡県)

 

 

2010年から始まった古墳公開は、4月、10月の年に2回行われる。遠賀川流域古墳公開として 王塚古墳、竹原古墳、沖出古墳 等それらの仲間になった。ある会場から戸山原古墳の説明に来て欲しいと連絡の入ることもあった。また、戸山原古墳に行くとボランティアの方が説明しようとするのだが・・・必ず埋文担当者が「そちらの方には説明しなくていいですよ」と声がかかる。ボランティアの方はキョトンとする。周囲が忙しい時は我輩が説明する役に回る。

母は椅子に座ってニコニコして見ている。我輩唯一の理解者だからな。

 

戸山原古墳位置

 

当該ブログの記事は令和6年5月10日から21日までである。

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戸山原古墳 公開 (福岡県)

2024-05-09 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

戸山原古墳 公開 (福岡県)

 

 

戸山原古墳公開の記念すべき日は2010-10-16である。これは遠賀川流域古墳公開(王塚古墳 竹原古墳等)の仲間になったのである。秋日好天を絵にかいたような日となった。母子で参加した。1年9ヵ月足繫く通ったものだ。オープンテープカットに参加して頂きたい旨あったのだが生憎土砂降りで中止せざるを得なかったのである。
母曰く ほんと雨男やね と・・・ははは。そう言った母は7年前に他界した。我輩の唯一の理解者だった。

 

戸山原古墳位置

 

当該ブログの記事は令和6年4月26日から5月8日までである。

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戸山原古墳 公開前 (福岡県)

2024-04-25 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

戸山原古墳 公開前 (福岡県)

 

 

何度通っただろう。毎週1度は必ず訪れたからな。それに完成して利用可能になると町長以下関係者によってテープカットを執り行うと言っていた。そこに関係者の一人として参加してもらいたい旨の申し出があった。喜んで参加すると言ったのだが・・・前日から土砂降りが続いて中止だと・・・我輩は雨男である。母も妻も子供達も教え子も言う。「先生、先生は日にちを決めないで下さい」「なんで」「先生が日にちを決めると雨が降るんですよ」「そんなことはないぞ」「いや駄目ですよ」・・・うーむ。

 

戸山原古墳位置

 

当該ブログの記事は令和6年4月10日から24日までである。

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