街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

妙徳寺山古墳(山口県)

2018-08-02 00:10:00 | 山口 古墳フォトチャンネル

妙徳寺山古墳(山口県)

 


 

厚狭地方における首長を埋葬した小形の前方後円墳である。4世紀末期から5世紀初頭に築造されたものと思われる。西方の小山の頂に長光寺山古墳が築造されているが、長光寺山古墳が先行しているが恐らくは同地域の首長の系統であろう。両古墳とも前方後円墳である。



妙徳寺山古墳(山口県)位置

 

当該ブログの記事は平成28年(2016)6月10日から15日までである。

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長光寺山古墳(山口県)

2018-08-01 00:10:00 | 山口 古墳フォトチャンネル

長光寺山古墳(山口県)

 

 

残念ながら案内看板などどこにもない。別にそんなことは気にもしないがな。ただここまで歩いて行くのだが・・・これが古墳探訪だと言う気持ちで発奮しなければならん。この古墳は山口県下で最古級で、4世紀中頃である。竪穴式石室からは仿製三角縁神獣鏡、鍬形石が出土している。また、厚狭川を挟んで向かう小山の頂には妙徳寺山古墳が4世紀末に築造されている。恐らくは同一系統の首長墓であろう。



長光寺山古墳(山口県)位置

 

当該ブログの記事は平成28年(2016)6月3日から8日までである。

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和久一号古墳(山口県)

2018-07-31 00:10:00 | 山口 古墳フォトチャンネル

和久一号古墳(山口県)

 

 

道の駅が横に作られているのでこの古墳は訪れる客で賑やかである。ただ、展望台と思っている人たちばかりで何だろうと一瞥するだけである。面白い説明看板が脇にほったらかしにされているのだが、「奥室は長さ二十六M、幅約十五M・・」と書いてあるんだからびっくりするぞ。校正するとか考えないのかね。見学に来たついでに道の駅にでも寄って土産でも買ってくれ。古墳関連の土産はないぞ。


和久一号古墳(山口県)位置

 

当該ブログの記事は平成25年(2013)11月16日から12月2日までである。

複室{前、後(玄室)}の漢字をも間違っているぞ。「復」の字を用いている。この看板を取っ払って新しく正しい看板に作り直さねばいかんぞ。唯一の古墳と言ってるわりに説明が余りにも杜撰だ。

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大塚古墳(山口市)

2018-07-30 00:10:00 | 山口 古墳フォトチャンネル

大塚古墳(山口市)

 

 

5世紀中期から後期にかけて築造されている30mを超し、周溝を持った山口市域では大きな円墳である。主体部の箱式石棺は畿内系長持型石棺に似ているのではないかと言われている。写真をアップしているので御覧になるとお判りの様に小さな円墳が水田の中や家の庭の中に見ることが出来る。看板には4基あると書いてあるが我輩は3基しか見つけることが出来なかった。


大塚古墳位置

 

当該ブログの記事は平成26年(2014)5月27日から6月10日までである。

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王喜傍示古墳公園(山口県)

2018-07-29 00:10:00 | 山口 古墳フォトチャンネル

王喜傍示古墳公園(山口県)

 

 

移築保存されている横穴式石室を持つ円墳である。ここは御覧の通り日本の大動脈と言える国道2号線(バイパス)が正面を突っ走る。ここには自転車で来たが日影が無い。公園じゃあないのか。古墳展示場なのか。もう少し配慮してもらいたかったな。まあしかし、破壊して消滅させるよりはいい。瀬戸内海を利用した営みが続けられたのかもしれない。


王喜傍示古墳公園位置

 

当該ブログの記事は平成25年(2013)9月24日から10月15日までである。

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浄福寺古墳(山口県)

2018-07-28 00:10:00 | 山口 古墳フォトチャンネル

浄福寺古墳(山口県)

 

 

山口県下では大型の円墳である。5世紀半ばごろに築造されたものと思われる。所謂、防長と言われる地域には前方後円墳が20基程度と少ない地域であることに驚きであろう。有力な首長が出なかったか、平野らしいものが狭く点在しているので多くの人間が住めなかったか。


 
浄福寺古墳(山口県)位置

当該ブログの記事は平成28年(2016)5月30日から6月1日までである。

 

 

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大日寺古墳(山口県)

2018-07-27 00:10:00 | 山口 古墳フォトチャンネル

大日寺古墳(山口県)

 

 

木屋川中流域の菊川にある。開けた場所ではあるが生活はどうだったのだろう。建物裏に石棺石材が露出している。横穴式石室ではなく竪穴式石槨で箱式石棺で埋葬したものだろう。5世紀中頃から末期の間に築造されたものと言われている。近くには植松古墳群(公園化されている)、植松1号墳がある。

 

大日寺古墳(山口県)位置

 

当該ブログの記事は平成28年(2016)5月26日から28日までである。

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植松古墳群 植松一号墳(山口県)

2018-07-23 00:10:00 | 山口 古墳フォトチャンネル

植松古墳群 植松一号墳(山口県)

 

 

菊川町にある小形の円墳である。目と鼻の先に植松古墳公園があるのでこの一帯は有力者の奥津城であったのだろう。横穴式石室を持つのも同じである。時代はと言えば6世紀後半位であろう。ここもよく遊びに来たな。大日寺も菊川町だ。街並みもなかなかいいぞ。ずっと北上すると安徳帝に関する参考陵墓もあるからな。


植松一号墳位置
 

当該ブログの記事は平成24年(2012)6月13日から19日までである。

 

植松1号墳のすぐ西側に保存され公園化されている。形状が円錐の頭頂部を切り取った、所謂台形にしているが本来の形状ではあるまい。川崎町の戸山原古墳もこの様な形状ではあるが・・・1号墳と合わせて見学できるのだが駐車場が無いし、道はと言えば殆ど農道のようなので地元の方には気を付けて見学を。

 

植松古墳公園位置

 

当該ブログの記事は平成24年(2012)6月20日から27日までである。
 

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仁馬山古墳(山口県)

2018-07-22 00:10:00 | 山口 古墳フォトチャンネル

仁馬山古墳(山口県)

 

 

綾羅木川流域に点在する古墳群中最大の前方後円墳である。(上の山は消滅している)この大きさからしてこの地方を治めていた豪族の、所謂首長墓である。4世紀末ごろに築造されたものである。ここも歩いての古墳探訪である。近接して二基の陪塚がある。すぐ近くに植松古墳(山口県下でも数少ない方墳である)「史跡の道」を歩いて頂きたいものだ。



仁馬山古墳位置


当該ブログの記事は平成23年(2011)7月5日から16日までである。4月28,29日もある。

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植松古墳(山口県)

2018-07-21 00:10:00 | 山口 古墳フォトチャンネル

植松古墳(山口県)

 

 

綾羅木川流域に古墳が集中することは既に述べてはいるが、この植松古墳は方墳である。4世紀中頃に築造されたものと思われる。綾羅木駅から新下関駅まで歩いての古墳探訪は面白かったぜ。椿の咲き誇る時季だった。一度歩いてみてもらいたいな


植松古墳位置
 

当該ブログの記事は平成23年7月6日から10日までである。

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