ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

こんな本を読みました

2011-12-05 09:24:31 | 読書日記

季節的には相応しくない話題ですが…親父譲りで妖怪話が大好きです。
「恨み晴らさでおくべきか~~」の幽霊は出現する理由が陰惨で、おどろおどろしく、好きではありません。しかし個人的に余程の恨みを買わない限り、出てくる事はまずないでしょう。それに比べて妖怪(化け物)たちは怖い中にもどこか滑稽で可愛いところ?があります。しかも「相手かまわず」現れるので、ひょっとすると出くわす機会もあるかも知れません。閑話休題<それはさておき…>

この本は105円でBookOffで買った畠中恵の「しゃばけ」シリーズの一冊です。
題名から右の着物を着た猫が主人公のように見えますが、これは「猫又(ねこまた)」といって歳とった猫が色っぽい年増に化けたもの。膝に抱いている猫をよく見てください。尻尾が二つに分かれ「かけて」います。完全に分離すると猫又になるのです。
 千両箱の上に載って小判で遊んだり、シャボン玉を吹いたり、桃色の雲に乗ったりして小鬼たちは「鳴家(やなり=漢字を反対に読みます)」という、古い家に棲みつく化け物たち。大して悪いこともしない悪戯好きです。
 左下に座っている神主のような恰好の妖怪は「犬神」。元はと言えば弘法大師が猪の害に困っている村人を救うために書いたイヌの絵から変化したものです。ふだんは商家の手代「佐助」として、その上に顔が半分だけ見える緑色の着物の「若旦那」を守っています。痩せ衰えて渋団扇を持っているのは、一目でわかる「貧乏神」。

 さて主人公は江戸通町の廻船問屋兼薬種問屋・長崎屋の若旦那「一太郎」。病弱で寝込みがちですが手代の「佐助」と「仁吉(これも白沢という妖)」に守られ、他の妖怪たちにも助けられて、さまざまな事件を解決します。

つまり、これは岡本綺堂の「半七捕物帳」の流れを汲む推理小説なのです。しかもロジックの組み立てやトリックは久生十蘭の「顎十郎捕物帳」のように本格的です。背景には緻密な時代考証に基づいた計算が見えます。単に軽い妖怪話だと思って読むと、きっと化かされること請け合いの面白い小説でした。


師走最初の日曜日

2011-12-04 10:49:13 | 今日の大和民俗公園

2011. 12.04  朝は冷え込みましたが、良く晴れ上がりました。
わが家近くから見た矢田丘陵も美しい黄や茶の衣をまとっています。

6時半から二人で大和民俗公園へWalkingに。民家群の白壁が朝日に映えています。

サザンカの並木の横を落ち葉を踏んで歩きます。

メタセコイヤは梢まで茶色に染まりました。もうすぐ本格的な寒さがやってきます。


先日こんな名簿が…

2011-12-02 09:20:10 | 四方山話

送られてきました。

 

富士宮市の「富士山本宮浅間神社」からの「平成23年高齢者登拝者名簿」です。
巻末の統計によると平成23年度の数え歳70歳以上の「登拝者」(山頂浅間神社へ参拝して記帳した人)の総数は男1011人、女308人。都道府県別では神奈川県の196人が最多で、徳島県は1人です。年齢別では、最高齢で96歳の方が一人おられます。もちろん若い??人ほど多く71歳が245人。70歳は96人ですが、これは満69歳の人は「数え歳で…」いうことを知らず記帳しなかった人も多いからだと思えます。かく言う変愚院も、名簿を見て自分の年齢の欄に名前がないので「載ってない」と怒っていると、♀ペンが「ここにあるで」と1歳上の欄で見つけました。

名簿は順位、氏名、性別、年齢、生年月日、登拝回数、住所が一行で記載され、B4横書き37ページの名簿の後に2ページの「統計」がついています。
順位は生年月日順で、1位の平塚市96歳の方は大正5年のお生まれです。1319人のうち変愚院は209位、♀ペンは802位でした。

表紙裏のあいさつ文ですが、最後に「代理署名」のことが書いてある通り「本人が直接参拝して記帳すること」が原則です。そのため変愚院夫婦のように開山期間の混雑を避けて、神社が閉まっているときに登頂しても回数には数えられません。また「高齢登拝者は1,319名で」とありますが、「記帳」しなかった人はカウントされないので、実際には他にもかなりの数の高齢者が富士登頂を果たしていると思います。

私たちは今年も「期間外」でしたが、里宮へ登頂証明書を持って行って参拝。僅かながら寄進し記帳してきました。登拝回数はもちろん「1回」です。
 ちなみに最多の登拝回数は佐々木茂良さん(1940年生まれ72歳)の880回です。(有名人は記帳しなくても回数に入れるのか?)「富士山に千回登りました」の実川欣伸さんは、今年私たちが登った日が1111回目の登頂でしたが、43年生まれのためか記載されていません。

ともあれ来年も「無事登拝」できるように「平素の心がけをよろしく」精進しなければと思っております。