ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

マナスル三山展望トレッキング(終)

2006-10-16 17:43:45 | 山日記

ネパール最後の夜は、カトマンドゥ市街南部のボジャングリハ
に案内されました。この店は1999年、カラパタールの帰りにも
来たことがありますが、有名な宮廷料理店です。


テーブルの上の小さな盃にこの高さからロキシー(焼酎に似た蒸留酒)
が注がれます。まさに名人芸!


料理を待つ間に、伝統的なネパールダンスが演じられます。


こうしてネパール最後の夜は楽しく更けていきました。(終わり)

マナスル三山展望トレッキング(10)

2006-10-16 17:01:30 | 山日記
ポカラ


山岳博物館の帰りに、女神ドルガを祀るヒンドゥーバシニ寺院
に行きました。
旧市街地の小高い丘の上にある寺院は、ダサイン最後の日とあって
大勢の人で賑わっていました。


正面の御廟に参詣するために人々が列を作っています。


オールドバザールで車を降りて、しばらく歩きました。


かってはチベットとの交易で栄えた町ですが、今は人通りも少なく
古い町並みだけが往事を語るようです。


今回の旅では、残念ながらポカラからヒマラヤの山を見ることができ
ませんでした。
15時のフライトでポカラを離れます。カトマンドゥまでは僅か30分あまり
の短い空の旅です。

マナスル三山展望トレッキング(9)

2006-10-16 16:56:09 | 山日記
ポカラ国際山岳博物館
7日。
9時の開場をまって国際山岳博物館に入りました。
この博物館は2004年2月、日本の資金協力で開館したものです。


広大な敷地の中にたつ大きなマナスルの模型を横に見ながら進むと、
三角屋根の建物が見えてきます。建物は2階から入って1階に下る
ようになっています。まず、ホールでネパールの代表的なトレッキング
ルート、エベレスト街道を中心とした映画を見ました。


展示は「山のひとびと」のセクションから始まります。
ネパールの山岳民族(写真はシェルパ族)の生活から始まり、
世界各国の山民の風俗の紹介、日本の昔の山びとの人形もあり
ました。



次は「世界の山」セクション。ヒマラヤ8000m峰14座を中心とした山々
の写真展示。
これは大森弘一郎氏が機上から撮影したエベレスト南西壁の写真パネル。


ネパール山岳地帯の動物、昆虫、高山植物、鉱物などの標本や写真
も展示。
これは迫力満点の「雪豹」の剥製です。シッポを立てた姿が凄い!


「登山活動」の展示。人類初の8000m峰・アンナプルナを初め
8000m峰登頂時の装備、衣服などが写真と共に展示されています。
特にマナスルの部分はスペースも広く、今西寿雄氏の当時の日記、
装備などがたくさん置かれています。


左はマナスル登頂時使用された酸素ボンベと吸入口の接続器具。
右はその取り付けのためのスパナ。これだけでも重そう!


同じくマナスルで使われた登山靴とアイゼン。50年前の装備
を現在と比べると、現在の軽量化のありがたさがよく分かります。

他に「イエティ(雪男)」のコーナーや野口健がヒマラヤから持ち
帰った酸素ボンベなどもありました。
熱心に見学していると、あっという間に2時間が過ぎていました。

綿向山 (10月15日)

2006-10-16 10:17:19 | 山日記
千日山歩渉会10月例会で綿向山に登りました。
この山は近江平野に水をもたらす日野川源流にあり、古くから
近在の人々に崇敬されてきた近江4霊山の一つです。


表参道から頂上までは、このように整備された立派な道が続き、
各合目ごとに標高と頂上までの距離が示された標識が設置されて
います。
この作業は地元の「鈴鹿モルゲンロートクラブ」の人々の力に
よるもので、今日も多くの方が道の整備やゴミ拾いをされてい
ました。四合目のもみじ小屋で「綿向山まつり」(標高にちなんで
11月10日)の準備をされていた方からは、下山道の状況を教えて
頂き、「お祭りに又来て下さいよ」と声をかけてもらいました。


途中の五合目でしばらく休憩。後はまったく疲れを感じないまま
頂上に着きました。会としては14年ぶり二度目、個人的には4年
ぶり四度目です。
着いたときは雲が多かった空も、昼食と食後のティータイムで
一時間滞在して、頂上を去る頃には見事に晴れ渡りました。


左の大きな山容は雨乞岳、その右の鋭峰は鎌ヶ岳、ずっと右に
野登岳の鉄塔が見えました。
上の写真の大きなケルン(青年の塔)の左にある展望図には、槍や
穂高の位置まで書いてあって「富士山と御在所岳は雨乞岳に隠れて
見えません」と断り書きがしてありました。


帰りは水無山北尾根を下ることにしました。
「文三のハゲ」を横に見る鞍部まで下りて、急坂を水無山(995m)に
登りました。このように灌木に囲まれた狭い頂上です。
少し先に展望の良いところがあり、東峰との間は深いキレットになって
います。ここから鞍部まで引き返しました。


北尾根の道は崩壊した箇所や狭い足場のトラバースが多く、のんびり
歩ける表参道の登りとは一転して、少し緊張させられる、それだけに
山歩きの味わい深い道です。おまけに予想通りヤマビルまでが顔を見せ
ました。
登りとほぼ同じ二時間でヒミズ谷出合の登山口に着き、整理体操をして
御幸橋駐車場の車に帰りました。

マナスル展望トレッキング(8)

2006-10-14 21:07:49 | 山日記
ポカラ
6日。7時40分、ベルサールを発ちました。車は凄いスピードで
クラクションを鳴らし放しながら曲がりくねった山道を疾走します。
対向車が互いに譲らないので事故も当然。
正面衝突を二度見ました。


何とか無事に11時、ポカラのホテル・ストゥーパに入りました。
レイクサイドにあるこぢんまりした二つ星のホテル。湯が出ないので
水シャワーを浴びて少しすっきり。


日本食レストラン「古都」のスキヤキ定食でビールを飲み、市街の散策。
ペワ湖の船着き場付近は、目の前に浮かぶ島にあるヴァラヒ寺院のお祭り
に行く人で賑わっていました。


お面、風船、綿菓子など昔懐かしい縁日風景です。


夕刻より激しい雨になりました。傘をさして夕飯を食べにネパール料理店
へ行きました。これがネパールの日常食、ダルバートの高級版です。
手前から時計回りにアチャール(野菜などの漬け物)、それに付ける辛い
ミソ、豆と干した小魚、タルカリ(野菜料理)、ジャガイモと水牛肉の肉
じゃが風味、ククラ・コ・マス(チキンカレー)、ダル(豆のスープ)、
薄焼きセンベイ(名前を忘れました)、真ん中がバート(ご飯)。
庶民の日常食はダルとバート、それにせいぜいアチャール程度で、こんな
ご馳走はごくまれにしか口に出来ません。

マナスル三山展望トレッキング(7)

2006-10-14 18:27:15 | 山日記
山を下りる日


10月5日。
早くも山を下る日です。マナスル三山とのお別れに、隊長から
頂いたお揃いのユニフォームで記念撮影をしました。
今日は山頂付近も穏やかに晴れ上がっています。


ラムジュンヒマールを背に。しばらく山々と名残を惜しみました。

8時下山開始。流石に下りは早く40分で下の道に出ました。
ゴンパ、10:45。ベシサール11:15。


今日も暑く、さっそくロッジでビールを飲みました。
瓶のラベルは「エベレスト」。隊長の重廣恒夫JAC関西支部長が
1973年に南西壁から世界最高点に達したネパール名「サガルマータ」、
1980年、北壁からの新ルートで頂上に立ったチベット名「チョモランマ」
の世界最高峰です。



昼食後はすることもなく、椅子に座ってロッジの犬と同じようにぼんやり
通りを見て過ごしました。15時半、シェルパが呼びに来てテ ィータイム。
テント整理をして、食事テントに入り支部長から4夜連続、今夜が最終回
のヒマラヤの話を聞きました。

第一夜は「僕のヒマラヤ事始め」。第二夜「チョモランマ以降」。第三夜
「マナスル登山の歴史」最終回の今宵は「最近のヒマラヤ事情」でした。
(題名は変愚院が勝手に付けました)

エベレスト、K、カンチェンジュンガと世界第一~第三の8000m峰。更に
7000m峰4座のサミッターの正確な記憶に基づく実話の迫力に加えて、
ヒマラヤ秘話といった思いがけない内容の話もあり、この談話を聞けただけ
でも二人でこの隊に参加して本当に良かったと、つくづく思いました。


お別れにコックさんがケーキを焼いてくれました。(初日にも隊員井上さん
のお誕生日でバーズデーケーキが出て2回目です)シェルパやコックさん
の笑顔に囲まれてツァーリーダーでもある鹿田隊員がナイフを入れます。

満月近い月の光に負けぬ灯りをともして、今夜もテントの前にホタルが
舞っていました。

マナスル三山展望トレッキング(6)

2006-10-13 15:26:33 | 山日記
尾根道のトレッキング

10月4日。
快晴の朝を迎えました。テントから北東にマナスルとP29、そして
ヒマルチュリのマナスル三山が次第に明るむ空に浮かんでいます。
ヒマルチュリの右肩がご来光に輝きだしました。今朝は高いところ
では風が強いのか、三山とも頂上付近は雪煙を上げています。


少し上の台地に登ると、西にアンナプルナⅣ、マチャプチャレ、
少し離れてラムジュンヒマール(写真)が良く見えます。


テント地8時発、殆ど平坦な尾根道をガンポカラ方面へ向けて
トレッキング。マナスルはすぐ雲に隠れましたが、ずっとラムジュン
を見ながら歩きます。


バグルンパニからハイティーンの女の子4人と付き添いのオバサン、
隊長の後ろからは黒い大きな犬が付いてきました。


途中のバッティ(茶店)でチャイ(甘いミルクティー)を飲み、木に巻き
付いたついたランの花や、名前の分からない足元の花を見ながら歩き、
最後に少し登ったチョータラで弁当を食べて引き返えしました。
(写真は途中で休憩したチョータラ)

テントには15時に帰りました。今日はヒルも出ずぐっすり眠りました。

マナスル三山展望トレッキング(5)

2006-10-12 09:20:18 | 山日記
ベシサール~バグルンパニ
10月3日。
夜半より時々激しい雨がテントを叩き、その度に目を覚ましました。
明け方雨が止み、安心して少し眠った5時、上のゴンパの拡声器から
単調な祈祷のメロディーが流れ、ニワトリやツグミに似た鳥が騒ぎ出
しました。


8時前、出発。20分の急登で町を見下ろすゴンパ(僧院)まできました。
ゴンパの前で休憩。村々をつなぐ街道の所々にはこのような石で囲んだ
休憩場所が作ってあり、大きな菩提樹などの木が涼しい日陰を作ってい
ます。こんな場所をチョータラといいます。


二度目はゴンパから一時間歩いたビンタビレの村で休みました。
この男の子はダワ君。左のカーボーイハットを被ったサーダー(シェルパ
のチーフ)マイケルさんの子供です。(他はこの村の人達)

マイケルの本名はテンジン・ドルジェ・シェルパ。エベレスト、ダウラギリ
などの登頂経験を持つ優秀な高所シェルパでしたが、足を痛め、家族の
将来も考えて、安全なトレッキングガイドに転向したようです。
非常に日本語が上手で、何かと細かい心配りをしてくれました。ちょうど
私たちの日程がダサインの学校休みと重なるので、9歳のダワ君も一緒に
きました。将来、お父さんのような立派なシェルパになるべく、テントの
中でも英語や日本語の勉強に余念がありません。


このような村々をいくつか過ぎて行きます。石垣の横にはタキギの束、
家の前にはトウモロコシを干しています。昔の日本の農村を思いださせる
光景です。


右手の谷間越しに白い峰が姿を現しました。P(ピーク)29です。
P29はK2(ケイツー)と同じく測量番号で、現地名はNgadichuli。
マイケルから聞くと「ナティチュリ」と聞こえました。


日が昇るにつれ次第に暑くなりましたが、水場でゆっくり昼食をすませ、
午後になると雲が出て少し涼しくなりました。最後は急な石段の登り。
羊の群れと行き違いながら登ります。


まだもう少し登りが続きます。最後の休憩でパラパラと来たので傘を
出して歩くと、間もなく車も通れるような広い道にでました。


13時過ぎ、標高1,620mのバグルンパニテント場着。標高差800mの登り
でした。靴を脱ぐと、右足に血を吸って丸々太ったヒルが付いていました。
テントの中にも2匹。雨が降って出てきたらしいです。テント場は何段か
になった草の平地で、下の道はパグルンバニの村に続いています。
道の向こうは水溜まりのような大きな池で、ガンの群れ、水牛、ヤギなど
が次々に訪れます。その横にブランコ(ピンという)があり村の子が遊んで
います。


私たちのテントは隊長の重廣恒夫氏(日本山岳会関西支部長)の隣でした。
左下はバグルンパニ村。左端に突き出したピンの竹竿が見えます。

マナスル三山展望トレッキング(4)

2006-10-11 16:53:07 | 山日記
ベシサール

10月3日。6時半カトマンドゥを離れ、このマイクロバスでベシサールへ。

途中のドゥムレまでは、99年にカラパタールのトレッキングを終えたあと、
チトワン国立公園へ遊びに行ったとき往復した懐かしい道です。
(写真は途中トイレ休憩で停まったマレクの町で)


ドゥムレからポカラ、チトワン方面への道と分かれ、マルシャンディ川
に沿った道を登って行きます。
いくつかの村や町を通り抜け、予定より早く11時35分、ベルサール
へ着きました。

チェック ポスト横のレストハウスで昼食。カトマンドゥで積み込んだ
日本料理店「ふる里」の弁当を食べ、冷えたビールを飲みました。

このテラスで見ていると、いろんな国のトレッカーが次々に車やバスを
降りて、トレッキングの手続きをするために隣のチェックポスト(左・
シャッターが見えるところ)に入っていきます。


これがトレッキング許可証。裏に2,000ネパールルピーの領収証が
ホッチキスで止められています。邦貨にして3,400円はこちらでは
大金です。




ベシサールはかなり大きな町で、テント地は正面に見える道をずっと
下って、もうひとつ坂を下りたところのロッジ裏にあります。


草地のテント場はとても暑いので町はずれの河原に降りてみました。
川では女性が水牛に水浴びをさせ、洗ってあげてています。


少しの散歩で汗まみれになって帰りました。食事テントで重廣支部長
のヒマラヤ登山の話を聞いたあと夕食。
日が落ちるとやや涼しくなり、夕食を終えて暗くなる頃にはテントの
前をホタルが飛び交い、♀ペンは大喜びしました。

マナスル三山展望トレッキング(3)

2006-10-11 11:30:14 | 山日記
ダルバール広場
ダルバールとはネパール語で「宮廷」の意味です。
古い寺院が建ち並ぶ旧王宮前の広場は、世界遺産に指定されて
から入域料200ルピーが徴収されるようになりました。(外国人
観光客だけ)


晴れ着姿の鮮やかな色彩が狭い通りを埋め尽くしています。
正面に見えるのはチャシン・デガと呼ばれる寺院です。


シヴァ寺院の基壇を登って縁側にでました。前の建物はシヴァ・
パールヴァティ(シヴァ神と妃を祀る)寺院。
その右手に大勢の人が行列しているのは、右の大きな木の裏手に
あるタレジュ寺院にお詣りするためです。
電線の下にゴミのように見えるのは、お祭りで子供達が上げている
タコ(凧)。


タレジュ寺院入り口のゲート。奥に見えるのは王様一族の守護神を
祀る高さ36.6mの寺院。最近までこれより高い建築物を建てることは
禁じられていました。
庶民が入れるのは年に一度のダサインの期間だけで、日本で言えば
秘仏のご開帳といった感じでしょうか?


カーラ・ヴァイラーブはシヴァ神の化身の一つ、恐怖の神様です。
いつ見ても色鮮やかなのは、ときどき塗り替えられるからでしょう。
剣や人間の生首を持っていますが、どこか漫画ティックで憎めなく、
私の好きな神様です。


まだまだ多くの寺院があり、それぞれが優れた彫刻で飾られて
いますが、先を急ぎましょう。
最後の写真はカスタ・マンダブ。一本の大木から作られたと信じ
られています。
殆どの店がお休みのニューロードを、人々の間を縫うようにして
通り抜けて車に乗り、ホテルに帰りました。