郡山市街地を南北に貫く道路・藺町(いのまち)線。昨年、拡張工事が行われ道路両側の家屋も城下町らしく統一されて、見違えるようになりました。これは北端に近い「火の見櫓」です。
箱本館「紺屋」から藺町線に出たところから少し南に歩きます。この歩道上の道標のあるところの交差点角に源九郎餅本舗「中嶋」があります。
昔ながらの美味しい焼き餅。ちょっと待って焼き上がったばかりを買い求めました。
「源九郎餅」の名はすぐ近くの「源九郎稲荷」から来ています。頼朝に追われた義経が吉野山に逃れたとき、佐藤忠信に化けた白狐が静御前を守りました。静御前の持っている鼓がこの狐の親の皮でできていたためでしたが、その心を愛でた義経は自分の名「源九郎」を許したといいます。(写真は2007年の同神社「白狐お渡り」の様子)
それでは藺町(いのまち)線を北へ歩きます。「金魚の町」大和郡山だけに、どこでも金魚だらけ。
電柱に埋め込まれた金魚は名物の赤膚焼です。
電柱ごとに変わるデザイン
足元にも金魚
箱本十三町観光案内所。ここで頂いたパンフレットによると、秀長は城下の商工業を振興するために地子免除などの自治特権を記した文書を御朱印箱に納め、各町を一ヶ月ごとに持ち回らせて「箱本」と呼び、その代りに火消、伝馬などの義務を担わせました。ちなみに内町十三町は「本町・今井町・藺町・柳町・堺町・茶屋町・豆腐町・魚塩町・材木町・雑穀町・綿町・紺屋町」です。
この入口にも金魚が置いてあります。
案内所の中ではボランティアの方が、懸命に紙のお雛様を作っておられました。パンフレットとともに渡されて、「孫が喜びます」というと「お孫さんは何人ですか」と聞かれて三対も下さいました。
横の蔵を開けて見せて下さったお雛様です。
本町の通りを左に折れると、国の登録有形文化財の大正期の建物があります。屋根の尖塔が特徴的なドイツ風の建物は、娘が子供の頃にお世話になったことのある「杉山小児科医院」です。
この通りをまっすぐ西に歩くと郡山城址です。今、「盆梅展」が開かれていますが、受付で聞くと「まだ咲き始め」だそうで出直すことにしました。外堀の散策路を通って帰りました。途中で激しく雪が舞いましたが、家に帰り着く頃には暖かい陽射しが戻ってきました。12,000歩あまりの城下町ウォークでした。
ポニョで有名になりましたが・・・
鞆の浦は古いたたずまいの町で毎年ひな祭りが
開催して多くの観光客が訪ずれてます。
昨年は私も何カ所かひな祭りに行きましたが
今年は何かと用事があり、まだ行ってません(^_-)
ひな人形を見ながらウォーキング、いいですね♪
ひな人形楽しませていただきありがとうございました。
今度ゆっくり見てみよう。
楽しそう
鞆の浦へは昔、二度行きました。もうかなり前になりますが対潮楼の額縁のような眺め、山中鹿之介の首塚など、覚えています。
古い商家の多い町でしたね。今度はお雛様の季節に行ってみたいものです。
私たちも「大和な雛まつり」の期間中に、他の家の展示を見がてら、もう一度歩いてみたいと思っています。