ポカラ国際山岳博物館
7日。
9時の開場をまって国際山岳博物館に入りました。
この博物館は2004年2月、日本の資金協力で開館したものです。
広大な敷地の中にたつ大きなマナスルの模型を横に見ながら進むと、
三角屋根の建物が見えてきます。建物は2階から入って1階に下る
ようになっています。まず、ホールでネパールの代表的なトレッキング
ルート、エベレスト街道を中心とした映画を見ました。
展示は「山のひとびと」のセクションから始まります。
ネパールの山岳民族(写真はシェルパ族)の生活から始まり、
世界各国の山民の風俗の紹介、日本の昔の山びとの人形もあり
ました。
次は「世界の山」セクション。ヒマラヤ8000m峰14座を中心とした山々
の写真展示。
これは大森弘一郎氏が機上から撮影したエベレスト南西壁の写真パネル。
ネパール山岳地帯の動物、昆虫、高山植物、鉱物などの標本や写真
も展示。
これは迫力満点の「雪豹」の剥製です。シッポを立てた姿が凄い!
「登山活動」の展示。人類初の8000m峰・アンナプルナを初め
8000m峰登頂時の装備、衣服などが写真と共に展示されています。
特にマナスルの部分はスペースも広く、今西寿雄氏の当時の日記、
装備などがたくさん置かれています。
左はマナスル登頂時使用された酸素ボンベと吸入口の接続器具。
右はその取り付けのためのスパナ。これだけでも重そう!
同じくマナスルで使われた登山靴とアイゼン。50年前の装備
を現在と比べると、現在の軽量化のありがたさがよく分かります。
他に「イエティ(雪男)」のコーナーや野口健がヒマラヤから持ち
帰った酸素ボンベなどもありました。
熱心に見学していると、あっという間に2時間が過ぎていました。
7日。
9時の開場をまって国際山岳博物館に入りました。
この博物館は2004年2月、日本の資金協力で開館したものです。
広大な敷地の中にたつ大きなマナスルの模型を横に見ながら進むと、
三角屋根の建物が見えてきます。建物は2階から入って1階に下る
ようになっています。まず、ホールでネパールの代表的なトレッキング
ルート、エベレスト街道を中心とした映画を見ました。
展示は「山のひとびと」のセクションから始まります。
ネパールの山岳民族(写真はシェルパ族)の生活から始まり、
世界各国の山民の風俗の紹介、日本の昔の山びとの人形もあり
ました。
次は「世界の山」セクション。ヒマラヤ8000m峰14座を中心とした山々
の写真展示。
これは大森弘一郎氏が機上から撮影したエベレスト南西壁の写真パネル。
ネパール山岳地帯の動物、昆虫、高山植物、鉱物などの標本や写真
も展示。
これは迫力満点の「雪豹」の剥製です。シッポを立てた姿が凄い!
「登山活動」の展示。人類初の8000m峰・アンナプルナを初め
8000m峰登頂時の装備、衣服などが写真と共に展示されています。
特にマナスルの部分はスペースも広く、今西寿雄氏の当時の日記、
装備などがたくさん置かれています。
左はマナスル登頂時使用された酸素ボンベと吸入口の接続器具。
右はその取り付けのためのスパナ。これだけでも重そう!
同じくマナスルで使われた登山靴とアイゼン。50年前の装備
を現在と比べると、現在の軽量化のありがたさがよく分かります。
他に「イエティ(雪男)」のコーナーや野口健がヒマラヤから持ち
帰った酸素ボンベなどもありました。
熱心に見学していると、あっという間に2時間が過ぎていました。
ヒマラヤなどの登山隊は、今よりはるかに大変だったと思います。
昨年低徘の仲間たちと、日高町の植村直巳記念館に立ち寄りました。
時間のたつのも忘れて、展示品に見入りました。
植村さんが担いでいたザックが再現されていて
来館者がそれを担げるようになっています。
ゆうに50kgは超えていたように思います。
以来、バカみたいに重いザックを背負うのが流行りました。(笑)
確かに何もかもが重かったです。
麻ザイルは雪に濡れて針金のようになりましたし、帆布テントは
凍ってバリバリで、それが溶けると大変でした。
ボッカ訓練は、男子40㎏、女子30㎏というひどいもので、
キスリングにこの重量の石を詰めて東六甲縦走路を歩かされました。
背中がすれて穴があいたこともあります。
だから私は…今でも♀ペンが怖いのです。
植村直己記念館にあるザックは私も担いでみましたが、
ワイシャツ姿では持ちあがりませんでした。