これから向かう正木嶺を正面に見ながら、日出ヶ岳を後にします。
展望三叉路からは早や赤く色づき始めたドウダンツツジの林の中、長い階段道を正木嶺へ向かって登り返します。
この階段が設けられた頃は真新しい白木の色が緑の中で際立ってしっくりせず、♀ペンなどは「もう大台へ来るのが嫌になった」と嘆いていたものです。私も当時(2000年11月)の山日記に、次のように腹立たしい思いをぶちまけています。
『(この木道は) 去年(平成11年)に設置されたものだが、おかげでこの辺りの光景は一変してしまった。ところどころ「なぜ木道か」という説明がある。植生を守るためというのは分からぬでもないが、ここまでやらねばならないのか、他に方法はないのか。利便性ゆえに観光気分で押し掛ける大衆と、それに対応する行政の単純な発想を淋しく思う。カナダやスイスなど観光先進国の様子を、お役人にはぜひ勉強して欲しいものだ。』
しかし、その「空中回廊」も時の経過とともに次第に色褪せて、今では周囲の景観にすっかり馴染んで違和感がなくなりました<写真:いのっち>。
最高所(前は正木嶺と呼んでいた処、今は正木辻というようです)で小憩(11:00~11:10)。
木道の途中には所々に、このようなベンチが設けられています。背後に見える日出ヶ岳とはここでお別れです。<写真:ワンウーボーイ>
この辺りが一番、白骨林の美しいところです。もともと、ここはトウヒの森で地面はコケ類に覆われていたのですが、1959年の伊勢湾台風によってトウヒが倒され、コケ類が衰退して代わりにササが茂ったため現在の姿になりました。
しかし、この白骨林も年々、立木が減り倒木が多くなっているようです。
昔はもっと凄かったのです。写真は1995年6月1日、シャクナゲ平(日出ヶ岳を大杉谷の方に少し下ったところ)へ義父(84歳)、義母(80歳)をシャクナゲを見に案内した帰りに、同じ場所で撮ったものです。まだ木道はできていません。
11時40分、正木ヶ原。<写真:ワンウーボーイ>
ここも美しいイトザサの中に立ち枯れたトウヒやウラジロモミが点在し、子供たちが幼い頃は倒木に登って遊んだものです。今は通路両側にロープが張られて立ち入ることはできません。10分休憩して出発。
尾鷲辻へ出たところで、当初は中道を帰る組と大蛇へ行く組に分ける予定でした。しかしパーティを分散することの不安もあって、中道を予定していた人の意見を聞いた上で全員で大蛇へ行くことにしました。
尾鷲辻からは歩き難いゴロゴロの石の道を少し登ります。本ナゴヤ嶺(1593mピーク)を下ると、再びイトザサの広い台地、牛石ヶ原にでます。
右に見える大きな石が「牛石」。理源大師が牛鬼という怪物を封じ込めたという伝説があり、触れると「白日も天地晦冥となり」降雨になると恐れられています。道を挟んで、左手に八咫烏のとまる弓を持ち、右手を眉にかざして遠くを望む神武天皇の銅像が立っています。
右に見える大きな石が「牛石」。理源大師が牛鬼という怪物を封じ込めたという伝説があり、触れると「白日も天地晦冥となり」降雨になると恐れられています。道を挟んで、左手に八咫烏のとまる弓を持ち、右手を眉にかざして遠くを望む神武天皇の銅像が立っています。
昼食予定の時間が過ぎているのですが、午後からは雨になると予想して甘いものだけ補給しただけで、すぐに出発します(12:20~12:30)
今日は会わないかと思っていたシカさん達が、白い尻尾を振り振り無心に何か食べていました。
シオカラ谷の分岐までくると霧か雲かが湧いてきて、周りは白いヴェールを被ったようになりました。雨と競争するように大蛇へ急ぎます。
13時、大蛇の先端に立ちました。蒸篭も東ノ谷の滝もリューゴ尾根もボンヤリ霞んでいます。
<写真:ワンウーボーイ>
恐竜の背のような岩場をM夫人がスタスタと降りてきて一緒に写真に納まってくれました。
10分足らずの大蛇滞在で引き返す途中、ついに雨粒が落ち出しました。大きなケヤキの下で雨具を出す間もあらばこそ、すぐに土砂降りになりました。シオカラ谷への分岐で、尾鷲辻へ引き返さず吊橋に下ることで全員の了承を得ました。雷鳴も聞こえ出したので尾根道を歩くよりも、標高を下げる方が良いと判断したからです。しばらくの間は谷川の中を歩くような感じで、おまけ足場の悪い個所もあって慣れない人は本当に大変だったと思います。しかし全員で助け合いながら、着実にシオカラ谷に下り着きました。
吊橋に着く頃に雨は上がりました。吊橋を渡るとすぐ急な石段の連続、いったん水平な道になってヤレヤレと思うと最後にも一度、急坂の登りが待っています。何度も歩いている私でも長く感じる嫌な処で、かなり苦しく辛い思いをした人もあったことでしょう。それでも15時に全員、駐車場に帰着しました。びしょ濡れの服を着換えて、15時半再会を約して解散。
初めての方にも少しでも山の良さを知って頂けるように努力したつもりですが、雨の洗礼や昼食抜きの強行軍で「もう二度と山はご免」という嫌な思いをされた方が無いように願っています。
付記:ドライブウェイ途中の花はトモエソウでした。山野に生えるオトギリソウ科の多年草で、背丈は50㎝から大きいものは1m20㎝にもなります。巴状の黄色い5枚の花弁は一日で萎んでしまいます。
帰り道では何度もゲリラ的な豪雨に出会いました。ところが家に帰ると庭はカラカラに乾いていて、花たちが雨を待ち兼ねている顔で出迎えてくれました。
会社一筋の40年から引退し、残る余生を楽しむための山の存在は私の大きな生き甲斐となりました。9月の富士山、11月のチョモランマ(但し眺めるだけです)芳村先輩よろしく。
毎年のように私たちと登りました。
この時の大台ケ原も元気に歩き通しました。
今は101歳と97歳、明治・大正の人には敵いません。(変愚院)
私は母の歳になって、あんなに元気で歩けるかなあ。
富士山、ネパール、またご一緒に楽しみましょう。よろしくお願いします。(♀ペン)
喜んで使わせて頂きました。
こちらこそ、これからもよろしくお願いします。
皆さん山は初心者とは申せ、やれ、元球児、ハンドボールの選手、テニスにゴルフ、一日一万歩と何かしらスポーツをなさっておられる方ばかり。
そんな中でどれだけ隊長、夫人、皆さんにご迷惑をお掛けしたかと思うと、、、、次からハミゴの運命か?イヤヤ~哀れな肥女にお情けを!
続く
ワラワの体型は露天風呂でご覧になった筈ですが…。
このままで富士山に行くのは苦しいので、せめて2kgは落としたく思っておりますが、
アルコール、甘いものは絶てないので無理でございます。
尻尾の方からでも、ソラ、感動もんでした。今度行く事があったら、這いずり回ってでも、岩に座って見てやる~~
な~んちゃって。しんどい目して山に登らはる人の気持、わかります。
さて、その後、隊長さんから、「来た道を引き返すしんどさ、パーティは分かれて行動すべきでない。しかも、引き返す道は登り」とお聞きし「へ~、今まで下ってたんか。」と思う始末。エライ事になって来たなぁ、と思いながらも、「隊長は私の体調も考えんと言うたはる筈はない。ここは親鸞の偏依法然ならぬ偏依隊長と行こう。」と心に決め、つり橋に向かう。途中で大粒の雨。「うわっ!おもしろ~い!」と幼稚な私は心の中で、パチパチ!でも、顔は「エライ事ですねぇ」と神妙。雨の中を歩くなんて、、
ウ~ン、ロマンチック。子どもの時、わざわざ、水溜りを歩いて母に叱られた思い出が甦ります。責任感でイッパイだった隊長さん、こんな不真面目な私をお許し下さい。
to be continued
お天気が良ければもっとゆっくりご案内できたのに、雨に追われて残念です。
しかし、あの激しい雨の中の、谷への下降…「うわっ!おもしろ~い!」とは、さすが高貴なお方は違います。
どんなに心細い思いをされてお恨みかと思っていただけに
安心するやら、心配して損したと思うやら複雑な心境です。
本当はあの山での雨は怖いのですよ~~。
ところで「」は、切り立った岩壁。山の稜線や山腹に露出した大きな岩のことを言います。
大蛇の右手に見えた大きな岩壁は蒸篭といいます。
クラというのは「岩」の古語で、カモシカは岩が好きなのでクラシシと呼ぶ地方があります。