白寿の義父と二人で、散歩がてら近くの菅原神社に行きました。
社伝によると997年、堺の浜に道真自作の木像が漂着したのを祀ったのが始めと
いわれ、古くから「堺の天神さん」として敬愛されてきた神社です。
しかし何度も戦火で焼かれ、現在の本殿と社殿は第二次世界大戦後に造営され
ました。
道真公の愛したウメは天神さんのシンボル、上の写真で狛犬の後に見える石垣
の中に「天神影向梅」があります。残念ですが、まだツボミが色づいたばかり。
市街地のど真ん中でにある神社なので、後に高層ビルが見えます。
大阪府有形文化財の楼門。
左右を矢と剣を持った檜造りの随身像が守り随身門といわれます。
門を潜った内側(随身像の裏側)には右に「小西行長手植えの傘松の幹」
左に「浜松公園千年松(樹齢八五〇年)の幹」が置かれています。
楼門を入った右手の大樟(市指定天然記念物)
境内の薬祖神社
薬祖とは神農ともいわれ、古代中国の医薬の神様です。この堺の神農さんは
「日本最古」だそうです。
神牛像
道真公は丑年生まれで丑の日に没したというので、どこの天神様にもウシの像
があります。このウシは大理石造りで安政年間に奉納された古いものです。
これも摂社の堺戎神社
「堺のえべっさん」は現在の戎島の海中で見付かった石像をその土地で祭祀して
いたものを、戦後こちらに移したようです。
玉垣側の白梅はようやくほころび始めたばかり。
後に見える赤い鳥居が並んでいるのは稲荷神社。まだまだ見所がありますが今日は
この辺で帰ります。外に出るとスナックや居酒屋の並ぶ「天神」の繁華街で、
「夜は賑やかになるでえ」という親父はまだまだ元気です。
社伝によると997年、堺の浜に道真自作の木像が漂着したのを祀ったのが始めと
いわれ、古くから「堺の天神さん」として敬愛されてきた神社です。
しかし何度も戦火で焼かれ、現在の本殿と社殿は第二次世界大戦後に造営され
ました。
道真公の愛したウメは天神さんのシンボル、上の写真で狛犬の後に見える石垣
の中に「天神影向梅」があります。残念ですが、まだツボミが色づいたばかり。
市街地のど真ん中でにある神社なので、後に高層ビルが見えます。
大阪府有形文化財の楼門。
左右を矢と剣を持った檜造りの随身像が守り随身門といわれます。
門を潜った内側(随身像の裏側)には右に「小西行長手植えの傘松の幹」
左に「浜松公園千年松(樹齢八五〇年)の幹」が置かれています。
楼門を入った右手の大樟(市指定天然記念物)
境内の薬祖神社
薬祖とは神農ともいわれ、古代中国の医薬の神様です。この堺の神農さんは
「日本最古」だそうです。
神牛像
道真公は丑年生まれで丑の日に没したというので、どこの天神様にもウシの像
があります。このウシは大理石造りで安政年間に奉納された古いものです。
これも摂社の堺戎神社
「堺のえべっさん」は現在の戎島の海中で見付かった石像をその土地で祭祀して
いたものを、戦後こちらに移したようです。
玉垣側の白梅はようやくほころび始めたばかり。
後に見える赤い鳥居が並んでいるのは稲荷神社。まだまだ見所がありますが今日は
この辺で帰ります。外に出るとスナックや居酒屋の並ぶ「天神」の繁華街で、
「夜は賑やかになるでえ」という親父はまだまだ元気です。
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