ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

奈良の山あれこれ(61)~(65)

2015-08-19 20:03:27 | 四方山話

*「大和はくにのまほろば」…回りに海を持たないまさに「山都(やまと)」の山々。奈良の山「ならでは」の話題を綴っていきます。色んな資料を参考にしましたが、写真はすべて私の登った時のもので古いものも含んでいます。*  

 61)亀 山 「お亀伝説の山」



亀山峠(倶留尊山の項参照)の南にある草原状の山です。形状がカメに似ているので名付けられたと聞いたことがありますが、定かではありません。





山頂
(849m)からは眼下に「お亀池」を抱いた曽爾高原が広がり、正面に屏風岩の岩峰や、住塚、国見、鎧、兜と続く山々の素晴らしい展望が拡がります。南には後古光山から古光山への稜線、遠く高見山の鋭鋒も望むことができます。



亀山峠はかって太郎越とも呼ばれ、太良路(太郎生への道が通る意)から三重県津市美杉町太郎生(タロウ)に通じています。



峠を南に木の階段道を下ると三重県側への車道が通る長尾峠で、さらに古光山へ稜線を縦走することができます。

瓢箪形をした「お亀池」の『お亀という美人妻の正体が池の主の大蛇だった』という伝説は有名ですが、他にも、こんな人魚伝説が残されています。『昔、馬に乗った一人の武士が池の傍を通りかかると、美しい女が「水浴びをする間、子供を預かってくれ」と頼みます。あまり長いので池を見ると、女の下半身は魚で、水中深く姿を隠してしまいました。ふと見ると抱いていた子供は石の地蔵さんでした。」

池の周囲は800mほどありますが水深は約1mと浅く、低層湿原特有の植性が見られます。池の中にこれらの植物が枯れて推積してできた浮島があります。



登路は「倶留尊山」の項をご参照ください。曽爾高原入口ある有料駐車場からは約30分です。


62)古光山 (こごやま) 「天狗の住む山」



倶留尊山、亀山から南に続く稜線に石英岩質の五つの峰が、奈良県宇陀郡曽爾村と御杖村にまたがって、鋸の歯を連ねたようなアルペン的な風貌を見せています。

ここには天狗が住んでいたという伝説が残っています。昔、この山へ草刈りに行った人が、天狗の太鼓を叩く音を聞いて怖くて逃げ帰ったといいます。その場所には「天狗の踊り場」という名が付いています。

古光山は「ぬるべ山」とも呼ばれました。「ぬるべ」は「漆部」で、古代「漆部造(ぬりべのみやつこ)」が置かれたことから、曽爾は「漆部の郷」といいます。山麓の塩井には『漆部の造磨の妾は仙女であった(日本霊異記)』という伝説が残っています。



曽爾高原駐車場から杉植林の中を緩やかに登って、古光山登山口の長尾峠にでます。



林の中に延々と続く木の階段道を登ると、なだらかな尾根道となり展望が開け、行く手には後古光山(左)と古光山の頂きが並んで見えます。



再び林の中の急坂を登り切ると後古光山(
892m)の狭い山頂に立ちます。



背後に亀山から二本ボソに続く稜線、尼ヶ岳、大洞山、三峰山、局ヶ岳と遮るものない大展望です。



岩や木の間に太いロープが張ってある急斜面をフカタワと呼ばれる後古光山と古光山の鞍部に下ります。



左の後古光山(
892m)と古光山に挟まれているので、昔は「はさみ岳峠」と呼ばれたそうです。曽爾と御杖を結ぶ道の通る明るい峠です。峠から更にロープを頼りに急坂を登ると古光山山頂。



樹木に囲まれた狭い広場に三角点(
953m)が埋まり、わずかに木の間から倶留尊山が見えます。展望は、さらに南に厳しいアップダウンを繰り返した南峰の方が優れています。



四峰と南峰(五峰)の間は短いが鋭い岩尾根を通過します。



五峰からの展望は南東に三峰山のどっしりした山容、高見山。その右手遠くに大峰の山々が青く霞んでいます。東に住塚、国見山。その右の鎧、兜は、ここからだとあの怪異な姿に見えず平凡な形です。滑り落ちそうな急坂を下り、しばらく笹原の尾根道で傾斜は緩みますが、再び足首が痛くなるような急下り。



ようやく「ふきあげ斎場」の納骨堂裏に出て、やがて大峠の登山口に降り立ちました。


63)学納堂山 (がくのどうやま) 「大和最東端の山」



 三峰山(みうねやま)から北に延びる支稜上にあり、楽能堂とも岳の洞とも書かれる二等三角点(1022m)の山です。



ドーム型の山頂部はススキや笹で覆われて樹木が少なく、胸のすくような素晴らしい展望が開けます。



北に倶留尊山と大洞山、尼ヶ岳、古光山。南には伊勢の局ヶ岳と高見山を東西に従えた三峰山が大きく見えます。

学能堂の名は、かって山頂に文殊菩薩を祭る祠があったことからといい、学芸上達を祈願する人たちの思いを偲ばせます。「御杖村史」には、昔、能楽が催された山と記されています。三重県側の津市美杉町で「岳の洞」と呼ぶのは「大の洞」(大洞山)と同様でです。 昭和48年刊の「大和青垣の山々」では、「大和最東端の山」として、「山頂に至る道らしい道が開かれていない」と記されていますが、今は奈良県、三重県の両側からいくつかの登山道があります。



私たちは杉平から水谷林道を経て県境尾根を登る道や、神末から小須磨峠、白土山を経て登る道を、また
200612月には神末から小須磨山(850m)、小須磨峠を経る道を登りました。



最後はカヤトの原の中、かなりの急登でした(いずれも1時間半~
2時間)。他にも払戸、笹峠からも登る道があると聞いいています。


64)黒石山(くろいしやま) 

高見山で大きな高まりを見せた台高山脈は、さらに北へ延びて高見山北東1キロの地点で東と北に分かれます。北へ続く稜線は、天狗山(993m)、船峯山(938m)、黒石山(916m)、高山(893m)と次第に高度を下げながら差杉峠(西杉峠)に至ります。黒石山は、この高見山北方稜線上の三角点峰のひとつです。



頂上には915m三等三角点がありますが、灌木に囲まれて無展望です。わずかに木の間から高見山が望見されました。桃俣から西杉自然遊園を経て登る道があります(自然遊園から1時間半)が、踏み跡に近く藪漕ぎが必要かも知れません。私たちは天狗山経由で登りました。

65)天狗山 「天狗様の好きな山」 



黒石山と並ぶ高見山北方稜線上のピーク。登山口にあたる高角神社から南へ進み、急登で「小烏の尾」という尾根道に出ると、



屏風岩から鎧・兜、倶留尊山、尼ヶ岳、大洞山と曽爾火山群の展望が開けます。尾根の左側は切れ落ちた絶壁になっています。



山腹を直登して山頂(
993m)にでますが、ここも木立に囲まれ展望は期待できません。V字に折り返す形で北に向かうと、大天狗岩の下に出ます。岩屑が崩れやすい急斜面を岩稜と灌木の根や枝の間をよじ登ると、中間のテラスがあります。



足元はオーバーハング気味の絶壁で、三峰山から高見山に続く稜線がすぐ前に見えます。ここから見る高見山の北面は、見慣れた鋭鋒の姿と異なり、ゆったりした山容です。大天狗岩の頂(
933m)は灌木が茂り無展望です。

天狗山は、この岩の名前に由来すると思われますが、いかにも天狗が好みそうな岩峰です。北へ稜線をたどると約1時間で黒石山に達します。