ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

霧訪山に登る

2009-05-26 13:13:23 | 山日記
キリトウヤマと読みます。
塩尻・辰野両市の境にある標高1305mの低山ですが、
地元では展望の良いことで知られています。
この山の名を知ったのは、小林康彦さんの「日本百低山」
(文春文庫版)です。
短い時間で登れて展望もよいこの山へ、松本へ孫の顔を
見に行く途中で寄り道しました。


5月22日、塩尻ICで長野道を降りて少し引き返す格好で、
飯田方面に向かいます。
かって三州街道と呼ばれた国道153号線の善知鳥(うとう)峠。
分水嶺の標識があるとおり、ここは日本海と太平洋へ流れる
水を分ける分水界の峠です。
これから登る霧訪山も分水嶺です。


小野神社の横から山に向い、細い農道を通って着いた
登山口。登山記念ノートの入った箱や「クマ出没注意」の
他に、「登山者の皆さんへ」という看板が立っています。
マッタケ山で「止め山」であることが一番で、次に「落雷」
が多いことなどの注意が書いてあります。
マツタケについては、こののち登山道のあちこちで、くどい
ほど再三注意の看板が出てきます。


10時45分、登山口をスタート。
どんよりした曇り空ながら、しばらくは降られずにすみそう
です。
いきなり急勾配のゴム代替プラスチック製の階段が約200段
続きます。
足慣らしなしの登りに、たちまち汗ばんでくる頃…


木の階段に変わってぐんぐん高度をあげていきます。


中腹に「御嶽山大権現」の石碑がありました。
横の標識によると裏面に「文化八年辛未天 講中」の文字が
彫られていることから、御岳信仰の人が祭事を行った場所の
ようです。


送電線鉄塔の立つ小さな広場に着きました。
かって山城があったという標識があります。(11時15分)
ここから少し勾配が弱まります。


登山道の両側には見事なアカマツの林が続きます。
マツに交じっていろんな樹木も出てきますが、名前を書いた
札が付けてあって勉強になります。


三角屋根の避難小屋がありました。
右手(東)が開けて霧ヶ峰の方角に弱い陽が当っているのが
見えます。


再び勾配が強まり、虎ロープや鎖が張られています。


11時55分、1305.4m、霧訪山山頂に着きました。
標識の側面に「日本の中心地・分水嶺」と記されています。
正面の道標には「下西条登山口←大芝山 頂上 →北小野
登山口」の文字(登山道は直角に交わる形でもう一つ)が
あります)。
右の円柱は展望図の入った方位盤、背後の山は美ヶ原です。


山頂の一角に立つ石祠・会地社(おうちしゃ)。
「小野神社の境外社の一つで…古代山岳信仰の地で健御名
方尊が跋渉された旧地といわれている。地元では、古くから
雨乞いの神としても信じられてきた。小野神社」


反対側から見た山頂。♀ペンの足元に二等三角点、背後に
中央アルプスが見えます。
残念ながら、この天候では360度の展望は望むべくもありません。
それでも北アルプスはかすかに立山が、八ヶ岳は蓼科山から横岳
あたりまでが見えました。南アルプスは雲の中です。

山頂でゆっくり昼食をすませ、写真を撮ったり、他の二つの登山道
をちょっと下ってみたりしているうちに、空模様がいよいよ怪しく
なってきました。
名残を惜しみながら山頂を後に(12時45分)、元の道を下って
13時20分、登山口に帰りました。