二村嘉一のネオジャパニズム

 世界の中で生きて行く、私達の創る新しい日本の形とは

 まだ学べる、まだ生きられる、まだ愛せる、それが幸せ。

2015年03月19日 23時06分02秒 | 日記・エッセイ・コラム


 
 
 最近は、会社法を読んでいる、とても勉強になる本だ、すごく面白い。でもまあ

難しいけどね、理解するのが、今はまだ一回目の読解だし、これから何度も読んで

マスターしたいですね。まあ、最近と言えば、悩んでいて、大学を卒業をして病気

になって、もう23年以上経ってしまって、その23年間僕は何をしてきたのかな

とそう思って、とても辛い気持ちになります、もったいない時間の使い方をしてし

まったなと思います、時は金なりという言葉もありますが、若い頃はよく意味が

分からなかったし、今でも真の意味で理解をしていないけど、もったいない人生の

送り方をしているなと思います。反省です。




 最近の政治の動きは、戦後70年の総理大臣談話がどのような内容になるのか

そう思います、未来志向の内容になるという事なのでとても期待をしていますが

正直、以前の談話は、日本の国民に対して、失礼な内容ではないかと思っていま

す。確かに侵略は反省をしなくてはなりませんが、従軍慰安婦とか、難しい問題

ですが、日本は戦争を二度としないと誓った訳だし、もっと明るい内容になれば

とそう思います。



 憲法で考えた事があって、新しい憲法に、「人には愛があるものとする」という

条文を作ったら面白いかなと思います、その憲法の記述により、大の大人が、「愛」

について、真剣に議論して、新しい法律に反映をされて行きます、官僚がその内容

を侃侃諤諤と議論し、国会議員も「愛」について議論を戦わせます、憲法を変える

という事は、憲法の下部にある、法律にも影響を与えるという事だから、何も「愛」

でなくても、「希望」でも良いかもしれませんね、「人には希望があるものとす

る」です。「希望学」という東京大学社会科学研究所の本がありますが、憲法に

記述されている、条文があって、生活保護の政策があると思うので、憲法に「愛」

や「希望」があれば、世の中には、「愛」や「希望」が蔓延するのかなとこれは

僕の、願いですが。




 まあ、アメリカやイギリスには怒られるのかもしれませんが、日本が主体となっ

て「第三の聖書」ができないかなと思います、原爆体験とかそういう戦争の悲惨な

体験を、「第三の聖書」として神の定義を再構築したらどうかなと思います。




 いろいろ考えている事はあるのですが、最近は法律の本を読む事に集中をして

いるので、なかなか更新をできませんが、皆さんまたたまにチェックをしてみて

ください。



 そういえば、一青窈さんの「とめる」を連続で聴くと、調子が崩れるように

なりました、すごい曲なのでそうなるのだと思いますが、中毒どころか、身の

危険さえ感じます。一青窈さんは、良い人なのですが、芸能人だから、ちょっと

軽く見られがちですが、僕は一青窈さんをなめていないです。幸せになって欲し

いですね、本当に。それでは。



 新しき時代の花は大輪のあなたのように私のように


 God bless you!


 
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