の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

三寶荒社 / 三宝荒神社

2013年11月10日 13時56分29秒 | 近畿(滋賀、京都)
■鳥居■
(3rd March 2012)
 


★三寶荒社★ 京都府京都市伏見区竹田中内畑町74 安樂壽院境内

・安樂壽院が保延三年(1137)に落慶以來、何度も火災にあってき、天文十七年(1548)の火災では伽藍の大部分を失ったという。そのため、慶長十一年(1606)の復興のとき、火災に遭わないように荒が勸請され、現在に至るという。


■社殿■
(3rd March 2012)
 


((コメント))

2012年3月3日

 近衞天皇と鳥天皇の陵のにある安樂壽院境内に鎭座。しかし、この地が院政の舞台であったことを知らずに來たのだが、驚きである。しかも八條院領にも關係があるとは、保元平治の乱マニアの私にとっては、興味深く、更に散策したいところである。

志玄王墓所

2013年11月10日 13時42分53秒 | 天皇陵、皇族墓所
■志玄王墓所■
(18th November 2012)
 


★志玄王墓所★ 京都府京都市右京区嵯峨柳田町

・弘安五年(1282)生、延文四年/正平十四年二月十六日(1359.03.15)沒。

・人皇第八十四代順天皇曾孫。父は尊雅王。

・臨濟宗の僧。

・道號は無極、諡號は佛慈禪師。

・十三歳のとき、京都安部の願成寺で出家、得度し、東寺、東寺などで修學。

・のちに夢窓疎石の門に入り南禪寺や臨川寺に住した。

・夢窓疎石の法を繼いで京都天龍寺の第二世となった。


■志玄王墓所■
(18th November 2012)
 



((コメント))

2011年11月18日

 移轉したという天龍寺塔頭慈濟院の墓地が元の位置に殘されており、そこの中心部に志玄王の墓所がある。特に詳しくは知らないが、名前が氣になって訪問した次第。なんと天龍寺の第二世との事である。ちなみに、曾祖父に當たる順天皇は、父後鳥羽上皇の倒幕計畫に加わり、世にいう「承久の變」により、佐渡に流され、その地に眠られている方である。行きたいと思っていたが佐渡に結局いけなかったのであるが、その血筋の人の墓に行くことになるとは不思議なものである。