楽しい英会話の世界 by Kagoshima artists.

鹿児島在住の元英語教師が、親子の会話やお仕事で使う英語、方言や日本語学研究をご紹介。よみがなには、カタカナを使用します。

鹿児島のあちらとこちらは、全部が逆さまでビックリでした

2018-05-10 07:12:15 | 日本語と英語
鹿児島県の鹿児島市内とその近くで、お店に入ったら是非、お試し頂きたいことがあります。

じつは、先日も記事に書きましたが、鹿児島市内とその近くは、いつも自分が主語です。

参考サイト:
https://blog.goo.ne.jp/kagoshima_english_land/e/60b469a47c5ecabdd5ba29582a689cb0
最近は、言わなくなりましたが、私が小学生の頃は主語をほとんど必ず言っていました。
私のことを表す言葉があまりにも多くて、引っ越したときには覚えるのが大変でしたが
最近は主語を言わなくなってしまったのでますます難しくなった感じです。
ポイントとしては、鹿児島市内とその近くでは、主語はいつも私であると思うことです。
そう考えれば大体あっています。
たとえば、お店で商品の場所を聞くと、こちらにありますと言いながら近寄って来ます。
普通はあなたのそばにありますという意味なら、こちらではなくそちらですが、、、違うんです

あちら、だと悲惨です。
普通はものすごく遠くにあるんだと思うでしょ?違うんですね~
なんと鹿児島市内とその近くでは、自分から遠くて質問した相手に近いときに言うのです。
だから、あちらと言われたらその真逆で、こちらだと思ってください

鹿児島市内と、その近くでは、
「あちらに、、、」と言われたら
慌てずじっとして置きましょう。
うっかり動くと「そちら」かも知れないのです。

うそ~面白い~などと
笑わないでください🙇💦
案外、とてつもなく、苦労してしまう
結構大問題なんです😣
あっ、でも、もう慣れたから笑ってもいいですよ
たまに居ますけど、けたたましく、大きい声ではやし立てたり、怒鳴りつけたりする人は日本全国にもいるかも知れないですが
就職した会社や、アルバイト先で、「あれ」「それ」の文化の違いを信じている人もいて。世界共通だと信じている人から見たら、文化の違いなんてあるわけがない‼とさえ考えていて、激怒して手がつけられなくなるくらい、御機嫌が悪くなる人もいるのです。
テレビで紹介されている中国などの迷惑な人や韓国などの非常識なお金持ちのような人は、まさか日本にはいないでしょうと、お思いですか?いえいえもちろん、実は日本にだって未だにいるのですし😰案外すぐ近くに、あなたの隣、職場、御近所、居たら誰だって嫌ではありますが、何を言っても響かない人なら、出会った不運を残念に思って黙ってただじっと耐え続けるしかないことなのも実は全国共通なのかなぁ。
それ自体がもしかしたら本当は社会性に掛けているという点においての障害者、なのかもしれませんけれど。
そうした人格自体の崩壊した人格障害者という範囲の障害は、一般に障害者として認定しない理由は「教育」によって「改善」の見込みが十分にあるからだという記事をどこかで見かけたことがあります。
でも、鹿児島県のような競争のない地方で実力に関係なく、能力に関係なく、政治的な力や金銭的な余裕が出来ている場合は、その強弱の差にツケコンデ、嫌がらせをして相手が困ったり苦しんだりすればするほどに喜んで高笑いをするような人もいるのかもしれません。
人が悲しんでいるのに楽しくて楽しくて仕方がないのです。東京都やその近くでは、そうしたことでどんなに優秀であってもどんなに社会的地位があってもどれ程のお金持ちであったとしても、今持つ社会的信頼を失うことによって、地位も名誉も何もかも無くして仕舞いかねない事態ではありますが、、、。もちろん、そうした人は東京都やその近くでは、「チンピラ」「ヤクザ」と呼ばれてしまう素材のようなものなのかもしれません。そして、鹿児島県だけでなく日本全国、世界中にも、まだまだそういう人は居てしまうのかも

障害者手帳を持っている人であっても、見た目身綺麗で上品でおとなしそうな老人であっても、その牙を自分より社会的に金銭的に弱い人を見つけた途端にあたかも別人のように豹変しては悪魔のような残酷で卑劣な行動をする人はいるのかも
裏表があれば、気が付かず、まさかあの人が?ということになるというものなのかもしれません(*_*)
信用して任せた正社員や痛みも苦しみも知っているはずの障害者や老人であっても、裏の顔では残酷で卑劣な悪魔のような無邪気過ぎる笑顔をする人も中にはいて、取引先や下請け会社に被害を訴えられて初めてそうした事態を知って強烈に驚いて耳を疑う事態になってしまうもの、なのかもしれません(*_*)そうなるまえに、穏便にお願いしたいと誰もが願うことです。

恐怖、以外の何者でもないのです。
こわくて質問できないので、何を聞かれても意味がわからなくても「はい」しか言わない鹿児島市内にいる人は珍しくないのです。あれこれ話してややこしくなってしまうより、YESマン....
文化の違いは相手には違いだなんて全く考えてもいない時は質問するだけ「やぼ」なんですし
そういうものだと、1つずつ覚えていく他、ありませんもの

まあ、言葉というものには誤解は付き物なので、いくつも言葉を尽くして相手が本当に理解しているのか確かめながら、
相手に寄り添って相手の理解に合わせて表現を変えて、それでも伝わらないときには表情や体の向きを変えたり
手で相手の視線を向けて指を指すなどの工夫が必要なのは鹿児島市内だけでなく日本全国、世界中でも同じですけど。

うっかり、お店で「そこに、あります」と言われて自分のそばを探していたら
なんと遠くにいるお店の人のそばで、どちらかといえば「そこ」ではなく「あちら」だった場合の衝撃

その逆で、「あちらにあります」と言われて遠くにあるんだと思ったら、なんと私のすぐそば

なので、鹿児島市内の場合は、ここ、そこ、あそこと言われたら、全部が逆さまなんです
とても私には難しいけど、そういうことが、その土地の文化というか習慣なのでしょうから
否定せずに受け止めて、そういう物だと思うしかありません。

すごく遠くを目の前で指差して「そこの」と言ったり
目の前にある物を指差して「あそこの」と言ったり
します。

道案内は不可能に近いけど、鹿児島市内の場合、方言というより、そういうことが難しいのです。

目の前に見える階段を上がって、上がりきったら階段を背にして右に曲がる場合

鹿児島市内の人はここの階段まで言っていただいて、階段を上がって頂いて、登っていただく形になります。
階段を上がりきったらすぐ右に曲がって頂いて下さい。
と言います。

耳に残るは「いただく」「もらう」で、それ以外が消えていきます。
頭を巡るは「誰に何を貰うの?」「何の形の話になったのかな?」
いやいや、いまは物が欲しいわけではないし道を聞いてるんだし。あれぇ、形のことは聞いてないのになぁ。今は形状より道が知りたいよぅ。
と、混乱していきます。
職場では大問題に

私が鹿児島県の会社に派遣されて東京に出張した時に、お客様に対するプレゼン中にこの文化が顔を出して、『そちらの資料、、、』と言われてお客様が手元を探すと全然お客様の手元ではなくてパソコンの横に資料があったり。
プロジェクターの画面を見ながら手元から随分離れた場所を説明するのに『こちらの形、、、』と説明してしまったり
だんだんお客様のイライラが最高に到達していくのが、わかるので、見てる私がヒヤヒヤ
こちらもあちらも方言ではなく、話しているご本人さんもも方言を話してはいないのに通じずにお客様が御本人の考えた方向とはかけ離れた場所に視線が行ってしまい、なぜ通じないのかわからず、お客様のイライラ😒💢💢だけに気が付いて、しどろもどろに
私も何と説明しようもなくて、お客様にも話し手にも気を使い、ヒヤヒヤしながら平謝りしながら、サポートする状況でした😢
文化の違いは笑えない深刻な問題だとつくづく実感しました。小さいことではないのです。
鹿児島県の小学校や中学校の教師をしている先生方、幼稚園や保育園の先生方、大丈夫でしょうか?
鹿児島市内とその近くに通う小学生と中学生の国語力、算数の成績が劣る場合、先生の日本語の使い方にも、成績が延びていかず混乱する一因があるとしたら、生徒さんは標準語で先生が美しい日本語が話せたらしなくても良い苦労をしているのかも知れません。
文化だから本人は正しいと信じて疑わないことだし、御本人は自分は標準語を正しく話していると信じ込んでいますし。慣れるしか対応のしようもありません。
鹿児島県に暮らしていれば何も困らないことですが。
職場の上司がその文化でOJTをすると教えられる部下が文化の違いであちらなのか、こちらなのか、勘違いばかりしているように思われて叱られっぱなし。
学校の子供達も、先生の話す言葉を標準語に直しながら理解する時間の手間をしない間にしなくてはならず、通訳して理解する時間だけ、勉強に費やす時間に無駄が生じてしまうことが日常であることは、子供達には気の毒でありそんな苦労をさせてしまっていることは、とてもかわいそうなことのようにも思えます。
そうは言っても文化なら、もちろん慣れるしかありませんけど。

言葉を理解する上で、相手に言葉を伝える上で、そうした言葉を超えた文化の理解を拭う会話の工夫は、日本人同士の方言だけでなく、海外での英会話にも存在することなのかも知れません。

病院や介護、店員さんなどの忙しい現場ではイライラされて、しなくても良い苦労をさせられてぐったり😣💦💦💦する方もいるのかも知れません。

言葉が通じないことは当たり前だと最初から考えて、聞き手が理解出来ているか確かめながら、言葉を尽くして、ゼスチャーも表情もつけていたら、優しさや親切な温かい気持ちだけは伝わるのかも知れないし、
文化の違いを理解することも少しずつ出来るのかも知れないです💐💐💐

通じない時には
同じ表現で何回繰り返してもわからないし
どれだけ、ゆっくり話してもわからないし
どんなに大きい声で話してもわかりません

自転車や自動車がクラクションを鳴らしたり
していても、耳が不自由だったり
目が見えない人もいるし
聞こえていたとしても
早く歩けないほどに体調が悪いのかも知れませんし。
大声で叫んだとしても、耳が聞こえないのかも
知れません。
そんな時はすぐに車を降りて、クラクションを最大限に鳴らして他の車に知らせて歩行者も立ち止まって。
みんなの視線を向けて、みんなで行動してみんなで守るしかないのかも知れません


そんな私は、23歳で横浜市に引っ越した時に、横浜市内の道案内の上手さに「感動」に近いものを感じてしまいました。詳しい説明、全身でのゼスチャーに
感激
まさに、学校の教科書通りの日本語で丁寧に話してくれてとっても親切で、嬉しかったことを思い出します。
方言というより、文化の違い、言葉というより風習の違いって、以外ととても苦労しますが
観光客として鹿児島県を訪れた場合は、相手がお客様でお金を支払う立場なので
言葉にも通常と違うものがあるのかもしれません。そうした文化の違いも、鹿児島県を旅するときの楽しみになってくれたら
いいですね

by kotoritobu
ジャンル:
文化
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