左利きスナイパーの誤算 銃撃前に窓が・・!!
2023年2月21日(火)
安倍元首相銃撃現場へ行ったら、安倍晴明が浮かんできた。
そして安倍晴明と言えば芦屋道満も浮かんできた。
それで、安倍元首相暗殺現場と安倍晴明の墓と芦屋道満の墓の3点とに関係する一点を求めると、天王・深山宮(みやまみや)が浮かび上がった。
深山宮から・・、安倍晴明の墓、芦屋道満の墓、安倍元銃撃現場までとは同距離である。
そしてそこに映っていた文字は、『忠孝』である。
これは向こうの世界からの強烈なメッセージである☆
2022年10月15日(土)
自宅のパソコンから、安倍元首相銃撃に関する空海コードを全て抜き取った事象がありましたが、「在りて在るもの」からの響きはキャッチされたのやら・・、読めるかな・・。
安倍晴明や和気清麻呂公も今の世を見て居れないと言って居られるご様子ですねぇ。
もう一つデータが在りますよぉ。
2022年3月22日(火)
19日(土)関西日本サイ科学会での志賀一雅さんの講演を聞く前に、安倍晴明の生誕地である安倍晴明神社へ立ち寄った。
その神社へと行く前に実は、日本銀行を観覧した。
安倍晴明神社で取り出したものを使って・・。 このことも言えません、書けません。
2022年3月18日(金)
昨日(17日)福崎町商工会館で神崎郡ロータリークラブの皆さんに、「福崎町には仁徳天皇の埋め墓と安倍晴明の墓があります」と伝えました。
仁徳天皇の墓の場所は、、兵庫県福崎町田口にある七種山・七種滝がある地域の554mの山です。
さぁ皆さんは信じられましたでしょうかねぇ。
その場所こそ、『道教の聖地』であることを話しましたが、信じてもらうには時間がかかるでしょうねぇ。
皆さんは、ポカ~~ンとされていたご様子でしたぁ・・。
仁徳天皇の墓がある場所は、道教の聖地ですから、仁徳天皇の墓から東南東8㎞の場所にあって、そこから天皇の墓(山)を仰ぎ見ることができる場所に安倍晴明の墓が造営されたのも納得がいきます。
仁徳天皇の墓の西麓には、旧来の金剛城寺があって、陰陽道の始祖と言われた滋岡仙人が居住していたことからも、安倍晴明の墓が近くにあることも当然至極ということです。
2022年2月28日(月)
26日(土)福崎町に居てた私のところへ地元町会議員の先生がやってきて、「晴明の山へ行きませんか」とお誘いを受けたので、お願いすることにしました。
目指す地点に着いたのは、昼前であった。
石室の大きさは8m×7mほどの大きさでコンパスグラスでキッチリと東西南北に造営されていて、その床一面に黄金の反応があった。
そしてその石室への通路の幅は、1m~1,2mほどで、北から一直線に入り込んでいた。
入口の場所も特定できた。
安倍晴明の墓も近くの山も、いたるところで山を大々的に掘り返している痕跡が見られた。
おそらく、伝承やなんらかの情報を入手した人達が、黄金を取り出すために作業をしたと思われる。
でも・・、取り出されていない。
安倍晴明の石室は、まばゆいばかりの黄金に輝いていることでしょう。
2022年2月23日(水)
安倍晴明の墓は、中央の山です。 綺麗です!
安倍晴明の墓(山)は、福崎駅からも見えていました。
竜宮山から安倍晴明の墓までと芦屋道満の墓までは、同距離で二等辺三角形を描きます。
竜宮山も現われて、そろそろ玉手箱を晴明さまから頂けるのでしょうかぁ。
2022年2月21日(月)
安倍晴明神社から芦屋道満の墓までと、安倍晴明の墓までの距離は、共に76.6㎞と同距離で二等辺三角形を描きます。
またモーセの墓から道満の墓までと、晴明の墓までの距離は、共に89.9㎞と同距離で二等辺三角形を描いています。
そして・・、安倍晴明神社と晴明の墓と東寺の五重塔との三点は、見事に2:1:√3の直角三角形を描きます。
見事に計画的位置決めです。
そしてまだまだ驚く空海コードが出来上がっています。
晴明と道満の学び舎、・・つまり陰陽道の聖地が浮かび上がってきます。 つづく
2021年2月26日(金)
今でもその時の記憶は鮮やかに蘇ってきます。
それは『成就』の強烈な二文字が脳裏に焼きつけられた瞬間でした。
安倍晴明も、桓武天皇や和気清麻呂、役行者 行基 定恵 最澄 空海ら先人達の思いを成就させようと強く願った人物であり、何も知らなかった私に蘇った御霊の出現の仕方は強烈でした。
そして2011年11月11日のドラマが始まるその日の夜中、安倍晴明は私の頭の中でものすごい剣幕で頭が割れそうなほどに叫び続けていました。
「テンノウ~~! 天皇~~~~~!!」と。
東良さん、ありがとうございました。
成就院へと行っていただいたこと、感謝いたします。
やり遂げねばと・・勇気と元気が身体に満ちてきました。そして今、岩戸開きに奮闘中です!
2021年2月24日(水)
先日の関西サイ科学界での講演は、阿倍王子神社でありました。
その阿倍王子神社の北隣には安倍晴明神社がありました。
阿倍王子神社の御神体は、南に位置する土塔とその先にある槇尾山を見つめ守っています。
そして人々が北に手を合わす先は、泰澄が開いた京都府南丹市にある成就院です。
また、すぐ北隣に位置する安部晴明神社で手を合わす先は、奈良の伊那佐山であり御神体が見つめ守る先は、イエスの公的陵墓です。
そして、阿倍王子神社で手を合わせる先にある成就院との三点は、直角三角形を描いています。
これはもう計画的配置としか思えません。
成就院の西に位置するイエスを祀る生野の地下神殿と成就院と槇尾山とでケプラー三角形を描きます。
これらはもう計画的に配置されたもので、全ての場所から祈り願うことは二文字、『成就』です。
空海さまの空白年間、社会人としてのスタートは、槇尾山施福寺でした。
槇尾山からは、イエスの墓、卑弥呼の墓、モーセの地下神殿などなど、重要な墓やベンチマークとなる山々と光通信ができる修験僧たちの重要な秘密拠点でした。
2017年1月7日(土)
綾部市の大本本部の御神体山の神は、日本の秘密を全て知って居られます。
ここに祀られている神様はいったい誰?
「日月の山」とここの山ほど重大なベンチマークの山はないのではないでしょうか。
出口王仁三郎さんが突然に出現されたのが2011年11月2日でしたね。
そして二日後の4日には、石上神宮へと行って、その足で笠置山にも同行されました。
翌日5日は小雨模様でしたが、生野の絶峯御林を探索されました。
そして2011年11月11日の「神の儀式」にも参列されました。
王仁三郎さんはもうとっくにイエスや女王卑弥呼のお墓参りや生野の地下神殿にも行っておられますが・・。
霊界ではもう着実に王仁三郎さんや安倍晴明など名だたる神々が参集してこの現実界の立て直しをしているのに・・。
関係者が知らぬ存ぜぬでは、お怒りが・・。 クワバラクワバラ!