スタップサロン鍼灸院(テラファイト研究室)には、イワクラ学会の武部さんが創作してくれた「婀月山(あづきやま)」のオブジェがありますが、毎日私は、卑弥呼さんを意識しない日はありません。
そのオブジェにテラファイトの新モデル「テラファイト卑弥呼」を3Dプリンタで試作して写真を撮ってみました。
本来ならもうとっくにご注文頂きました皆様の手元で可愛がってもらっているはずでしたが、私のいたらなさで遅れに遅れて、やっとこの月末には皆様の手元にお届けすることができる予定です。 ・・・と、言いますのも
「どのような経緯でテラファイト卑弥呼が誕生して、何の目的で世界中に広めるのかの理由をしっかりと皆さんに伝えていますか」と、卑弥呼さんが言ってるようで、そのことを私がキッチリと書かない間は、「私は世に出ません!」と卑弥呼さんの声がどこからか聞こえたように思う私です。
・・・ですから、真剣にここに書き記さなければなりません。
まず・・、「どうしてテラファイトを世に広めるか」ですが、
今、現代社会は非常に病んでいます。 資本主義経済の中で、宗教を全面に立てて、富める人達の価値観でそれを強引に推し進めてきた歴史認識は今も変わるどころか、見えないところで強引にそれを成就させようとしています。 富めるものとそうでないものの格差が拡大しています。
ですから人々の脳が無意識の内に悲鳴を上げるように、イライラしたベータ波状態に変調をきたしています。
本来は、この地球を取り囲むシューマン波と共振(レゾナンス)することで人らしくおおらかに生きれるスローアルファ(スローα波)状態が好ましいのですが、現代の私達の脳波は、目を覚ました状態から一気にβ波状態です。
結果どのようことが身体に起こるかですが、身体の重心が前後左右どちらかにずれてしまい、そのような状態では血液の流れもスムースとは到底言い難い状態を作ります。 イライラした脳波があらゆる病気や事故など不幸事も引き寄せてしまうことになります。 このような状態が集団化した時、巨大化したとき戦争も起こるのでしょう。
テラファイトは、瞬時にして人々のイライラしたベータ波状態の脳波を、リラックスしたスローα波に変えます。 瞬時にです。これは大変喜ばしいことです。
世界中にテラファイト卑弥呼を広める理由はここにあります。 みんなが穏やかで、助け合う心をもって手をつなぐことで、この地球上から戦争をなくすのです。
「私が何を成したかを世界中の人達に伝えてください!」と、1800年の眠りから目覚めた卑弥呼さんが、私に言うようにと数人の人達に伝言して消えたと言われます。
その卑弥呼さんの御霊が生まれ出たのは、2012年6月14日(木)のことでした。
お墓の地底探査の作業を行うにあたって、お墓の後円部の中心で、真剣に祈りをささげた私でした。 その後、同行したスピリチャルなカメラマンのSさんが、
「オオ~~~ッ、吹き上がっています吹き上がっています!」と突然言われるので、
「何が吹き上がっているんですか」と聞く私に、
「女性性が吹き上がってます!」とSさんは、それはそれは仰天して大きな声を上げていました。
そして、それから作業が終わり、夕方には下山した私達でしたが、またまたSさんが突然、
「上森さん、見られましたか!?」と言われるので、
「何が・・です? 何も見えませんでしたが・・」と訝る私に、
「山から人がついてきたんですよ」と言われるので、
「男性でしたか!?」と私が言うと、
「女性でした」と。 ・・それで、
「どのよう様な恰好をしていましたか」と問う私に、
「上から下まで白いドレスみたいな着物に紫の衣を羽織った気品のある女性でした。そして上森さんの前に行ったり、後ろに行ったりと、づっと山からついてきました」と。
そしてそれから二日後の16日(土)に大阪ドーンセンターで講演会をしたその場所に、「卑弥呼が現れた!」「卑弥呼が・・!」と、異様な空気に包まれた講演会でした。 その時、スピリチャルカメラマンのSさんも来場されていましたが、その時も又、Sさんは卑弥呼の姿を見たと言われ、他にも二人の方から、「私が何を成したかを世界中の人達に伝えてください!」と、私に伝えるように言って消えたと言うことでした。
・・・
今私は、鍼治療とテラファイトを取り得れたスタップサロン鍼灸院を開業していますが、院長の田中先生の施術を受けられた方々が口ぐちに、「紫の光を見ました」と言われる方々が沢山居られて、そして施術を終わられた方々がくつろがれるテーブルの場所に、私が穴掘りをさせられ、鶴であり亀であるモニュメントのところに映し出された不思議な光の滝の写真を飾っているのですが、 その光の紫とがあまりにもイメージ的に重なってしまって、テラファイトの新モデルの色調を、白と紫に決めました。 そして・・、それまでいろいろな名前が登場しましたが、 「テラファイト卑弥呼」 と命名しました。
卑弥呼さんはこの我国で、紀元前920年代に北と南に分裂したユダヤの民の歴史を又、この我国で、北の王家の流れを組む人達と南の王家の流れを組む人達の勢力とが、真っ二つにいがみ合う状態になり、「私も年ですし・・」と、自ら身を引くことで、この我国を二分する戦いから自分の命と引き換えにこの世を去りました。
「私が何を成したかを世界中の人達に伝えてください!」という所以がここにあります。
・・・
「卑弥呼 世界に行くわよ!」と 卑弥呼さんの声が聞こえてきました。
そして・・・、アメリカから早や1個の注文が入ってきました。
・・・と、いうことで、今、世界中で今までの歴史にない激烈な宗教感、価値観の違いからくる不安定な世界情勢の暗雲を鎮めるために、卑弥呼さんが今の時代になって登場されたようです。
夜明けの晩に 鶴と亀が統った! と、「かごめかごめの唄」は歌っていますが、
夜明け前のように、一番暗い真っ暗闇に世界中がなったその時、 鶴 と 亀 を統合しなさい!
と教えていました。
いよいよ卑弥呼さんの登場の時のようです。
「卑弥呼さんの墓を開いて立証することが世界平和の扉を開ける第一歩」と言いましたが、
その卑弥呼とは魏志倭人伝に記載された248年に自ら入定した女王卑弥呼のことです。
場所は兵庫県神崎郡神河町大山です。
134、766 35、10 (東経134度46分 北緯35度6分34秒) あたりです。
陵墓は朝日輝き夕日が照らす標高779mの地点にあります。
魏志倭人伝に書かれている248年に亡くなった「女王卑弥呼の墓の立証」こそが世界平和への扉を開く第一歩です。
山には名前もありませんでしたので、「婀月山(あづきやま)」と私が命名しました。
また私は、卑弥呼という呼び方には尊敬すべく人を呼び捨てしているように感じてしまうので、親しみを込めて「卑弥呼おばさん」と呼ぶことにしていますが、卑弥呼おばさんの幼少の頃は、「“あづき”と呼ばれていました」と、卑弥呼おばさんに教えられましたので、、「婀月山(あづきやま)」と命名しました。
自ずから月の世界へと旅立った女王様でもあり、女偏に始まりの阿で、婀はたおやかであり、朝日、夕日にと一日中神河町に悠然とその姿で見守ってくれています。
彼女のお墓の立証こそが、新たなステージの始まりでもある「阿」の意味であり、「婀」です。
お墓の地底探査を第一回目を2012年6月14日に行い、2回目を2012年7月9日に行いましたが、明らかに人工的であり、非鉄金属反応も捕えました。
お墓の調査記録もまとめていますので参照ください。
女王卑弥呼の墓は、九州説や大和説などたくさんありますが、魏志倭人伝に記載された内容全てにおいて合致するのは、神河町の婀月山だけです。
また、このことを立証すべく山を使って巨大な地上絵群がこの地域にあり、特に一対のメノラーの地上絵と亀壺はこれを十二分に証明補完するものです。
にわかに信じがたいことでしょうが、今から2000年ほど前に世界に先駆けて、モーセの律法を第一とする理想的平和国家の建設に命を捧げた人達がいます。
その賢者の中に特に秀でた大国主命が居ました。そしてその大国主命が実はイエス・キリストであり神武天皇でした。
ここは長くなりますので、別紙参照ください。
(別紙 大国主=神武天皇=イエス・キリスト 保存その1 保存その2 保存その3 保存その4 保存その5 保存その6 保存その7)
『日本の国内に アブラハムの父テラの墓、アブラハムの墓、モーゼの墓、イエス・キリストの墓がある』
『日本の国内に アブラハムの父テラの墓、アブラハムの墓、モーゼの墓、イエス・キリストの墓がある』
世界中の人々に この事実を知らしめることは、これまで教えられてきた歴史、宗教観が大きく覆されることになり、世界を混乱状態に陥らせている宗教戦争も止むことになるでしょう。
脳をリラックスさせるスローα波に変えシューマン共鳴を起こすことのできるテラファイトを作らされてから、実に不思議な出来事が次々に身の上に起こった私が、空海様の神霊に導かれて、これらの墓を発見することになりました。
私が特定した墓は、先ず兵庫県神崎郡神河町にある女王卑弥呼の墓を立証することで順次あかされていくことと思われます。
魏志倭人伝に記載された内容全てにおいて合致するのは、九州説でもなく、大和説でもなく、この墓のみです。
このことを裏づけるべく山を使っての巨大な地上絵群がこの地域にあり、特に一対の巨大なメノラーの地上絵と亀壺は圧巻です。
信じ難いことと思われるでしょうが、今から2000年ほど前に、世界に先駆けてモーゼの律法に基づいて、理想的平和国家の建設に心血を注いだ賢者たちがおり、その中で中心的存在となっていたのが大国主命です。その大国主命こそが実は、イエス・キリストであり、神武天皇でした。
我が国は イエスの下で大いに平和的に国造りが行われましたが、イエスの死後70~80年ほど リーダー争いで戦場と化しました。
それがいわゆる倭国大乱です。
イエスと共に国造りに励んだ人々は、この哀れな惨状にこの国を後にして大陸へと帰って行きましたが、その後、この国に残った知恵ある賢者たちは再び平和国家を夢見て、イエスの直系である姫御子を女王として共立して、平和国家建設が再度行われました。
それが女王卑弥呼です。
卑弥呼の当初の主だった勤めは、モーゼやイエスの墓守だったようです。
首都纏向(奈良県)が政体を掌り、国体を司る卑弥呼が居住した聖地は、播磨国風土記で表記される埴岡の里、現在の神崎郡神河町と朝来市生野町にまたがる地域で、居城は神河町の「栗」という所でした。
生野には鶴と亀の巨大な地上絵が造られており、そこには地下神殿があります。
当時、地下神殿にはモーゼとイエスが祀られており、卑弥呼はそれを守っていました。
いつの頃からか日本で歌い継がれている童謡「かごめかごめ」と「とおりゃんせ」の唄の歌詞は、ヘブライ語で意味のあるものとなっています。
また、イスラエル国歌で歌われている「シオン」とは、正しくこの生野の地下神殿のことです。
イスラエルの民が2000年も切望している聖地シオンを証明することが世界平和に繋がることは間違いありません。
その為に一刻も早く卑弥呼の墓が立証される必要に迫られています。
卑弥呼の墓はすでに2回、ドイツ製の探査レーダーで地底探査を行いましたが、非鉄金属の反応も捉えられ、ただの自然の山でなく、人工的であることが分かっています。
ヘリコプターで重機を山頂に運んで掘削作業を行えば、実質一週間もあれば墓を開けることができます。
世界平和への第一歩はここから始まります。
イスラエル国歌
浦島太郎とかごめかごめ
邪馬壹国 保存その1
邪馬壹国 保存その2
邪馬壹国 保存その3
女王卑弥呼の墓 保存その1
女王卑弥呼の墓 保存その2
どうして「あづきちゃん」は神河町の栗に連れて来られたのでしょう。
その謎を解く鍵が、イエス・キリストの生命の樹(カバラ)にあります。
そして、女王卑弥呼への朝見ルートも又、生命の樹のセンターラインを意識しています。
イエス・キリストがカバラの王冠にあたる場所のポイントに八幡山という場所を設定していますが、八幡山は人工的山であり、カバラのセンターラインを引き通し教える山も、八幡山山頂より数百メートル離れた場所に造営されています。
石室に入ると、そこには男女の遺体が布団をかぶって眠るように並んでいることでしょう。
向かって右側に男性、左に卑弥呼。そして離れた場所に男性の遺体がもう一体。
石室の中には合計3人のご遺体があります。
そしてそこにはもう一セット作られていた天皇家の3種の神器もあることでしょう。