かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

秦河勝の墓は古代大王たちが眠る直角三角形の重心に造営されている

2019-07-08 15:22:14 | かごめかごめの真実とは

2019年7月9日(火)

神河町長谷 山中には、女王卑弥呼の山城の城壁である神籠石が残っています。

私は来週、千島学説を実践している方々の集まり山口県へと行くことになっていますが、「山口県に何があるのだろう??」とネットで調べてみたら、山口県田布施町にも石城山神籠石(いわきさんこうごいし)という遥か古墳時代以前に造られたと思われる謎の石組みがあることを教えられました。

それでいつものように地理院地図と向かい合うと、いつものように睡魔が襲ってきて・・、目が覚めるとすぐさま図形が出来上がりました。

結論です!

下の図形は、石城山には古代大王の墓があることを教えています。

石城山神籠石のポイントは、モーセの墓と天照大神=アブラハムの父・テラの墓である神野山王塚との三点で、5:12:13の整数比の直角三角形を描きます。

見事です!

そしてこの直角三角形の重心となる場所が兵庫県赤穂市の生島であり、この島を秦河勝はお墓にしています。

日本列島の中で、これら大王(大神)たちに守られて眠りに就く場所を秦氏は選定したのでしょう。

そして・・島の名は、蘇えり生まれかわりを約束するかのように「生島」と呼ばせたと聞こえてきます。

見事です!!

石城山に眠る古代大王とは何と呼ばれた神様なのだろうか・・??

 

 


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応神天皇の墓と仁徳天皇の墓は兵庫県神崎郡にあります!

2019-07-08 03:28:58 | かごめかごめの真実とは

2019年7月8日(月

ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産委員会は6日、宮内庁が「仁徳天皇陵」として管理する「大山(だいせん)古墳」など「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」(大阪府)を世界文化遺産に登録することを決めた。

この発表には柿本人麻呂さんも行基さんも大変喜んで居られることでしょう。 

この応神天皇陵や仁徳天皇陵ですが、これらの古墳をお墓と思い込んでいる人が大半なのではないでしょうか。

少なくとも応神天皇陵と仁徳天皇陵は、公的な墓標であってお墓ではありません。

応神天皇と仁徳天皇の亡骸を葬った本当のお墓は、播磨国風土記に記された埴岡の里、現在の神崎郡の神河町とその南に隣接する市川町にあります。

又、歴史では応神天皇の子が仁徳天皇であるように語られていますが、その二人の間に二人を繋ぐ王が存在しています。

その三人、つまり親子三代の墓が埴岡の里に存在しています。

その三人は二等辺三角形で描く位置に存在しています。

 
住所:兵庫県福崎町田口(付近の住所。正確な所属を示すとは限らない。)
35度0分41.39秒 134度42分30.76秒
35.011497,134.708546
 
 
住所:兵庫県神河町鍛治(付近の住所。正確な所属を示すとは限らない。)
35度4分36.20秒 134度45分30.81秒
35.076721,134.758558


 
住所:兵庫県市川町美佐(付近の住所。正確な所属を示すとは限らない。)
35度2分55.60秒 134度43分27.52秒
35.048777,134.724312
 
 


 

下の赤丸の場所が仁徳天皇のお墓です。

 

 下の赤丸の場所が応神天皇のお墓です。

 


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