かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

最澄さまと空海さまがご対面

2016-06-25 07:11:11 | かごめかごめの真実とは

2016年6月25日(土)

 明日は最澄様の御命日です。 AD822年6月26日この世を去られました。享年56歳とのことです。

最澄様の命日に、比叡山延暦寺根本中堂から最澄様の思いを胸に、卑弥呼さんとイエス様に手を合わせたいと思います。

根本中堂からご本尊様に手を合わせると、ご本尊様の向こうに卑弥呼さまの陵墓があり、その先にイエス・キリストの遺体が埋められた陵墓に手を合わせるように最澄様は設計されました。

最澄様の心にくい建築設計をとくとご覧になって、最澄様の御霊に触れていただきたいと思います。

明日のツアーには一緒に空海さまも行かれることでしょう。 1200年ぶりの再会なのでしょう。

根本中堂と金剛峯寺金堂の位置は、和気清麻呂の指示によるものと私は思います。

根本中堂から卑弥呼さん陵墓までと、高野山金剛峯寺金堂前にある弁天池までの距離はほぼ同じ距離です。

1200年前はキッチリと同距離であったと私は推測します。

弁天池の島の社には普通は弁財天ですが、ここ高野では、「善女竜王」として祀られていました。

そこから神河町にある卑弥呼の陵墓へとラインを引くと、山頂に弁天岳(984.2m)と名が付いた山。

この山から卑弥呼の陵墓まで遮る山は一つもありません。

この弁天岳から大比叡(848.1m)までも遮る山は一つもありません。

でも、卑弥呼の陵墓と大比叡の間は山で遮られています。

最澄様と空海さまは、間違いなく、平安京を造った第50代桓武天皇や和気清麻呂らの指示のもとに任務を忠実に遂行したことでしょう。

平安京の生命の樹(カバラ)もそのことを教えていました。

そして、空海さまは、高野山金剛峯寺金堂で手を合わせると、桓武天皇と和気清麻呂に手を合わすように造りました。(現在の神護寺です)

清麻呂氏も又、イエスの陵墓やイエス王家の陵墓を意識したポイントに、そちらに手を合わせるように建物も設計されていました。

もう、初代大王イエス・キリストと、その血を受けつぐ女王卑弥呼が何を成したかとそれらの真実を、平安京を造った人達は皆、ご存じでした。

この大地に、幾重にも幾重にも壮大なスケールで、三角法を駆使して幾千年経ても消えることのない記録を残してくれていまた。

かごめかごめの唄と、とおりゃんせの唄は、これらのことを教えていました。

 

 

    


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