長尾景虎の戯言

読んだり聞いたりして面白かった物語やお噺等についてや感じたこと等を、その折々の気分で口調を変えて語っています。

島田荘司著【写楽(閉じられた国の幻)上・下】

2017-08-18 22:56:41 | 本と雑誌

主人公佐藤貞三は、東大に入ったが、一般の企業に就職することを嫌い、大学院に行こうと考えたが、成績は東大では無理だった。それで、N大学芸術学部で修士課程を修了し、江戸美術を講じる教員の職を見つけた。
講師になった年、いきなり縁談があった。
どうしたことか、学長がらみの大袈裟な話で、世間的な基準からすれば、すこぶるつきによい話だった。
総合商社M物産の重役の一人娘で、川崎市で生まれ育ち、準ミス川崎に選ばれた経歴を持つ、小坂千恵子という女だった。
なんのことはない、完璧な条件を誇る娘の親が、妥協を許さず、結局えり好みしているうちに、行き遅れただけだ。
東大出ということで佐藤に白羽の矢が向いた、最低の条件として教授になることだった。
しかし大学の政変に巻き込まれ、気づけば大学を出ることになってしまっていた。
長野県塩尻市の日本浮世絵美術館の学芸員の欠員ができ、佐藤を引っ張ってくれた。
妻も義父も猛反対だった。
しかし浮世絵美術館時代、よく旅行をし北斎の研究調査し論文にまとめた。
それをがたまった時、出版の話になった。
全部義父の援助があってのことだった。
しかしそれがやっかまれて、結局美術館を締め出された。
それで塾の講師をやることになった。
そして、佐藤は自分のミスで、子供を死なせてしまった.
六本木の回転ドアに頭を挟まれたのだった。
千恵子の不妊治療の末、やっと生まれた、一粒種だった。
激怒した千恵子に家から追いやられ、やむなく千恵子所有の1DKのマンションに身を置いた。
塒があるだけで、ホームレス同然となった。
義父の秘書の三宅からの連絡で、六本木の回転ドア事故を、責任当事者でない関連技術者や学識経験者が集まって、第三者機関としてチームを組み、原因究明をしているのだが、そこがこれまで摑んだ事実を、父親の佐藤に説明したいと言ってきているようだった。
そこで東大工学部教授の片桐と出会った。
なんとそれは女性で、しかも外国人かハーフのようであった。
しかし、佐藤にとって、事故原因などもうどうでもよかった、息子はかえってこないのだ。
佐藤を支えているのは、大阪中央図書館の地下で見つけた、江戸期のものと思しき肉筆画であった。
それはみょうな絵で、画の字が一に田になっている文字があり、妙なアルファベットが書いてあった。
初期の歌麿のものか?いやこれは決して美人画ではなく、醜女の絵であった。
すると、写楽か…?
この絵をお守りのように持ち歩いていた。
もうこれ以上落ちることはないと思っていたら、以前著書を出した出版社の編集者常世田からの連絡で、週間Tで「佐藤貞三の北斎論文は間違いだらけだと、浮世絵同人研究会が、大々的に論陣を張っている、まるでペテン師だと言わんばかりに…」掲載されているとのことだった。
同人研究会会長の友田という人物は、悪名高いMK物産の会長で、六本木の回転ドア事件のミツワ・シャッターの会長の親戚筋という話だ。
これで佐藤は世間に、悪名をさらすことになった。
塾の生徒も、取材陣に驚き、次から次と辞めていき閉鎖となった。。
どん底の男が挽回をするには対抗する本を出版するしかない、しかも時間がない。
佐藤は写楽の謎に挑むことにした。
たった10カ月だけ江戸に出現し、彼が何者だったか、誰も知らない。
ただ浮世絵だけが残っているだけである。
写楽の版元耕書堂の蔦屋重三郎は、この謎の新人絵師を歌麿なみの待遇で扱っている。
重三郎は写楽の人物像にいっさい触れていない。
それだけではない、耕書堂にしょっちゅ出入りしている、絵師たち歌麿、北斎、また食客だった十返舎一九、そのほか彫師、摺師、戯作者、狂歌人これらの誰ひとり写楽の正体について話していない。
何人も自分が写楽だと名乗ってもいない。
忽然と現れ、忽然と消えた。
この謎に挑戦することで、起死回生の反撃になる。
最初写楽は、例の肉筆画から、平賀源内ではないかと考えたが、これはあり得ないとわかり、袋小路に入ってしまう。
しかし佐藤は、とんでもない事を考えつくのだった…。
それは「写楽探し」の常識を根底から覆すものだった…。
著者は歴史を独特の視点から独自の世界観で描くのだが、今回の発想にはさすがに度肝を抜かれた。
著者の作品で江戸時代ものをあつかったのには、「暗闇団子」という中編の秀作があったが、それよりずっと出来がよいと思われる。