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■科学技術書・理工学書ブックレビュー■「江戸の理系力」(浮島さとし他著/洋泉社)

2014-07-01 11:31:37 |    科学技術全般

書名:江戸の理系力

著者:浮島さとし/武内孝夫/樽 永/望月昭明/森村宗冬/安田清人

編者:洋泉社編集部

発行:洋泉社

目次:第1章  江戸の天文暦学(暦の誕生/天文学と陰陽道 ほか)
     第2章 江戸の測量術(測量技術のあけぼの/太閤検地と国絵図 ほか)
    第3章 江戸の医学(江戸時代までの日本医学/発展する漢方医学 ほか)
    第4章 江戸の数学・和算(庶民の数学・和算/娯楽として発達した和算 ほか)
    第5章 江戸を彩る理系人たち(平賀源内/岩橋善兵衛 ほか)

 江戸時代は、それまで続いていた戦国の時代から抜け出し、日本に平和がやって来た時代である。少なくとも表面上は人々は安心して暮らせる時代がやっと到来したわけだ。江戸幕府が天下統一を指揮したわけであるが、その頃の庶民は、日本国民という意識はなかったようで、私は何々村の○○だという意識しか通常はなかったようである。まあ、それでも支障なく生きていけたわけで、幸福な面も多々あったであろう。そして、多くの庶民は、農民として生計を営んでいた。科学技術については、江戸幕府は原則禁止のお触れを出していたが、これは武器を勝手につくらせないためとも言われている。それでも、科学技術に興味を持った人物は、武器ではない、例えば、からくり人形をつくることで幕府の目を逃れたという。そのため、江戸時代につくられたからくり人形は数が多く、質も高い。そんなことを考えると、からくり人形以外に、江戸時代の科学技術には見るべきものはないと、通常は思われる。ところが、仔細に調べて行くと、日本初のオリジナルの暦の制作、当時世界最高水準の地図、世界初の全身麻酔手術など、世界水準に達しているもの、あるいはそれを超えているものすらあったことが、最近になり次第に明らかになってきた。同書は、江戸時代の科学技術入門書として、各分野ごとに豊富な写真も交えて、易しく紹介している。

 同書の全体の半分は、「第1章  江戸の天文暦学」と「第2章 江戸の測量術」に割かれている。中でも天文暦学者であり、日本独自の暦を考案し、幕府の初代天文方をつとめた渋川春海の偉業が生き生きと描かれ、興味深い。渋川春海の役職は「碁方」、つまり幕府お抱えの碁打ちであったというから面白い。考えてみれば、当時は、ゲーム感覚より科学技術的感覚で碁が見られていたのかもしれない。その頃、800年以上使われてきた宣明暦は、狂いが大きくなり、夏至や冬至が2日もずれ込んだり、日食や月食の予測を外すことが多くなって問題となっていたという。そこで、渋川春海は、中国の授時暦に改歴すべきと、幕府に意見書を提出した。しかし、意見書から2年後の日食で、春海推奨の授時暦が予測を外し、制度が悪いはずの宣明暦が的中してしまう。その原因は、中国と日本の経度の違いに原因があると考えた春海は、改良版の授時暦をつくり出すことに成功した。春海が考案した暦は、幕府により採用が決まり、ここに日本初の暦が採用されるという画期的なことが実現したのだ。このことは、渋川春海の測量や天文に対する技術力が国際的にみても高かったということのほか、幕府の科学技術に対する理解力もなかなかのものだったことを窺わせる。今現在でも、新しい科学技術に関しては、なかなか理解が得られないことも少なくないことを考えると、渋川春海を登用し、その能力を活用した、当時の幕府の科学技術政策への取り組みも適切であったと考えるべきであろう。

 「第3章 江戸の医学」では、当時の日本の東洋医学者が蘭学を学び、西洋の医学を必死に学ぶ姿が活写される。ただただ真剣に西洋医学を学ぼうとした当時の医者たちは、一人でも多くの患者の命を救いたいと必死であったことが容易に推察される。ほとんどの患者がなすすべもなく死に至る様を数多く見聞きしていた当時の医者の悪戦苦闘の様子が文章から伝わってくる。そして、そんな日本の医学も、遂に世界に追い付き、世界を抜き去る快挙を成し遂げる。それは、江戸時代後期のことで、紀州の華岡青洲が乳がんの摘出手術に成功したのである。成功に導いたのは、全身麻酔であった。アメリカの歯科医ウィイリアム・モートンが全身麻酔による手術に成功するのが、その42年後であり、まさに、世界初の快挙であったわけである。同書では、このよく知られた華岡青洲の快挙が成し遂げられるまでの経緯が詳細に紹介されている。この全身麻酔の手術が行われたのは、文化元年(1804年)10月13日であったが、この時使われた麻酔薬は青洲のオリジナルではなく、既に日本人の手によって生み出されていた麻酔薬を基に、青洲が独自に改良したものであった。このことは何を意味するのか。つまり、青洲の全身麻酔の手術の世界初の快挙は、当時の日本の医学のレベルが既に世界的な水準にあったことを意味するのだ。

 「第4章 江戸の数学・和算」では、今ではもう多くの人が知っている関考和の話が出てくるが、関考和という天才が一人で成し遂げた和算の業績そのものに加えて、当時の日本人が、数学に対し異常に関心が高かったことに注目すべきであろう。日本各地に数学の研究グループができ、互いに問題を出し合いながら、解答していくという集まりであった。当時の和算の解答が描かれた絵馬が今でも各地の神社に残されている。当時は、今のような娯楽が少なかった分、大衆の興味が数学に向かったとも考えられるが、数学の研究グループが全国各地に広がっていたというような国は、当時果たして日本以外にあったのであろうか。関考和の和算の業績は、ライプニッツの微分・積分に並ぶ偉業という評価を下す人もいるほど、当時の日本の和算は、世界レベルに引けを取らない域に達していた。明治維新になって、日本は急速に西洋の科学技術力を吸収できたが、その原因は、和算を習得していたことにあるという指摘がある。つまり、当時の日本人が初めて西洋の数学に接しても少しも動揺しなかったのは、和算でほぼ同様な概念を習得していたからだという。同書は、単に江戸時代の科学技術の表面的な事実を知ること以上に、当時の日本人がどのようにして科学技術を習得していったのかの過程が紹介されていることに、真の価値がある書籍といえよう。(勝 未来)


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