中世山城 津和野三本松城跡
文永11年(1274)、弘安4年(1281)の元(蒙古)軍の北九州・北浦への来襲を受け、鎌倉幕府は西石見の海岸防備を吉見頼行に命じた。頼行は弘安5年(1282)家来とともに能登から木曽野(津和野町北西部)に地頭として入り、永仁3年(1295)この城山山脈に築城を始めた。
ふ~ん、吉見氏は能登から来たんだ
以後吉見氏は14代300年間、随時増築補強を行い、城山山脈の諸所に曲輪・堀切・竪堀・横堀などを構築して堅固な中世山城(一本松城あるいは三本松城と呼ばれた)を築いた。
城山山脈なんて大袈裟な
東門跡
ここは当城の東門、坂崎氏以後亀井氏の代には大手門となっていたところである。
ダラダラブログは続くよ ど~こまでも♪
(1)の写真を削除してしまったのですねーw
ふふ。タケホープさんらしいと言えばそうですな
でも問題なーし。(2)(3)でカバーできてますもん!
津和野に行きたかった→行きたい。
そうですよね、過去形にせずこれから行けばいいんだ
ここでいろいろと学習して頭に入れておきますねー
それがいいそれがいいと言いました。まる!
津和野行きの夢が広がるぴよ丸ですた
旅行会社の回し者かっ!
このあと、太皷谷稲成神社に行って、昼ごはん食べて、SLを見て、乙女峠から千人塚まで歩き、津和野温泉に入って帰りました。5月中に投稿出来るかなぁ?
あと、行ったことがないけど、永明寺(ようめいじ)、安野光雅美術館、津和野カトリック教会、旧堀氏庭園、鷲原八幡宮、西周(にしあまね)旧居、森鴎外旧宅はどうでしょう。
全部は1日で回れませんね。アハハ
それから、浅見光彦シリーズが好きだったら「津和野殺人事件」みたいなタイトルの本を読んで行くとより一層旅が楽しくなると思います
運命的です。
内田さんは、大好きな作家の内の一人でした。読者登録をしていただいているhanaさんの記事で、内田さんが亡くなられたことを知りました。その時、hanaさんの記事にコメントを投稿すれば良かったのですが面倒くさがりなのでしませんでした。
内田さんを偲んで追想録の全文を載せます。(いいのかなぁ)
名探偵を翻弄、爽快な作品
名探偵「浅見光彦」を生み出した希代のベストセラー作家は茶目っ気にあふれていた。主人公を振り回す作家として作中に自ら。
病で倒れ、未完となった最後の小説「孤道」を公募で完結させるプロジェクトには、こんな一文を寄せた。「僕が休筆すると聞いて、浅見光彦は『これで軽井沢のセンセに、あることないことを書かれなくてすむ』と思うことでしょう」
疎開も経験した戦中派で主人公が追う事件のルーツが太平洋戦争中にさかのぼることも多かった。
平和を願い、「昭和一桁の最後に生まれた世代として、書き残さなければいけないことがある」との思いがあった。
著作の累計発行部数は1億部を超えるが、デビューは46歳と遅く、最初は自費出版だった。プロットを作らず書き進め、最後は絡み合った糸がほぐれるような爽快さがあった。好奇心旺盛で、作品の舞台となる土地の歴史や文化を丹念に調べた。地元の人にも丁寧に取材し、会った人の多くが内田ファンになった。
お別れの会は開かず、長野・軽井沢の浅見光彦記念館に1ヵ月、献花台が置かれた。読者を大切にしたセンセらしい計らいだ。多くのファンが花を手向け、愛する作家との別れを惜しんだ。
=3月13日没、83歳 (神谷浩司)
登場が抜けていました
さすが~見どころ満載、教えていただいて感謝です♪
これは本格的に計画を立てねば
本当に綺麗な風景...
爽やかでぴよ丸もその場にいるように感じました。
いつものケチケチ旅行じゃなくて、少しリッチに行きたいなぁ~
ありがとございましたー
いろんな思いが込み上げてきますねぇ~