中2の孫は来年は3年生だから来年の夏休みは大変だなと思いながら、
話していたら爺の勘違いで中1でした。日ごろ孫のことは婆さんが気配り
をしているのでこういう時、ずれが出てしまいます。
夜、孫4人を中心に嫁さんの母親もふくめて「宴」となり、高2は大人の
仲間ですが、小3の長女の女の子と小2の長男の男の子は玩具で大騒
ぎ、中1はそれに係わらず本を読んでいる。こんな風なつながりが身内
感覚を深めるのでしょう。
そういえば、10月に母親系のいとこ会が予定されていました。母親の
兄弟は6人で従兄弟は17人、亡くなったのは3人で14人はこの間のいと
こ会などを通して交流は深まっています。同じ従兄弟でも個々に見れば
かなり付き合いの程度が違うので、身内感覚というか従兄弟気分という
かその度合いにはかなり差があるものです。
私達の世代、昭和の一ケタから終戦前後の生まれまでは、親兄弟の
人数も従兄弟になる人数もかなりであったでしょうが、その子供の数
となると一気に減るのではないでしょうか。少なく生んで大きく育てる、
などといわれたりしました。kaeru家で言えば子ども二人がそれぞれ
子ども二人で、我々の孫として4人、従兄弟としても4人。
数が少なければ、関わりも狭くなるでしょう。多ければいいというも
のではないにしても、人の感情が人間関係のなかで育まれるもので
ある以上その量的な拡大は、質的な豊かさを生み出す可能性を大き
くすると考え得るでしょう。
それだけに、普段全く接触のない四人の孫が、この夏休みという短い
期間できるだけ触れあい、好印象を思いのなかに組み入れ大きくなっ
ても良い関係として再生産されれば嬉しいことだと思います。
そんなことで、動きの激しい小学生低学年組の煽られながら、爺とし
ての役割を果たしつつ疲れていきます。