人生を支え、導いてくれたことばがある。
➀「幸せってなんだろうね?」(大学時代の恩師)
➁「子育ては10年」(職場の上司)
➂「家族が一番の幸せだ」(渡辺昇一)
➃「何のために生きているのか考えたこともない」(猫と暮らすミサエおばあちゃん)
⑤「毎日、楽しく暮らしなさい」(ショートコースで出会ったオジイサン)
➀「幸せってなんだろうね?」
大学生の頃、研究室の教授から唐突に問われた。
卒論の相談に訪れた時だった。
待ってましたかのようなの質問だった。
「〇〇君の幸せって何?」
「子どもの頃はチョコレートを腹いっぱい食べることでした」
昭和30年代の子どもはだいたいそう思っていたハズだ。
「今は?」
「今はカノジョと結婚することです」
記憶ではたぶんそんなふうに答えたハズだ。
すると、教授が待ってましたとばかりに難解なことを言い出した。
「幸せってイロイロあるよね」
「はぁ」
「幸せってシゴなんだよ!」
教授はその後も話を続けていたが、ワタクシは「シゴ」のところで思考が止まってしまい、後のことはゼンゼン覚えていない。
「シゴ」って何?
その時のワタクシは「シゴ」を「死後」と解釈していた。
幸せって死んだ後にやって来るのか・・・
しかし、その後「シゴ」は「死後」ではなく「死語」なんじゃないかと思い当たった。
「幸せって死語なんだよ!」
教授はそういう話をしていたんだ!
チッ!
最後まで話を聞いておけばよかった・・・
幸せって死語?
死んだことば?
あるとしたら、幸せって何だろうか?
幸せって何だろうか?
これが大げさだけれども、ワタクシの人生を賭けた問いになってしまった。
・就職した!
・結婚した!
・子どもが生まれた!
・家を建てた!
・出世をしなかった!
幸せだった。
これが幸せなのだろうか?
ほかにある幸せって何だろうか?
その問いに対する答えが見つかったのは、もう退職の白いテープが見え始めた頃だった。
その時はもう子どもたちはそれぞれにわが家から巣立って、家には伴侶と二人で暮らしていた。
ある日、ふと思ったんだ!
「幸せって伴侶が幸せであるということだ!」
それ以外の、それ以上の答えはないように思われた。
幸せとは伴侶の幸せ!
言い換えると、幸せというのは自分のことではなく、人に対することなのだ。
➂渡辺昇一氏、晩年の本の中に「凡人にとって本当の幸せは家族である」という章がある。
なんだ、偉い学者の人も自分たちと同じようなことに行き着くものだなと感じた。
今、ワタクシは考えている。
幸せとは➀健康>➁家族>➂お金であると。
幸せ基準が働いている時と多少は変わった。
健康が第一になった。
あの時、人生を賭けた問いを与えてくれた教授には感謝している。
教授も問い続けていたのだろうか?
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