医療・介護を支える継続企業の知恵袋          ㈱Kaeマネジメント 代表取締役 駒形和哉

毎日ブログを書き続けもうすぐ10年になります。2025年、2042年に向けた医療介護の厳しい時代を乗り切る策を考えます。

おねだり

2019-07-15 05:19:28 | 薬局

n私はナマケモノだと思う。

 

新しい事業に取り組みだす時は全速力で努力する。

医薬品卸に勤務していた時も、与えられた仕事には、自分なりに一生懸命取り組んだつもりだ。

入社して5年ほどは営業だった。

今のようにMSなどとは言わない。

単にセールスと呼ばれていた。

小回りが利く調子のいい営業だったと思う。

お陰様で得意先からは“コマちゃん”と呼ばれ、営業成績も上々だった。

 

そんな調子の良さと薬剤師だったのが見込まれたのか、28歳からはコンサル部門の立ち上げを任される。

今でこそ医薬品卸には、それらしき部署があるが、当時はどこにもそんなコンサル部門などなかった。

大阪のコンサル会社で3ヶ月の研修を受け、どこにも見本がない中での船だちである。

その時に公大(現専務)がお腹の中にいた。

ある程度の路線が出来上がると次の育成をする。

下が育つと自分は楽をし出す。

出来るだけいいとこ取りで手抜きが始まる。

 

40歳の時には薬局事業を任される。

この当時は医薬品卸が薬局を経営する事自体が腫れ物に触るような時代である。

地域の薬剤師会に気を使いながら、足繁く通って許しを得るところから始まる。

変な話だ。

薬剤師を取ったとか言われて謝りに行ったこともある。

そんな事実がなくても医薬品卸は弱い立場である。

 

薬局事業と同時に進めていたのが介護用品のレンタル業である。

介護保険が始まってうまく波に乗れた。

スタッフと一緒にベッドの搬入も手伝った。

ベッドのスペースを作るために部屋の掃除もした。

利用者が亡くなった家にもベッドの回収に行った。

そんなドタバタではあったが、利用者が望むレンタルサービスを提案するうちに事業は順調に伸びた。

北海道内ではダントツのレンタル業者になっていた。

後は、担当部長に任せるだけで数字が伸びた。

市場が伸びていたので当たり前だったのかもしれない。

私の役割は道内に7箇所あった事業所を周り、夜のねぎらいのスポンサーくらいになる。

 

そして50歳で一身上の都合により長年勤める会社を辞めた。

ここからは現在に至るである。

会社を辞めて3年ほどは行きつ戻りつ、鳴かず飛ばずの生活を余儀なく過ごした。

ある時に、自分が本当にやりたいことはなんだと問われて気がついた。

夢はでっかく背伸びしてみよう。

たった一度の人生じゃないか。

全国を飛び回る薬局のコンサルになろうと思った。

今は、それがどこまでできているのかは自分では分からない。

これでいいと満足できるレベルでもない。

ただ、そろそろ手抜きの虫が疼き出してきた。

自分がやりたい仕事を、自分がやりたいようにやる。

生意気だが入り口はできてきたように思う。

後は、誰かがやればいい。

かなり無責任である。

 

楽しい仲間と語り合い、美味しい郷土料理と地酒があればいい。

こんな考えだから事業に発展性がないのかもしれない。

 

もしここまで読んでくれた人がいたら感謝したい。

そして楽しい仲間と語り合い、美味しい郷土料理と地酒のチャンスを心待ちしている。

 

何となく昨日とかぶっているけど休みボケと許して欲しい。 

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