医療・介護を支える継続企業の知恵袋

毎日ブログを書き続け10年が過ぎました。2025年、2042年に向けた医療介護の厳しい時代を乗り切る策を考えます。

けんけん移動

2015-09-06 06:36:31 | 薬局
自分でひらく。

“道はじぶんでつくる 道は自分でひらく 人のつくったものはじぶんの道にはならない“
ご存知の人も多いかと思うが相田みつをさんの「道」の詩である。

なかなか難しい「道」だ。
どうしても他人に頼ってしまいがちになる。
それが「早道」のような勘違いもある。
もちろん人がつくった道を広く長く立派にしてきた人も多い。
でも、それはかなり立派な道が出来上がっていて、それを上手に進めて来た背景があったのかもしれない。

医薬分業が70%を超える現状で、新しく開局するのは難しい。
処方せんがたくさん出そうな病院は残り少ない。
残り少ない病院の前の不動産は手が出ないほどに高騰して、個人では高根の花だ。
新規で開業する診療所は多いが、既にかなりの飽和状態で、よほどに地方にでも行かないと患者は少ない。
診療所の経営は外来患者が30名も来ると十分成り立つが、薬局の処方せんが30枚では開局意欲も出ない。
薬局内に拘束される時間が多く、本来やりたい地域への活動など夢の中になる。
これからの若者に何かいい提案がないかと思案するが難しい。

せめて自らが営業をして「自分の道」を見出せればいいのだが、薬剤師に営業のセンスが欠ける。
新聞を読まない。
自ら積極的にコミュニケーションを取ろうとしない。
社会性が少し乏しい。
調剤室にこもりがちだと仕方がないかもしれない。

開局先の紹介がある。
新規で診療所が出来るとの情報が舞い込んでくる。
紹介した人はやらない。
自分でやるにはリスクが高すぎる。
本当に儲かりそうなら人には紹介しない。
私が薬局をやらないのは実力がないからかもしれないが、自分でやるにはリスクが高すぎる。
調剤が出来ない致命傷を抱えている。
紹介には紹介料が付いてくる。
もちろん何も求めない善意の人もいる。
人がつくった道には「通行料」が発生する。

何だかさびしい話だが、道は自分で拓くしかない。
志があれば何でもできる。
私が50歳で独立した3年間は厳しかった。
2010年に東京に出てきた話は既に書いた。

私には道がなかった。
高村光太郎さんの「僕の前に道はない。僕の後ろに道はできる」を信じて進む。

昨日から移動が始まった。
県から県へ。






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