花鳥の撮りカルテ

診療の合間をぬって鳥を撮っています。



6-3-1.サークルライン観光クルーズ

2018-07-16 08:00:00 | アメリカ合衆国

サークルライン観光クルーズはマンハッタンを2時間30分かけ1周する遊覧です。このサークラインは1908年

にはじまり、1955年から、マンハッタンのバッテリー公園から現在の42番街、西端ハドソン川の83埠頭から運

行されています。まずハドソン川を下り、次にイースト川、ハーレム川、スパイテン・タイウ”ィル川を上り、そして

再びハドソン川を下り、83埠頭に戻ってくるコースです。サークルラインの特徴として、橋の下を潜って見物がで

きること,景色、建物が遠景できることです。

これはサークルラインの遊覧船です。

マンハッタン:マッハタン区は、西をハドソン川、東をイースト川とハーレム川、北をスパイテン・ダイウ”ィル川、

南をアッパー・ニューヨーク湾によって囲まれています。幅は約4㎞、長さ約20kmで、ほぼ南北に細長い形状を

しています。面積は58.8㎢で、東京の山手線の内側にほぼ相当します。マンハッタン島は一枚の岩盤から構

成されており、島の大部分を構成している基盤岩はマンハッタン片岩と呼ばれる雲母の結晶片岩です。この岩

は強度が高く、高層ビルの建設に適しており、ダウンタウンとミッドタウンの表面はこの岩石に富んでおる為、こ

れらのエリアには高層ビルが多く建っています。また、イースト川には5本の橋が、ハーレム川には15本の橋が

架かっています。また、地下鉄の線路が7本走っています。これに対しニュージャージー州(ハドソン川)には橋

が1本、道路トンネルが2か所、鉄道トンネルが2本通っているのみです。橋が少ないのは意図的なものでマン

ハッタンからの経済流出を防ぐためです。マンハッタンの地名はインディアン部族のデラウェア語の「丘の多い

島」に因んでいます。1609年オランダ人の資金援助でマンハッタンにたどり着いたヘンリー・ハドソンの名がハ

ドソン川の由来となっています。1614年オランダの毛皮取引商が、商売のためマンハッタン島に到達し、ヨー

ロッパ人が初めてニューヨーク市域内の住人となりました。1625年マンハッタン島最南端にフォート・アムステ

ルダムが建設され、ニーウ・ネーデルラントの首都としてニーウ・アムステルダムがこの場所に設立されました。

この年が、ニューヨーク市の公式創立年となっています。1664年第二次英蘭戦争でイギリスが勝利し、この

地を制し、現在の市名ニューヨークに改名しました。1789年ジョージ・ワシントンが初代大統領に就任した年、

一年間だけニューヨークは最初の首都となりました。1898年マンハッタンとブロンクスだけであったニューヨーク

市にブルックリン、クイーンズ、スタテンアイランドを併合し、現在の5区となりました。1904年ニューヨーク市地

下鉄の最初の路線がマンハッタン島に開通しました。

ハドソン川:ハドソン川は主にニューヨーク州を流れ、大西洋に注ぐ川で、延長507kmあり、流域面積は36、2

60㎢あります。ヨーロッパ人で最初にこの川を発見したのは、1524年イタリア人のジョバンニ・ダ・ウ”ェラッ

ツァーノでした。名前は1609年にこの川の探検をおこなったヘンリー・ハドソンに由来します。オランダ人は

ニューヨーク市を流れるハドソン川を「北の川」、デラウェア川を「南の川」と呼びました。今も「ノース・リバー」を

冠した固有名詞が残っているのはこのためです。1825年12月26日にハドソン川とエリー湖をつなぐエリー運

河が完成し、五大湖周辺とヨーロッパ間が大西洋経由で繋がりました。なお、「ハドソン川の奇跡」と言われてい

る有名な事件があります。2009年1月15日にニューヨーク発シアトル行きのUSエアウェイズ1549便が

ニューヨーク市マンハッタン区付近のハドソン川に不時着水しました。この原因はカナダガンの群れに遭遇し、両

エンジンの同時バードストライキというレアケースによって両エンジンがフレームアウト(停止)し、飛行高度の維

持ができなくなりました。機長は高度と速度が低すぎるため、空港への着陸は不可能と判断し、市街地への墜

落を防ぐため、ハドソン川への緊急着水を決めました。離陸してから着水までわずか5分間、トラブル発生から

約3分後での出来事であり、また真冬であり、氷点下6度の気温、水温2度という状況下にもかかわらず、乗員・

乗客全員が無事生還しました。事故機は着水から約1時間後に水没しました。事故機は引き上げられ、原因究

明のため事故調査が行われました。その後2011年6月4日、カロライナズ航空博物館で公開されました。この

出来事は映画、テレビなどで取り上げられ、多くの人々から称賛されました。

なお、、マンハッタンにおける東西方向の道を「 丁目」、南北方向の道を「 番街」と呼称しています。一番大き

な通りは220丁目、13番街まであります。

イースト川:ニューヨーク市をながれる海峡です。長さは26km、アッパーニューヨーク湾からロングアイランド湾

にかけての水域をさします。クイーンズ、ブルックリン、などのロングアイランドとマンハッタン島、さらにはブロン

クスなどのアメリカ本土とを隔てています。ロングアイランド湾からヘルゲートにかけての上流域は湾になってい

るため川幅が広く、蛇行しながら流れます。ヘルゲートからニューヨーク湾にかけての下流域では、ほぼまっす

ぐに南北に流れていますが、上流域と比べるととても狭くなっています。川の北部でブロンクス川が合流し、下流

域ではニュータウン川が流入します。

ハーレム川:ニューヨーク市にある船舶航行の可能な海峡です。ハドソン川とイースト川の間の13kmを結んで

います。ハーレム川の現在のコースの一部は、スパイテン・ダイウ”ィル川です。ハーレム川には、7つの旋回

橋、3つの昇開橋および4つのアーチ橋が架かっています。16.8m未満の船高の船なら航行可能です。ハー

レム川は水源も河口もなく、実際には川と言う名は正しくありません。川は2つの大きな河川を接続しており、ハ

ドソン川から流れ、東125丁目とランドールズ島との間でイースト川となります。

スパイテン・ダイウ”ィル川:ニューヨーク市のハドソン川からハーレム運河(1895年完成)およびそれに隣接す

るハーレム川に至る水路です。この川はマンハッタン島とザ・ブロンクス(北米大陸)を隔てています。なお、スパ

イテン・ダイウ”ィルとは字義的には「悪魔のほとばしり」を意味します。これは、この辺りの海域で激しく荒々しい

潮流が見られることを表現しているものと思います。スパイテン・ダイウ”ィル川に1693年キングス・ブリッジが

できました。もともとこの川はマンハッタン島のマーブル・ヒルの北側を流れていましたが、1895年にマーブル・

ヒルの南側に現在のハーレム運河が建設され、マーブル・ヒルは島になりました。1914年にマーブル・ヒルの

北側を走っていた元のスパンテン・ダイウ”ィル川は埋め立てられ北米の一部となりました。現在はマーブル・ヒ

ルはブロンクス区と隣接していますが、行政上はマンハッタン区の一部となり、マンハッタン区の飛び地になって

います。さらに1930年代になって、この川の西側の付け替えが行われ、こちらは元々はブロンクスの土地だっ

た一部がマンハッタン島に取り付けられることになりました。この川には、スパイテン・ダイウ”ィル橋、ヘンリー

ドソン橋、ブロードウェイ橋が架かっています。

マンハッタンン区の旗。

ブロンクス区の旗。

ブロンクス区の紋章。

ブルックリンの旗。

ブルックリン区の紋章。

 

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6-3-2.ハドソン川側に建つビル

2018-07-16 07:00:00 | アメリカ合衆国

サークルラインの船がハドソン川の船着場を出港するなり、新しいビルが飛ぶこんで着ました。

マンハッタンの建築ブームは衰えを知らずで、名前のわからないビルが次から次へと建設されています。 

間もなくエンパイア・ステート・ビルディングが見えました。

 

 

 

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6-3-3.アッパー・マンハッタン

2018-07-16 06:00:00 | アメリカ合衆国

マンハッタンの59th(セントラルパーク南)より155丁目をアッパー・マンハッタンの間どこでも定義されます。こ

れらの上下する南端ラインの中で最も一般的に認識されているアッパー・マンハッタンの定義は96丁目より上

です。このアッパー・マンハッタンの定義では、マーブル・ヒル、インウッド、ワシントン・ハイツ、ハーレムおよび

アッパー・ウエスト・サイドの一部が該当します。19世紀後半、IRT9番街線および他の高架化された鉄道は、以

前は場末(田舎)であったアッパー・マンハッタンにスプロール現象(都市が無秩序に拡大してゆく現象)をもたら

しました。20世紀後半になるとアッパー・マンハッタンもジェントリフィケーション(高級化現象)が起こるようにな

りました。そのため多くの生粋のニューヨーク人はミッドタウン・マンハッタンからセントラルパークを隔てた距離

があることと、比較的家賃が安いことから、アッパー・マンハッタンからこの北部のエリアを除外します。さらに、

アッパー・ウエスト・サイドは、それより北のマンハッタンウ”ィル、モーニングサイド・ハイツやインウッドなどのエ

リアよりも裕福な層のエリアとなっています。アッパー・イースト・サイドも同様に、それより北のスパニッシュ・

ハーレムよりも裕福なエリアです。このように、アッパー・マンハッタンの南端を96丁目とみなす定義は、アッ

パー・イースト・サイドとの境界から来ています。アッパー・マンハッタンの全エリアはアップタウン(59丁目より上

のエリア)としてニューヨーカーに知られるエリアに含まれます。多くの外国公館はアッパー・イースト・サイドの古

い大邸宅に位置しています。

 

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6-3-3-1.アッパー・マンハッタン( 橋1)

2018-07-16 05:00:00 | アメリカ合衆国

サークルラインの船から、イースト川、ハーレム川、スパイテン・ダイウ”ィル川、ハドソン川に架かる橋を順次見

ていきます。なお、ブルックリン橋、マンハッタン橋、ウィリアムズバーグ橋、エド・コッチ・クイーンズボロ橋はあま

りにも有名な橋なので、別の章で載せます。まずイースト川に架かる橋の中で、エド・コッチ・クイーンズボロ橋よ

り北に架かる橋から見ていきます。

この橋はルーズベルト・アイランド橋です。この橋はイースト川のイースト海峡を横断し、クイーンズ区とルーズ

ベルト島を結んでいる橋で、1952年3月17日、650万ドルのコストをかけて建設が始まりました。1955年5月

18日にウェルフェア・・アイランド橋として開通しました。この名称は1973年にルーズベルト・アイランド橋へと

改名されました。道路橋で、2車線、1歩道あり(乗り物および徒歩による唯一の島へのアクセスルートです)、昇

開橋です。開橋時には、船には高さ30mの空間があり、長さは、全長877m、幅は12m、メインスパンは127

mあります。ルーズベルト島はイースト川の中に位置する島で、面積は0.6k㎡、大学の移転や企業の移転で、

先進的なシリコンアイランドへと変貌しつつあります。

左がクイーズ区、右がルーズベルト島。

ルーズベルト・アイランド橋の後方に見えてるのがエド・コッチ・クイーンズ・ボロ橋です。

ウォーズ・アイランド橋は1951年5月18日、210万ドルのコストをかけて、歩行者向けに開通しました。1967

年には自転車にも開放しています。全長380m、幅3.7m、最大支間長95mあります。ウォーズ島はイースト

川に位置する島です。1936年トライボロー橋が建設されたことにより、マンハッタン島からランドールズ島と

ウォーズ島へ徒歩で初めてアクセスできるようになりました。さらにマンハッタンの住民に、ウォーズ島の公園へ

のよりよいアクセスルートを提供するためこの橋ができました。この昇開橋は鉄塔と大梁から成る合計12のス

パンをもっています。橋はもともと、赤、黄色、青のカラーでデザインされていましたが、1986年に瑠璃色とエメ

ラルドグリーンになりました。2010年4月から2012年4月にかけて改装されました。

左がウォーズ島、右がマンハッタン区。

トライボロ橋、正式名称はロバート・F・ケネディ橋(2008年から)です。後ろにあるのはヘルゲート橋です。ロ

バート・F・ケネディ暗殺事件から40年後に名称変更になりました。トライボロ橋は三つの橋からなり、ハーレム

川、ブロクス・キルおよびヘル・ゲートをまたいで架かり、マンハッタン区、クイーンズ区およびブロンクス区を結

んでいます。途中ランドールズ島、ウォーズ島(今は埋められて一つの島になっています)を通ります。1929年

に建設工事が始まり、1936年7月11日に開通しました。建設費は総額6000万ドルにも上がりました。形式は

吊り橋、昇開橋、トラス橋からなり、全長は850m、車線数、8車線(吊り橋、クイーンズ区間)、230m、6車線

(昇開橋、マンハッタン区間)、490m、8車線(トラス橋、ブロンクス区間)です。ランドールズ島とウォーズ島は、

マンハッタンからはハーレム川、クイーンズからはイースト川、およびヘル・ゲート、そしてブロンクスからはブロ

ンクス・キルによって隔てられてます。1960年代初頭にリトル・ヘル・ゲート水路が埋め立てられ、ランドール島

とウォーズ島は一つになりました。今この島はマンハッタン精神医学センター、カービー法廷精神療養所、ニュー

ヨーク市精神障害警察、ニューヨーク市環境保護局、ニューヨーク市観光保護警察局、ニューヨーク州警察、

ニューヨーク市警官隊、消防学校、下水処理プラント、ホームレス保護施設などのいくつかの公共施設が設置さ

れています。島の名前の由来は1784年、ジョナサン・ランドールはランドール島を、ジャスパー・ワードとバーソ

ロミュー・ワードはワーズ島を所得しました。後に二人の姓名が島名となりました。これらの島も1840年から19

30年までは何十万人の墓、州立移民避難所、ニューヨーク市立の精神障害保護施設、マンハッタン州立病院

(世界最大の精神医学機関)などが建っていました。トライボロ橋は1986年全米土木工学歴史建造物に登録さ

れました。

 

この橋はトライボロ橋の吊り橋に当たる部分です。橋脚の上はアールデコ様式の塔が建っています。

左がランドールズ島、右がクイーズ区。

トライボロ橋の吊り橋に当たる部分です。

 

トライボロ橋の後ろの橋はヘルゲート橋です。この橋はイースト川に架かる鉄道橋で、クイーンズ区とブロンクス

区を結んでいます。ヘルゲート複合橋を構成する3つの橋の中で最大のものです。その他には逆向きの弓

ツ”ル・トラス橋(91.4m、リトル・ヘル・ゲートを横断)、固定トラス橋(106.7m、ブロンクス・キルを横断)があ

ります。1912年3月1日に建設が始まり、1916年9月30日に終了し、1917年3月9日に落成式がありまし

た。同年4月1日ワシントンーボストン間の列車が走りました。全長は5.6km、長さは310m、高さ93m、複々

線(利用されているのは旅客用複線と貨物用の単線)で鋼鉄アーチ橋です。アムトラック、CSXトランスポーテー

ション、カナダ太平洋鉄道、ニューヨーク・アンド・アトランティック鉄道が通っています。この橋はベイヨン橋が19

31年に開通するまでは世界最長の鋼鉄のアーチ橋でした。1990年代に橋が開通して以来はじめて、深い赤

(ヘル・ゲート・レッド)に塗られましたが、塗料の欠陥により、赤い色は工事が完成する前にあせ始め、現在色あ

せて斑点のある外見となっています。またこの橋は2005年のディスカバー・マガジンが「人類が消え失せた場

合に崩壊するニューヨークで最後の橋となり、こうなるのに少なくとも1000年はかかるであろう」と述べていま

す。かってこの橋の名がついた列車「ヘルゲートエクスプレス」がニューヨーク・ペン駅とボストン南駅間に運行

されていました。現在は「アセラ・エクスプレス」が同行程にて運転されています。

トライボロ橋の中の一つ、昇開橋です(昇降式可動橋)。イースト川に架かっており、マンハッタン区とランドール

ズ島を結んでいます。

右がマンハッタン区、左がランドールズ島。

 

 

ウィリス・アベニュー橋は旋回橋で、ハーレム川に架かり、マンハッタン区とブロンクス区を結んでいます。橋

は、1901年に開通しました。長さは979mです。1916年重要な補強工事が実施されました。しかしながら19

41年、月に一度の試験に合格しなかったため、1941年8月5日に、北行きの一方通行になりました(自転車、

歩行者は双方向)。同じ日にサード・アベニュー橋は南向きの一方通行になりました。古くなったので、新しい橋

が2010年10月2日に完成しました。

左がブロンクス区、右がマンハッタン区。 

 

サードアベニュー橋はハーレム川に架かり、マンハッタン区とブロンクス区を結んでいます。1898年8月1日完

成しました。なお、1941年8月5日に、ウィリス・アベニュー橋が北行きに切り替えられたのと同じ日に、南行き

の一方通行に変更されました。2004年10月29日に、新しい旋回スパンが架けられ、2004年12月6日にマ

ンハッタン方面の2車線が開通しました。その後改修されたサード・アベニュー橋は、ブロンクスからマンハッタン

方面へ5車線あります。

左がブロンクス区、右がマンハッタン区。

パーク・アベニュー橋は垂直リフト橋で、ハーレム川に架かり、メトロ・ノース鉄道を通し、マンハッタン区とブロン

クス区を結んでいます。今の橋は1956年に完成し、長さは100mあります。最初の橋はニューヨーク・ハーレ

ム鉄道により1841年に建設されました。橋の長さは27mの4基のボックス・トラス・スパンから構成され、その

うち3基が鉄製の固定スパンで、残りのスパンは木造の旋回スパンでした。石(もしくはレンガ)の橋脚が4基の

ボックス・トラス・スパンを支えていました。1867年に木造の旋回スパンが鉄製のスパンに交換されました。18

67年の橋は間もなく交通量の多さとハーレム川船舶運河の浚渫により時代遅れのものになりました。そのため

新しい4軌道の旋回橋が1897年開通しました。新しい橋には石の橋脚で支えられた長さ91mの鋼製のトラス・

スパンがあります。1954年~1956年の間に、ニューヨーク・セントラル鉄道はこの場所に垂直リフト橋を建設

し、1897年の橋と交換しました。1956年に出来た垂直リフト橋は、今までも4軌道の橋として使用されていま

す。現在はメトロ・ノース鉄道が管理しています。

左がブロンクス区、右がマンハッタン区。

マディソン・アベニュー橋は、旋回橋で、ハーレム川に架かり、マンハッタン区とブロンクス区を結んでいます。

1884年に最初の橋が架けられましたが、古くなり、初期の橋の能力を2倍にするため、1910年7月18日に新

しい橋が開通しました。、最大支間長は91mあります。

左がブロンクス区、右がマンハッタン区。

145th ストリート橋は旋回橋で、ハーレム川に架かり、マンハッタン区とブロンクス区を結んでいます。

1901年4月19日に建設が始まり、275万ドルかけて、1905年8月24日に開通しました。全長は91m、最大

支間長は489m、4車線あります。2006年11月初旬に橋の新しい旋回スパンが交換されました。

左がブロンクス区、右がマンハッタン区。

マコムズ・ダム橋は、1895年5月1日に完成し、ニューヨークでは3番目に古い橋です。ハーレム川に架かり、

マンハッタン区とブロンクス区を4車線と歩行者用側道で結んでいます。この橋はハーレム川の旋回橋とブロン

クス側の鉄道軌道の上のスパンで構成されています。全長は770mあります。ハーレム川の旋回橋には4基の

フィニアルがあり、端が石になっている橋脚に避難小屋が付き、ブロンクス側の鉄道軌道の上にはキャメルバッ

ク・スパンがついています。主旋回スパンは124mの長さです。なお、最初の橋は水門・ダムのシステムが付い

たもので、1814年開通しました。この後1861年に木造の「中央橋」が続き、これが現在の橋と置き換わりまし

た。建設は1890年に始まり、全経費は130万ドルで、1895年に完成しました。1999年にこの橋に14500

万ドルかけて補修を始めました。1992年1月ニューヨーク市のランドマークに指定されました。

左がブロンクス区、右がマンハッタン区。

真ん中にある部屋が橋を旋回させる操舵室と思います。

ハイ・ブリッジ(もともとはアクイダクト・ブリッジ)はニューヨークに架かる最古の橋で、ハーレム川に架かり、マン

ハッタン区とブロンクス区を結んでいます。鉄製のアーチ橋で、全長約40m、高さは31mあります。もともとは

水道橋として1837年建設が始まり、1848年に石のアーチ橋として完成しました。これはクロトン川から急発展

するニューヨーク市へ水を供給するクロトン水道の一部として建設されました。この水道の全長は600mにも及

びました。ローマ水道と似た形状をしていました。1928年ハーレム川の水運を円滑にするため、川に架かって

いた五つの石積みアーチは解体され、140mの単一の鉄製アーチに造り直されました。1848年に建設された

当初のアーチはマンハッタン側の陸上に一つと、ブロンクス側の陸上に10残されています。水道路としての用

途は1949年12月15日終了しました。1950年代は人の通行が可能でしたが、橋の老朽化、治安、市の財政

など問題があったため、1970年代に全面的に閉鎖され、その後40年以上使われずに閉鎖されていました。2

009年からの改修を経て、2015年6月9日に歩行者および自転車専用道路として再開通しました。左に石造り

アーチが見えます。

左がブロンクス区、右がマンハッタン区。

アレクサンダー・ハミルトン橋は、鋼アーチ橋で、ハーレム川にかかり、マンハッタン区とブロンクス区を結んでい

ます。1963年1月15日開通し、全長724m、8車線、建設費は2100万ドル、主スパンは169mです。2009

年から2013年にかけて修復工事がされました。奥にハイ・ブリッジが見えます。

左がブロンクス区、右がマンハッタン区。

ワシントン橋は、鋼アーチ橋で、ハーレム川に架かり、マンハッタン区とブロンクス区を結んでいます。建設は18

86年に始まり、1889年12月に歩行者専用の橋として開通しました。1889年橋は6車線で、全長は724mあ

ります。ワシントン橋は1989年から1993年にかけて再建されました。一番奥にある橋が、ハイ・ブリッジ、次に

アレクサンダー・ハミルトン橋がみえます。

左がブロンクス区、右がマンハッタン区。

ユニバーシティ・ハイツ橋は、旋回橋で、ハーレム川に架かり、マンハッタン区とブロンクス区を結んでいます。

この橋は元ブロードウェイ橋のものを再使用して、1908年1月8日に開通しました。さらに、古くなったので、新し

い橋が1982年と1992年の間に建造されました。なお、全長82m、最大支間長は69m、上下方向に片側2車

線車道があり、南側には歩道があります。

左がブロンクス区、右がマンハッタン区。

ブロードウェイ橋はハーレム運河を横断し、1962年1月1日に開通しました。二層垂直昇降橋で、鉄道道路併

用橋(下部・6車線、上部・地下鉄3線)です。この橋は、ハーレム川に架かり、マンハッタン区とブロンクス区を結

んでいます。桁下高は開橋時は41m、閉橋時は7、3mあります。なお、初期のブロードウェイ橋はユニバーシ

ティ・ハイツ橋の建造に再使用されました。(この章はウィキペディア引用)

左がブロンクス区、右がマンハッタン区。 

  

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