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憲法基礎論から考える憲法と条約の優劣-TPP協定は内閣の専権事項?

2011年11月14日 21時03分30秒 | 日々感じたこととか


TPP協定締結の是非を巡って、外交評論家の岡本行夫氏が「条約の締結は内閣の専属的権限」であると述べられた由。この主張は正しいのでしょうか? そもそも、「条約の締結は内閣の専属的権限」とはどのような意味なのか。そして、この命題の真偽によって日本の政治は、各々どんな色彩をおびることになるのでしょうか。

本稿は、岡本氏の発言を導きの糸として、憲法基礎論(憲法の概念論・憲法解釈方法論・憲法の価値論・憲法の現象学的な意味構造の抽出と理解)の地平から憲法と条約の優劣関係を俎上に載せるものです。 尚、註(★)は些かマニアック、よって、註を飛ばしても本編の理路は通るようにしていますので、ご用とお急ぎの向きには註は飛ばしていただければと思います。ということで、まずは、岡本行夫氏(外交評論家・元内閣総理大臣補佐官)の発言の確認。

「外交交渉を行って協定を締結するのは内閣の専属的な権限として憲法73条に書いてある通りだ。だから内閣だけの判断でできる。国会はただ出来上がった協定を承認するかしないかだ。気に入らなければ批准しないということだ」

テレビ朝日「報道ステーション」(2011年11月11日)より







◆条約締結を巡る内閣の権限と責任

条約の締結は内閣単独でできる、また、国会が批准しない条約は発効しない。確かにこれらは正しいでしょう。但し、条約法に関するウィーン条約(条約法条約)2条1項a号「「条約」とは、国の間において文書の形式により締結され、国際法によつて規律される国際的な合意(単一の文書によるものであるか関連する二以上の文書によるものであるかを問わず、また、名称のいかんを問わない。)をいう」を紐解くまでもなく、<条約>とはその文書名が「条約」であるか「協定」であるか「議定書」等々であるかといった、文書のタイトル名にかかわらず、国家間の文書による取り決めを言います。よって、ある種の<条約>は国会も締結できるのですから「専属的権限」、すなわち、「専権事項」という表現は厳密に言えば間違いと言うべきですけれども。

けれども、

外交は軍事と並び、法律論プロパーの事柄であるだけではなく、文字通り、国際政治のど真ん中の事柄。ならば、内閣はその「専権事項」に関して国会と国民、あるいは、(日本政府、すなわち、日本の内閣がしたその約束を考慮して、作為・不作為のなんらかの行動を取るであろう)他国に対する政治責任を負っている。   

ならば、統治機構の政治的な権限と責任の範囲を定めることが、これまた、憲法のど真ん中の機能だとすれば、内閣の「専権事項」なるものはこれら、国会・国民・外国に対する三種の政治責任を踏まえたものでなければなりません(でなければ、国会と行政官庁だけで内閣はいらんがね!)。而して、その制約は、「政治的-社会学的」な道義的の責任であるだけでなく、(裁判所に対して、その制約の逸脱を根拠に差し止め請求や損害賠償の請求ができるという裁判規範とは言えないだろうけれども、)憲法が内閣に課す法的な責任である。要は、その制約を踏み外した内閣の行為を憲法は正当化することはないということです。

畢竟、この憲法論的な責任理解からは「専権事項」なるものは「政治的=憲法論」的に大幅な制約を受けている。と、憲法論からもそう言えるのです。要は、条約の締結に関する内閣の権限は謂わば「準専権事項」にすぎず、また、岡本氏の立論は、憲法典の文字を読んだだけの素人談話か素人を騙る三百代言的の言説であり、白黒はっきり言えば憲法論的には間違いなのだと思います。





◆国際法と国内法の優劣の構図
どの憲法のテキストにも書かれていることでしょうが、「条約の効力は、国会が制定する「法律」以下の(政令・省令・条例・規則等々の)国内法に優るけれど、憲法よりは劣る」。これが、一応、日本の通説。ただし、世界では、そして、日本でも現在は「条約」も「憲法」も単一均一のものとしてではなく、各々その内部に幾つかのグループを認め、それらの種類毎に互いの優劣の関係を考えるようになっています。

重要なことは、「国際法と国内法の優劣関係」という問題は、

①具体的事件に関して、相矛盾する国内法と国際法が存在する場合、どちらの法規範が適用されるかという、謂わば「交通整理の問題」と、②そもそも、憲法にせよ条約にせよ、ある法規範が<法>として効力を帯びる根拠としての授権関係において、(例えば、「法律」は憲法から授権されているから、政令・省令は「法律」によって授権されているから<法>として有効であるのと同様に、)どちらが授権規範でどちらが被授権規範かの問題。「授権-被授権」関係の問題。この①②を含んでいることです。   


そして、例えば、憲法無効論のトンデモ言説にしばしば現れるように、日本では、この無関係ではないけれど位相を異にする異質な①②が同じ「国際法と国内法の優劣関係」の問題として扱われる節もなきにしもあらずであり、よって、①②の事柄がしばしば混同されているのではないかと思います。

而して、基本的には、①の「交通整理的のルール」は、原則、ある「実定法秩序=国内法体系」においては、憲法を始めとする国内法が定めることであり、そして、個別、日本では現行憲法98条の最高法規規定(「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」 との規定)によって、条約は(就中、その条約が自動執行性を持っている場合、つまり、その条約の規定が、新たな国内法の制定・改正を待たずして十分に裁判規範や行政官庁の行為規範として機能しうる具体性と現実性を持つ場合には、その条約は)「法律」以下の国内法に優位する。

ただ、①における通説たる憲法優位説、あるいは、(国家と憲法の関係を表裏一体の関係と考え、かつ、論理的にも権利的にも国家が憲法に先行すると考えるタイプの、現在の保守主義の)憲法の概念論と憲法の事物の本性論からは、すべての主権国家は(よって、多分、日本も?)、それが締結・批准した条約を、それがどんな条約であれいつでも破棄することができることは言うまでもありません。要は、「国内法に対する条約の優位」と言ってみてもそれは、ある、主権国家がその条約を受け入れている限りのお話ということです。

尚、②の議論は法哲学の各論に及ぶこともあり詳細は割愛しますが、現在では世界的に「国内法・国際法一元論の国際法優位説」が多数説であり、最早、通説になったと言ってもよいと思います。←「認定トライ」?


重要なことですので繰り返しますが、①②は無関係とは言わないけれど、全く別の問題であり、例えば、①の憲法優位説と、②の国際法優位説は矛盾しません(例えば、国際法体系からの授権を受けているから、ある「国内法体系=実定法秩序」は<法>として効力を持つが、その授権に際して、「国内法体系=実定法秩序」の規範の内容は当該の国が決めるべきだという内容の授権もあり得るのですから)。実際、現時点の日本の憲法学の通説を体現していると思われる、東京大学の長谷部恭男さんも、ブリティッシュ・コロンビア大学の松井茂記さんも、そして、おそらく、伊藤正巳先生も佐藤幸治先生も、原則、①憲法優位説+②国際法優位説を採っていると解されるのですから。

そして、これまた繰り返しになりますが、①の意味の「国際法と国内法の優劣関係」の吟味検討に際して、現在の憲法論・国際法論・法哲学の議論では、「憲法」「条約」「法律」という言葉で、一般的にそれらの間の優劣関係・授権関係を考えるのではなく、「憲法」「条約」「法律」という言葉が指し示す事柄各々の内部に、更に、規範のグループ階層を設け(★)、ことほど左様に、謂わば場合分けをした上で「条約と国内法の優劣関係」を考えているのです(例えば、「Aタイプの条約」>「Aタイプの憲法規範」>「Bタイプの条約」>「Bタイプの憲法規範」>「Aタイプの法律」>「Cタイプの条約」>「Bタイプの法律」>・・・、の如くにね)、為念。


★憲法が包摂する諸憲法規範の分類

この憲法規範のグループ分けは(就中、憲法典が規定する、表現の自由とか国民の公務員選定権、あるいは、生牛肉料理をお客に出す営業の自由等々、諸々の規範のグループ分けは)、例えば、ハーバマスの「憲法愛国主義」やドゥオーキンの司法積極主義擁護論にその滑稽さが炸裂している、リベラル派が行う基本的人権なるものや民主主義なるものに絶対の価値を置いた上でする、縁なき衆生にとっては根拠薄弱な分類論だけではありません。

あるいは、個別日本においては、宮澤俊義先生、それを継いだ芦部信喜さんが定式化した、正に、「世界遺産」よろしく日本にだけ存在する、よって、憲法基礎論におけるその根拠性が一層怪しい(元来、単なる規範論理的思考のための方法論的の前提であったはずの、)ハンス・ケルゼンの「根本規範」の概念を、国民主権・基本的人権・平和主義、あるいは、個人の尊厳という現行憲法典に内在するとされる、内容を具備した具体的な「基本理念」なるものに読み替える立場からのグループ分けだけを意味するものでもない。

加之、このグループ分けは、現行憲法典に含まれる諸規範を、カール・シュミットの憲法制定権力論の伝統的な、しかし、曲解かもしれなかった解釈を踏まえた「憲法-憲法律」に区別する立場からのグループ分けだけでもなく、それは、分析哲学からの法規範の言語分析と、現象学的な「憲法の概念論および憲法の事物の本性論」からの諸憲法規範の分類を含みます。

具体的には、所謂「アファーマティブアクション」を推進した1960年代の連邦最高裁判決を批判する現実の政治過程と並行して繰り広げられた、アメリカの憲法解釈方法論争、すなわち、1970年代後半から四半世紀続いた、原典主義と非原典主義(原意主義と非原意主義)の論争の坩堝の中で鍛えられた、J.H.イリーを代表とする現代アメリカのプロセス法学や、共同体の機能と価値を重視する同じくアメリカの現在の保守主義の憲法論はその良質な試みなの、鴨。

尚、アメリカ連邦最高裁判決が初めて、所謂「二重の基準論」を示唆したとされている「United States v. Carolene Products Co., 304 U.S. 144(1938)」の多数意見の脚注4でストーン首席裁判官が記した主張は、マイケルジョンの所説と親和的な「デモクラシーの価値とデモクラシーに奉仕する政治的表現の自由の価値」の絶対性の唱道とも読めると同時に、他方、現実の政治過程においては、人権よりも憲法よりも国家が優越する局面のあることを示唆したものとも読める。蓋し、憲法規範の分類とその分類の憲法基礎論における根拠の確定に関しては、保守主義の憲法論にとってもいまだにCarolene判決は参考になる。と、そう私は考えています。   




ほしのあきさんの<無罪>確定-あんだけ可愛いんだから当然なのです

https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/78478ca7d4aebc00f057beebd43f17a4

◆TPP条約を巡る国際法と国内法の交錯
蓋し、批准された条約が国内法(国会が制定する「法律」)に優位するというのは法解釈のイロハ。よって、2011年11月11日、参議院予算委員会で、TPP協定におけるISD条項(★)について自民党の佐藤ゆかり氏が野田佳彦首相に説明を求めたのに対して、民主党の野田首相が、ISD条項が組み込まれたTPP協定に日本が締結・批准・加盟した場合には、「国内法で対応できるよう交渉をしていく」と述べたことは(発言の直後にこの見解を撤回したとはいえ)、法律解釈のイロハさえ日本の首相が理解していなかったこと、加之、そんな無知な首相がTPP加盟を推進しようとしているシュールな現実を赤裸々にしたのだと思います。

★ISD条項
ご存知のように、「ISD条項:Investor-State Dispute Clause」とは、読んで字の如く、「投資家-国家間の紛争に関する約束事」のことです。要は、「もし自国の投資家がISD条項締結国で非関税障壁と見られる制度によって不利益を被ったと主張した場合、そのような非関税障壁の廃止・是正を具現すべく当該のISD条項締結国に対して、その国内法改正を求めて、投資家若しくは投資家の属する国の政府がその締結国を訴えることができる」というもの。

而して、ISD条項の<味噌>、あるいは、<毒素>は、

(ⅰ)私人が他国政府を(間接的にせよ)訴えることができること
(ⅱ)訴因・訴権の根拠が、「国際的な正義の基準」(「アメリカの国内法の基準」とも言う)から見た締結国の国内法および国内制度の不当性であれば十分とされる余地を否定できないこと

の2点であろうと思います。前者に関しては、国際法上は(民間の私人間の契約当事者としてのアメリカ政府なり日本政府という局面を除けば)、原則、私人は他国政府の政策の不当性を国際的な司法機関や仲裁機関に訴えることはできません。この点、例えば、アメリカ合衆国憲法はその3条2節1項および修正11条で、外国の市民とアメリカ連邦政府との訴訟に関してこう規定し、この「外国市民からの訴訟制限」の原則を確認しています。

Article III  Section 2.
The judicial Power shall extend to all Cases, in Law and Equity, arising under this Constitution, the Laws of the United States, and Treaties made, or which shall be made, under their Authority;・・・ to Controversies to which the United States shall be a Party; ・・・to Controversies between a State, or the Citizens thereof, and foreign States, Citizens or Subjects.

連邦の司法権は、この憲法および連邦法、並びに、連邦政府が取り結んだ、および、その権限の範囲内で連邦政府が今後取り結ぶ条約を巡って生起するであろう、コモンロー(law)およびエクイティーに関するすべての訴訟案件、・・・合衆国の連邦政府が当事者となる争訟、・・・そして、合衆国のある州若しくはその当該の州の市民と外国政府若しくは外国の市民や臣民との間に生起する争訟に及ぶものとする。

Eleventh Amendment
The Judicial power of the United States shall not be construed to extend to any suit in law or equity, commenced or prosecuted against one of the United States by Citizens of another State, or by Citizens or Subjects of any Foreign State.

連邦の司法権は、合衆国のある一つの州に対して、他の州の市民、または、外国の市民若しくは臣民から提訴された、あるいは、進められている、コモンロー(law)およびエクイティーに関する訴訟に及ぶなどとは解釈されてはならない。  



而して、ISD条項を巡る問題だけではなく、一般的に貿易協定から惹起する不具合には「国内法で対処する」としても、<表の関税>だけではなく、消費マーケットでの見た目の価格の据え置きを具現するための措置・施策、例えば、農産物産品の国による買い取りや補助金支給という<裏の関税>も貿易交渉では通常違法とされる。

而して、野田首相の、「国内法で対処」するとの先の発言は、再度、農業セクターに例を取れば、農産物産品の量や価格と関係のない、農家に対する<属人的なマイナスの人頭税>の給付、要は、所得保証(「補償」にあらず!)に帰結せざるを得なくなるでしょう。

これはしかし、例えば、10年後にこの所得保証は打ち切る、要は、その10年間に、農家は廃業するか、それとも、国際競争力のある新たな産品を開発しなさいというのでもなければ(到底、97%を占める非第一次産業従事世帯の国民からは、否、それが、「必ず来る期限の到来を条件とした停止条件付き<廃業勧告>または<農業ビジネスにおけるギャンブル奨励>」であってみれば、農家のかなりの世帯からさえもでしょうか、)国民からは容認されないと予測します。畢竟、それは、「強い弱者」への不平等な保証になるでしょうから、紛う方なき憲法違反とも思われるのですけれども。

では、一体、民主党政権はTPPやISDにどう対処するつもりなのでしょうか? 私はコアの自民党支持者ではありますが、真面目に、法律の専門家としては「他人事」ながら心配になります。

б(≧◇≦)ノ ・・・おいおい大丈夫か民主党?
б(≧◇≦)ノ ・・・ここまで無知無能だったか民主党!


と、閑話休題。





◆内閣の「専権事項」なるものとしての条約締結権の実相

ここでもう一度、「国際法と国内法の優劣関係」から見るTPP問題、あるいは、岡本氏が提起した「条約締結は内閣の専権事項」という、半ば正しく半ば間違っている憲法理解を検討します。

畢竟、TPP条約は①「憲法と条約の優劣関係:法律と条約の優劣関係」の法的思考の領域においては、憲法の下位にあり、他方、「法律」に優位する。そして、①において憲法がTPP条約に優位するのだから、民主党が政権与党であるにせよ、究極の所、三権分立の原則を持ち出すまでもなく「内閣と国会は別の組織体」ですから、日本の国会は、民主党内閣が締結したTPP条約を批准しないことも可能であり、また、批准した後でもいつでもそれを破棄することができます。それは間違いない。そして、それは憲法論的にも、一応、問題はない。

しかし、内閣が<約束>したことの政治責任は厳然と存在しており、それは、けっして小さくはない。つまり、TPP協定に限らず、ある内閣が締結した条約の非批准・破棄という事態が惹起した場合には、次の内閣、否、日本国民が背負う国際政治における<負債>もまた小さくはないと考えます。

なぜならば、その場合には、(今にもまして?)諸外国は条約締結交渉に関して「日本政府=日本の内閣」を信用しなくなるだろうし、よって、(商いと同様、「ギブ・アンド・テイク」がその実体である国際政治において、あるいは、将棋と同じで「狙いの相手の駒を取るためには、まず、自分の駒を取らせるしかない」のが通常の事態である外交交渉において、)日本は外交において、比喩を使えば、「信用取引」が難しくなり「現金決済」する他なくなるだろうから。その場合のコストパフォーマンスの低下は冗談ちゃうでの類の事態になるでしょうからです。

実際、ロシア革命に際して、「ツアーの締結した条約はすべて破棄する」と勇ましく宣言したレーニンのボルシェビキ政権も、僅か2年後には、「ツアーの締結した条約もソ連政府は誠実に遵守する」と宣言し直さざるをえなかった。蓋し、ボルシェビキのこの二度目の宣言は、外交におけるコストパフォーマンスの低下に対してソ連政府があげた悲鳴以外のなにものでもなかったのです。ことほど左様に、岡本氏の「内閣の専権事項」論は、上で述べたように法律論として不十分であるだけでなく、政治論としては全くもって破綻したものだと考えます。

而して、ならば、(a)小泉構造改革が中座している日本の現下の現状を与件としたとき、(b)民主党政権が劣化せしめた日本の国力を与件とするとき、「TPP的な条約への加盟」や「FTA締結国数の拡大」は、早晩不可避であるとしても、(α)現在のTPPの内容を鑑みるに(要は、日本国内の防御態勢構築の不備を鑑みるに)、また、(β)(「反日」や「左翼」などという艶っぽい高尚なレヴェルの難点だけではない)民主党政権の無能ぶりを与件とするとき、少なくとも現時点でのTPP締結などはやってはならないことである。すなわち、その批准が国会で否決可能としても、内閣はその謂わば「準専権事項性」を奇貨としてTPPの締結を現在は行うべきではない。

畢竟、(イ)報道されている如く民主党議員の約半数、自民党議員の約7割、公明党議員の過半(?)、そして、みんなの党を除く他の野党と無所属の議員の8割がTPP加盟締結に反対している現状を鑑みるとき、他方、(ロ)(現状では国民世論も民主党政権のTPP締結加盟の方針をかなり好意的に捉えているものの、TPP条約の発効が現実化した段階では、つまり、自己と自己の家族の生活と生存が危機に晒される近未来の現実が露わになるにつれて)、漸次、少なくとも国民の過半は「破棄!」を求めるであろう、そんな日本の防御態勢のシャビ-な現状を鑑みるとき、政治的と憲法基礎論的の双方の理路から、現時点のTPP締結は問題外の外の事柄である。と、そう私は考えます。


尚、TPP問題を巡る私の基本的な考えについては下記拙稿をご一読いただければ嬉しいです。

・TPP断固支持-ドイツ法典論争あるいは旧民法典論争としてのTPP加盟問題
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/b3319bc0f50fa0c7f0d445b284efa306



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