【H18年】
~3月24日AM~
この日はまず、上智大学のアンコール遺跡修復事務所を訪れた。
出迎えてくれたのがこの仏像。上智大学アンコール遺跡国際調査団が発掘したものだそうだ。
この仏像が座っているのは、ナーガと言われる蛇神の胴体。よく見ると、ちゃんと鱗が彫ってある。
仏像の頭を囲むようにしてある突起物は、ナーガの七つの頭である。
このように首が切断された状態で発掘された多くの仏像は、仏教とヒンドゥー教の対立の歴史を物語っている。
カンボジアは長くヒンドゥー教と仏教が共存していたという。では、なぜ廃仏が起こったのか?
上智大学アンコール遺跡国際調査団の報告書(団長:石澤良昭上智大学教授)には、以下のようなことが仮説として書かれてある。
まず、アンコール王朝の立国の思想はヒンドゥー教であった。
しかし12世紀後半から13世紀初頭にかけて統治したジャヤヴァルマン7世という王が、強権を発動し宗教改革を行い、仏教優先策をとった。
その後、1220年に登位したインドラヴァルマン2世も仏教を容認し、前王と合わせて63年の間、仏教勢力が主導権を握った。
ところが、その次に即位したジャヤヴァルマン8世はヒンドゥー教を信仰しており、前2代王の仏教信奉の残余勢力との激しい権力闘争に勝利して登位した。
この王のヒンドゥー教への篤信と前2代の王に対する敵意が重なって、仏像狩りが行われたのではないか、というのだ。
確か日本でも明治時代に「廃仏毀釈」というのがあった。どこの国も同じようなことをやっているのか…。
これらの仏像は、現在建設中の博物館に展示される予定だとか。
遺跡の修復活動をしているところ。
既に修復されている右側は、かつての宗主国フランスが修復したもので、石と石の間はコンクリートで埋められている。
上智大学のグループは、建設当時の技術を再現し、一つ一つ丁寧に石を削って積み重ねているという。
~3月24日AM~
この日はまず、上智大学のアンコール遺跡修復事務所を訪れた。
出迎えてくれたのがこの仏像。上智大学アンコール遺跡国際調査団が発掘したものだそうだ。
この仏像が座っているのは、ナーガと言われる蛇神の胴体。よく見ると、ちゃんと鱗が彫ってある。
仏像の頭を囲むようにしてある突起物は、ナーガの七つの頭である。
このように首が切断された状態で発掘された多くの仏像は、仏教とヒンドゥー教の対立の歴史を物語っている。
カンボジアは長くヒンドゥー教と仏教が共存していたという。では、なぜ廃仏が起こったのか?
上智大学アンコール遺跡国際調査団の報告書(団長:石澤良昭上智大学教授)には、以下のようなことが仮説として書かれてある。
まず、アンコール王朝の立国の思想はヒンドゥー教であった。
しかし12世紀後半から13世紀初頭にかけて統治したジャヤヴァルマン7世という王が、強権を発動し宗教改革を行い、仏教優先策をとった。
その後、1220年に登位したインドラヴァルマン2世も仏教を容認し、前王と合わせて63年の間、仏教勢力が主導権を握った。
ところが、その次に即位したジャヤヴァルマン8世はヒンドゥー教を信仰しており、前2代王の仏教信奉の残余勢力との激しい権力闘争に勝利して登位した。
この王のヒンドゥー教への篤信と前2代の王に対する敵意が重なって、仏像狩りが行われたのではないか、というのだ。
確か日本でも明治時代に「廃仏毀釈」というのがあった。どこの国も同じようなことをやっているのか…。
これらの仏像は、現在建設中の博物館に展示される予定だとか。
遺跡の修復活動をしているところ。
既に修復されている右側は、かつての宗主国フランスが修復したもので、石と石の間はコンクリートで埋められている。
上智大学のグループは、建設当時の技術を再現し、一つ一つ丁寧に石を削って積み重ねているという。