3回目の抗がん剤治療3日目。
1日目は、夕食時さっそく「食欲不振・ムカつき」に見まわれた。便も緩くなった。
日頃便秘気味な便は、軟らか位がちょうど良い。しゃっくりも1・2回あった。
夜間、咳あり、気管支か胸かに息苦しさと痛みでる。
2日目、夜半3時頃「胸苦しさと鈍痛」で目覚めトイレに立つ、更に明け方6時前、
気管支?肺?に痛みと苦しさがあり、目覚める。
痛苦しいので、冷蔵庫から酸素水を出し飲む。冷えた水で、痛み消える。
脳が寝不足気味を訴えるので、再度ベットに入る。
今日は わかちゃん練習会主催のセプテンバー駅伝だった。
鴨川・出雲路橋の河川敷に55チームものメンバーと応援団が集まっての賑やかな
駅伝大会だ。所属する地元の走友会も5チーム参加するので、応援に出かけるつも
りだったが、これだけ寝坊したら無理だった。残念。
1日目は、夕食時さっそく「食欲不振・ムカつき」に見まわれた。便も緩くなった。
日頃便秘気味な便は、軟らか位がちょうど良い。しゃっくりも1・2回あった。
夜間、咳あり、気管支か胸かに息苦しさと痛みでる。
2日目、夜半3時頃「胸苦しさと鈍痛」で目覚めトイレに立つ、更に明け方6時前、
気管支?肺?に痛みと苦しさがあり、目覚める。
痛苦しいので、冷蔵庫から酸素水を出し飲む。冷えた水で、痛み消える。
脳が寝不足気味を訴えるので、再度ベットに入る。
今日は わかちゃん練習会主催のセプテンバー駅伝だった。
鴨川・出雲路橋の河川敷に55チームものメンバーと応援団が集まっての賑やかな
駅伝大会だ。所属する地元の走友会も5チーム参加するので、応援に出かけるつも
りだったが、これだけ寝坊したら無理だった。残念。
8月31日(金曜日)、3回目の化学療法・抗がん剤治療がスタートした。
午前中いっぱい掛けて、外来治療室で抗がん剤を点滴注入した。
今夜からはカプセルの抗がん剤を 朝晩の食後、2週間飲み続けさせられるようだ。
この点滴とカプセル飲用のクールを、数ヶ月続けなければいけないのは辛い。
ティエスワンというカプセルは、「細胞が増えるために必要な酵素の働きを抑えて、
細胞が増えるのを抑える」薬剤のようだ。
だるさ、かゆみ、腹痛や下痢、のどの痛み、発熱・口内炎、あざ、めまい・立ちくら
み、下血、せき、息苦しさ・息切れ など等の症状 副作用が激しいらしい。
どれか脱毛の激しい薬剤もあるようだ。
今もう、気管が息苦しい感じが始まってきている。
以前からの手足のシビレは、一層強く現れている。
さあ、でも走れなくなる前に、今夜も5Kだけでも走ってきておこうかなあ。
幸せのブルームーンを仰ぎ見ながら・・・。
ブルームーンの由来は、今日はあちこちでカキコされているから調べてみてね。
月つながりでは、
昨夜のU=20W杯女子サッカー 対韓国戦でチラ見した韓国選手の名前、確か背中
に記されていたアルファベットは、MOONとなってたように思うが・・・。
韓国語読みは知らないが、英語読みではムーンでしょう。
どうでもいい話ですけれど。
午前中いっぱい掛けて、外来治療室で抗がん剤を点滴注入した。
今夜からはカプセルの抗がん剤を 朝晩の食後、2週間飲み続けさせられるようだ。
この点滴とカプセル飲用のクールを、数ヶ月続けなければいけないのは辛い。
ティエスワンというカプセルは、「細胞が増えるために必要な酵素の働きを抑えて、
細胞が増えるのを抑える」薬剤のようだ。
だるさ、かゆみ、腹痛や下痢、のどの痛み、発熱・口内炎、あざ、めまい・立ちくら
み、下血、せき、息苦しさ・息切れ など等の症状 副作用が激しいらしい。
どれか脱毛の激しい薬剤もあるようだ。
今もう、気管が息苦しい感じが始まってきている。
以前からの手足のシビレは、一層強く現れている。
さあ、でも走れなくなる前に、今夜も5Kだけでも走ってきておこうかなあ。
幸せのブルームーンを仰ぎ見ながら・・・。
ブルームーンの由来は、今日はあちこちでカキコされているから調べてみてね。
月つながりでは、
昨夜のU=20W杯女子サッカー 対韓国戦でチラ見した韓国選手の名前、確か背中
に記されていたアルファベットは、MOONとなってたように思うが・・・。
韓国語読みは知らないが、英語読みではムーンでしょう。
どうでもいい話ですけれど。
7月8日
抗がん剤カプセルを外し最後の点滴が終った。
左胸に埋め込んだ点滴注入用のポートは、まだそのままだが、1月から月2回の割合で続けてきた抗がん剤治療は、ひとまず終了した。
副作用の手足のシビレが、後遺症のように残った。
7月27日
治療結果検証のためのCT検査をする。
8月3日
CT検査結果の診療。4月のCT検査では見当たらなかった膀胱に大きめな腫瘍の影があり、左右の肺にも3ヶ所再発と見られる小さな影が発見された。
愕然!半年間の化学療法は、何だったんだろうか?
ここまでは、前回のブログで記した。
そして・・・そのあと・・・。
落胆し、落ち込んで、やる気が無くなって、RUNも休みがちになってしまった。
丁度ロンドン・オリンピックが始まり、夏の高校野球が始まったことも、気落ちした心から目を背け、弱気から逃げ出す格好の逃避口だった。連日連夜テレビに釘付け状態が続いた。
8月7日
膀胱の腫瘍の成長度合いから、早めの処置が望ましいとのことで、化学療法をしていた腫瘍内科から泌尿器科に廻され、骨盤部MRIの検査と診療に入った。
が、ここの泌尿器科では精密に判断が下せないとのことで、K病院の泌尿器科を紹介され、
8月8日
K病院泌尿器科を訪れ、診察とファイバースコープでの検査を受けた。
長時間待たされた挙句、下半身を剥き出しにされて、分娩台のような台に大股開きで両足を固定され、尿道から痛い痛いファイバーを差し込まれ、膀胱内を隈なく撮影してもらった。
担当医は親切にも何回もスコープを隅々まで回して撮影してくれて、「キレイですよ、ポリープの欠片も見えないですよ。」と言ってくれた。
確かにモニターに映し出された我が膀胱内は、綺麗なピンク色に輝き、腫瘍らしき内壁の腫れは一つも見られなかった。「CTやMRIの間接的に見る画像よりも、直接目でみる内視鏡の方が何倍も正確ですから、今日の検査で何も無かったということは、膀胱癌の疑いは無いので安心して良いですよ」と宣言してくれた。
一つホッとした。安心した。
CT検査の影は、何だったのだろう?
8月10日
M病院腫瘍内科に戻り、K病院での検査結果の総括と今後の治療計画のガイダンスを受けた。
膀胱癌の疑いは、まったく無くなった。
時たまあるのだが CT画像の影はCT撮影時の造影剤が漏れて膀胱内に入ったものが 画像に残ったと考えられるので安心して欲しいということだった。
しかし肺の小腫瘍は、再発か移転か分からない。培養検査でしか判断できないが、1/2になっている肺は、肺気腫もあって触れられないし 手術も考えられない。
呼吸器外科の担当医(去年と一昨年、K病院で3度の胸の手術を執刀してくれた担当医が、偶然にもこのM病院に移っていて、またまた担当医となってくれた)と相談して薬を替えて抗がん剤治療を続けてみようということだった。
従って、切開手術のように癌細胞を取り去ってしまい完治を目指す治療は取れなく、抗がん剤で癌細胞を押さえ込んでおくだけの治療、大きく悪性化しないように防御しておくだけの治療、上手く行って癌が極小化するということもあるかもしれないというまでの治療しか望めないということだった。
完治はもうない、どれだけ薬で押さえ込んで延命するかだけの道しかないらしい。
いよいよ覚悟して取り組まなければならなくなった。
24日から、抗がん剤治療を始めようと言ってくださったが、こんどの薬は、食欲不振、下痢、吐き気、脱毛などの副作用も激しいらしい。26日の琵琶湖ジョグコン10Kにはどうしても参加したかったので、抗がん剤は31日からにしてもらった。
RUN前に、副作用で体調が変化したらと懸念したからだった。
それでなくとも、7月に終った治療の後遺症が日に日に過激になってきており、指先の感覚がなくシビレが日毎に強くなってきている。足のシビレもきつく、足裏が強張って感覚がないのも心許無い。
8月トレーニングが はかどらなかったのは、オリンピックだけでなく、この手足の痺れも大きく原因していた。
8月26日の琵琶湖ジョギングコンサートは、従って散々な結果に終った。
今年の琵琶湖は暑かった。去年も暑かったが、今年は一層暑さが増したようだった。
先ず、この暑さに負けた。
そして、練習不足、筋力不足に負けた。
普通のランナーにも付いていけなかった。多分、最後尾から2番目か3番目のゴールじゃなかったかな。
呼吸も苦しかった。肺が半分になっているのは去年も同じだったが、今年は去年より苦しく感じた。手足のシビレだけでなく肺の機能も麻痺しているのだろうか。ゆったりとジョグしているランナーのピッチにもついていけなかった。
練習では1K1分づつ短縮しているのだが、この暑さの中では 50mピッチを上げると もう苦しくて続かない。ちょっとだけストライドを広げ気味にして20m進むと 次がガクッと落ち込む。
途中歩きを入れながらも、なんとか10Kのゴールまで辿り着けたが、タイムは1時間33分02秒というワースト計時だった。
なんだか、少しも走りが戻ってこない、JOGにもなっていない。
再発や副作用やらとで 前進どころか後退ばかりの気がしている。
ただひとつ、ゴールで待っていてくれた古くからの走友たちのエールには感動した。嬉しかった。感激でウルウルしながらゴールラインを越えた。やっぱり仲間は素晴らしい。力をもらった。
しかし、このタイムと脚力では、フルの制限時間を破れない、42.195kmの距離も踏めない。
3度の肺がん手術で肺を半分無くしても、2度の大腸がん手術の身体でも 鍛錬次第でフルマラソンを完走できることを実行することで、癌という絶望の病と闘っている沢山の人々に気力と希望と勇気を与え、突然の天災で身近な人を失い生活を失い、深い悲しみで傷ついている人々に、もう一度生きる気力と元気を取り戻してもらいたい一心で思い立った使命、残こり少ない生涯時間内で果たしたい 我が人生の最後のミッションも、これでは果たすことも出来ないではないか。
今日も手足が痺れている。
痺れは、益々きつくなってきている。
指先はビリビリと痛い。
ジョギングコンサートの帰り道も、ショックだった。大原 野村の別れの交差点でブレーキを踏んでいた右足がはずれ、アクセルに掛かって踏み込んでしまい、交差点に勢いをつけて突入する状態になり、ハンドル操作とブレーキで直ぐに立て直したものの、同乗の走友には怖い思いをさせてしまった。
幸い他に走行する車もなく事故にもならなかったが、大失態だった。痺れている足にCROCSを突っ掛けたラフな足元だったため 感覚の鈍った足裏からCROCSがはずれてアクセルを踏み込む羽目になってしまったのだ。その後は、家までツッカケを脱ぎ捨て、素足でペタルを踏み分けた。
このシビレが薄れるまで、しばらくは運転も控えよう。
JOGだけは控えることなく、もっと真剣に走り込まないと 今秋の大阪マラソンも無理なら、来春の京都マラソンも東京マラソンでも完走は夢と消え去るだろう。
もっとも大阪は、抽選漏れで、端から走れないのだが。
抗がん剤カプセルを外し最後の点滴が終った。
左胸に埋め込んだ点滴注入用のポートは、まだそのままだが、1月から月2回の割合で続けてきた抗がん剤治療は、ひとまず終了した。
副作用の手足のシビレが、後遺症のように残った。
7月27日
治療結果検証のためのCT検査をする。
8月3日
CT検査結果の診療。4月のCT検査では見当たらなかった膀胱に大きめな腫瘍の影があり、左右の肺にも3ヶ所再発と見られる小さな影が発見された。
愕然!半年間の化学療法は、何だったんだろうか?
ここまでは、前回のブログで記した。
そして・・・そのあと・・・。
落胆し、落ち込んで、やる気が無くなって、RUNも休みがちになってしまった。
丁度ロンドン・オリンピックが始まり、夏の高校野球が始まったことも、気落ちした心から目を背け、弱気から逃げ出す格好の逃避口だった。連日連夜テレビに釘付け状態が続いた。
8月7日
膀胱の腫瘍の成長度合いから、早めの処置が望ましいとのことで、化学療法をしていた腫瘍内科から泌尿器科に廻され、骨盤部MRIの検査と診療に入った。
が、ここの泌尿器科では精密に判断が下せないとのことで、K病院の泌尿器科を紹介され、
8月8日
K病院泌尿器科を訪れ、診察とファイバースコープでの検査を受けた。
長時間待たされた挙句、下半身を剥き出しにされて、分娩台のような台に大股開きで両足を固定され、尿道から痛い痛いファイバーを差し込まれ、膀胱内を隈なく撮影してもらった。
担当医は親切にも何回もスコープを隅々まで回して撮影してくれて、「キレイですよ、ポリープの欠片も見えないですよ。」と言ってくれた。
確かにモニターに映し出された我が膀胱内は、綺麗なピンク色に輝き、腫瘍らしき内壁の腫れは一つも見られなかった。「CTやMRIの間接的に見る画像よりも、直接目でみる内視鏡の方が何倍も正確ですから、今日の検査で何も無かったということは、膀胱癌の疑いは無いので安心して良いですよ」と宣言してくれた。
一つホッとした。安心した。
CT検査の影は、何だったのだろう?
8月10日
M病院腫瘍内科に戻り、K病院での検査結果の総括と今後の治療計画のガイダンスを受けた。
膀胱癌の疑いは、まったく無くなった。
時たまあるのだが CT画像の影はCT撮影時の造影剤が漏れて膀胱内に入ったものが 画像に残ったと考えられるので安心して欲しいということだった。
しかし肺の小腫瘍は、再発か移転か分からない。培養検査でしか判断できないが、1/2になっている肺は、肺気腫もあって触れられないし 手術も考えられない。
呼吸器外科の担当医(去年と一昨年、K病院で3度の胸の手術を執刀してくれた担当医が、偶然にもこのM病院に移っていて、またまた担当医となってくれた)と相談して薬を替えて抗がん剤治療を続けてみようということだった。
従って、切開手術のように癌細胞を取り去ってしまい完治を目指す治療は取れなく、抗がん剤で癌細胞を押さえ込んでおくだけの治療、大きく悪性化しないように防御しておくだけの治療、上手く行って癌が極小化するということもあるかもしれないというまでの治療しか望めないということだった。
完治はもうない、どれだけ薬で押さえ込んで延命するかだけの道しかないらしい。
いよいよ覚悟して取り組まなければならなくなった。
24日から、抗がん剤治療を始めようと言ってくださったが、こんどの薬は、食欲不振、下痢、吐き気、脱毛などの副作用も激しいらしい。26日の琵琶湖ジョグコン10Kにはどうしても参加したかったので、抗がん剤は31日からにしてもらった。
RUN前に、副作用で体調が変化したらと懸念したからだった。
それでなくとも、7月に終った治療の後遺症が日に日に過激になってきており、指先の感覚がなくシビレが日毎に強くなってきている。足のシビレもきつく、足裏が強張って感覚がないのも心許無い。
8月トレーニングが はかどらなかったのは、オリンピックだけでなく、この手足の痺れも大きく原因していた。
8月26日の琵琶湖ジョギングコンサートは、従って散々な結果に終った。
今年の琵琶湖は暑かった。去年も暑かったが、今年は一層暑さが増したようだった。
先ず、この暑さに負けた。
そして、練習不足、筋力不足に負けた。
普通のランナーにも付いていけなかった。多分、最後尾から2番目か3番目のゴールじゃなかったかな。
呼吸も苦しかった。肺が半分になっているのは去年も同じだったが、今年は去年より苦しく感じた。手足のシビレだけでなく肺の機能も麻痺しているのだろうか。ゆったりとジョグしているランナーのピッチにもついていけなかった。
練習では1K1分づつ短縮しているのだが、この暑さの中では 50mピッチを上げると もう苦しくて続かない。ちょっとだけストライドを広げ気味にして20m進むと 次がガクッと落ち込む。
途中歩きを入れながらも、なんとか10Kのゴールまで辿り着けたが、タイムは1時間33分02秒というワースト計時だった。
なんだか、少しも走りが戻ってこない、JOGにもなっていない。
再発や副作用やらとで 前進どころか後退ばかりの気がしている。
ただひとつ、ゴールで待っていてくれた古くからの走友たちのエールには感動した。嬉しかった。感激でウルウルしながらゴールラインを越えた。やっぱり仲間は素晴らしい。力をもらった。
しかし、このタイムと脚力では、フルの制限時間を破れない、42.195kmの距離も踏めない。
3度の肺がん手術で肺を半分無くしても、2度の大腸がん手術の身体でも 鍛錬次第でフルマラソンを完走できることを実行することで、癌という絶望の病と闘っている沢山の人々に気力と希望と勇気を与え、突然の天災で身近な人を失い生活を失い、深い悲しみで傷ついている人々に、もう一度生きる気力と元気を取り戻してもらいたい一心で思い立った使命、残こり少ない生涯時間内で果たしたい 我が人生の最後のミッションも、これでは果たすことも出来ないではないか。
今日も手足が痺れている。
痺れは、益々きつくなってきている。
指先はビリビリと痛い。
ジョギングコンサートの帰り道も、ショックだった。大原 野村の別れの交差点でブレーキを踏んでいた右足がはずれ、アクセルに掛かって踏み込んでしまい、交差点に勢いをつけて突入する状態になり、ハンドル操作とブレーキで直ぐに立て直したものの、同乗の走友には怖い思いをさせてしまった。
幸い他に走行する車もなく事故にもならなかったが、大失態だった。痺れている足にCROCSを突っ掛けたラフな足元だったため 感覚の鈍った足裏からCROCSがはずれてアクセルを踏み込む羽目になってしまったのだ。その後は、家までツッカケを脱ぎ捨て、素足でペタルを踏み分けた。
このシビレが薄れるまで、しばらくは運転も控えよう。
JOGだけは控えることなく、もっと真剣に走り込まないと 今秋の大阪マラソンも無理なら、来春の京都マラソンも東京マラソンでも完走は夢と消え去るだろう。
もっとも大阪は、抽選漏れで、端から走れないのだが。
ロンドン五輪に見とれて時を忘れているうちに、もう8月が3日も過ぎて行こうとしている。
時の流れは速い。
歳と共にその流れは加速する。
作家の司馬遼太郎師は、その作品「胡蝶の夢」の中で、主人公・松本良順に「時は年齢分の1の早さで駆けて行く」と語らせているが、本当に歳を取ると時間の流れは極端に早くなるように感じる。私の歳では、1時間が50秒70で駆け去ることになる。
3年前にも同じテーマを通信した覚えがあるが、その時は1時間は53秒だった。
あなたの時間年齢は、何秒ですか?いや何分ですか?1時間=3600秒をご自分の年齢で割ってみてください。
なのに今日も暑さを理由に、ランをサボっている。
確か50代までは夏の暑さが大好きで、日盛りの午後の炎天下でも遮るもののない桂川の土手を好んで走っていた気がする。汗が滝になり ウエアはもとよりシューズの中までグショグショにしても、一向に気にしなかった時代があった。それがどうだ、昨日も今日も 暑さを言い訳にしてランなしである。
これでは、フルマラソン完走など夢の世界でしかないだろう。
もっとも、7月8日に終えた半年間の化学療法の副作用というか 後遺症というかの全身の痺れ、全身の末端部分の痺れが、日に日に強くなってきているのも、走る意欲を削ぐ一因になっている。
痺れの原因になっている抗がん剤は、5月の段階で投与を止め他の薬剤だけで治療を進めて来たのに、治療終了1カ月後でもシビレは収まるどころか、日々強くなる一方である。一週間前までは、シビレていても箸もペンも使えていたのに、今週は箸の握りもボールペンで数字を書くのも不自由になってしまった。手先だけでなく足先足裏が痺れて感覚を失くしているので、ランの爽快感がないのも 走りだす意欲を減退させる一因になっている。
癌細胞に栄養を送り込んで増殖させる血液流入を阻害するための抗がん剤が、癌細胞周りの血管や神経線維だけでなく、健全な細胞周りの血管や神経も破壊しているために末端の手先や足先にシビレが起きてしまっているので、これらが再生しないとシビレは収まらないと腫瘍内科の担当医は説明してくれるが、打つ手がないのが現状である。
個人差はあるが、人によっては2年たっても痺れが解消しないこともあるようだ。
手先足先を細かく運動させるリハビリ効果で、毛細血管なり神経線維なりの再生を促すしか手がないようなので、せいぜいランと手先足先の運動をがんばるだけだ。
それにしても今日の検査結果の診療説明は、ショックだった。血液検査は良好なのに、7月27日のCT検査の結果は最悪のものだった。肺に3カ所 膀胱に1ヶ所、また腫瘍が見つかってしまった。
膀胱ガンの対処は急を要するようだ。肺はもうこれ以上切れない。
余命は、これでまた数年縮んだ。覚悟しているとはいえ、ガックリである。
せいぜい、元気な内に、ランを楽しんでおこう。
時の流れは速い。
歳と共にその流れは加速する。
作家の司馬遼太郎師は、その作品「胡蝶の夢」の中で、主人公・松本良順に「時は年齢分の1の早さで駆けて行く」と語らせているが、本当に歳を取ると時間の流れは極端に早くなるように感じる。私の歳では、1時間が50秒70で駆け去ることになる。
3年前にも同じテーマを通信した覚えがあるが、その時は1時間は53秒だった。
あなたの時間年齢は、何秒ですか?いや何分ですか?1時間=3600秒をご自分の年齢で割ってみてください。
なのに今日も暑さを理由に、ランをサボっている。
確か50代までは夏の暑さが大好きで、日盛りの午後の炎天下でも遮るもののない桂川の土手を好んで走っていた気がする。汗が滝になり ウエアはもとよりシューズの中までグショグショにしても、一向に気にしなかった時代があった。それがどうだ、昨日も今日も 暑さを言い訳にしてランなしである。
これでは、フルマラソン完走など夢の世界でしかないだろう。
もっとも、7月8日に終えた半年間の化学療法の副作用というか 後遺症というかの全身の痺れ、全身の末端部分の痺れが、日に日に強くなってきているのも、走る意欲を削ぐ一因になっている。
痺れの原因になっている抗がん剤は、5月の段階で投与を止め他の薬剤だけで治療を進めて来たのに、治療終了1カ月後でもシビレは収まるどころか、日々強くなる一方である。一週間前までは、シビレていても箸もペンも使えていたのに、今週は箸の握りもボールペンで数字を書くのも不自由になってしまった。手先だけでなく足先足裏が痺れて感覚を失くしているので、ランの爽快感がないのも 走りだす意欲を減退させる一因になっている。
癌細胞に栄養を送り込んで増殖させる血液流入を阻害するための抗がん剤が、癌細胞周りの血管や神経線維だけでなく、健全な細胞周りの血管や神経も破壊しているために末端の手先や足先にシビレが起きてしまっているので、これらが再生しないとシビレは収まらないと腫瘍内科の担当医は説明してくれるが、打つ手がないのが現状である。
個人差はあるが、人によっては2年たっても痺れが解消しないこともあるようだ。
手先足先を細かく運動させるリハビリ効果で、毛細血管なり神経線維なりの再生を促すしか手がないようなので、せいぜいランと手先足先の運動をがんばるだけだ。
それにしても今日の検査結果の診療説明は、ショックだった。血液検査は良好なのに、7月27日のCT検査の結果は最悪のものだった。肺に3カ所 膀胱に1ヶ所、また腫瘍が見つかってしまった。
膀胱ガンの対処は急を要するようだ。肺はもうこれ以上切れない。
余命は、これでまた数年縮んだ。覚悟しているとはいえ、ガックリである。
せいぜい、元気な内に、ランを楽しんでおこう。
暑い、めちゃくちゃ暑い。
前夜の五輪サッカー予選「日本×スペイン」戦観戦の寝不足を払って、午前中はM病院でのCT検査に行ってきた。
二度目の大腸がん手術後の 半年掛けた抗がん剤治療の仕上げとも言うべき 病巣検査である。
まだ左肩に埋め込まれたまま残ってる点滴用のCVポ-ト(難しく言うと、抗悪性腫瘍剤静脈内持続注入用埋込型カテーテル)の洗浄を先に済ませ、造影剤注入用の針を左腕にセットし放射線室に向かう、胸部と腹部のCT撮影が済み、処置室で抜針、会計を済ませ外に出ると強烈な暑さ。
朝8時に病院に着いた時はまだ涼しさも残っていたのに、木陰のない病院の駐車場は昼12時前ながら熱く焼けたフライパン状態。車の中はハンドルも握れぬほどに暑い。
これでは昼食後のランは無理。諦めて昼寝をし、夕の陽の沈みを待つ。木陰の続く遊歩道でJOGを始めるも、腹の調子が今一で4キロともたずに中止。一昨日(26日)も激しい雷と夕立の合間に走ったが、ベトベトと纏わり付くような湿気の多さに負けて6キロでダウン。昨日(27日)も4キロではトレーニングになっていない。
22日の「花ハス早朝マラソン」後、どうも調子が上がらない。
この一週間、急激に暑さが増し 続いたせいかも知れない。
それとも「花はす」での記録が、去年より8分も落ち込んで 走る意欲が若干削がれたせいか?
もう一度気持ちを入れ替えて走り込まないと、8月の琵琶湖ジョギングコンサートどころか、秋口か来春のフルマラソン完走など遠すぎる夢に終わってしまう。
自戒、自戒。
前夜の五輪サッカー予選「日本×スペイン」戦観戦の寝不足を払って、午前中はM病院でのCT検査に行ってきた。
二度目の大腸がん手術後の 半年掛けた抗がん剤治療の仕上げとも言うべき 病巣検査である。
まだ左肩に埋め込まれたまま残ってる点滴用のCVポ-ト(難しく言うと、抗悪性腫瘍剤静脈内持続注入用埋込型カテーテル)の洗浄を先に済ませ、造影剤注入用の針を左腕にセットし放射線室に向かう、胸部と腹部のCT撮影が済み、処置室で抜針、会計を済ませ外に出ると強烈な暑さ。
朝8時に病院に着いた時はまだ涼しさも残っていたのに、木陰のない病院の駐車場は昼12時前ながら熱く焼けたフライパン状態。車の中はハンドルも握れぬほどに暑い。
これでは昼食後のランは無理。諦めて昼寝をし、夕の陽の沈みを待つ。木陰の続く遊歩道でJOGを始めるも、腹の調子が今一で4キロともたずに中止。一昨日(26日)も激しい雷と夕立の合間に走ったが、ベトベトと纏わり付くような湿気の多さに負けて6キロでダウン。昨日(27日)も4キロではトレーニングになっていない。
22日の「花ハス早朝マラソン」後、どうも調子が上がらない。
この一週間、急激に暑さが増し 続いたせいかも知れない。
それとも「花はす」での記録が、去年より8分も落ち込んで 走る意欲が若干削がれたせいか?
もう一度気持ちを入れ替えて走り込まないと、8月の琵琶湖ジョギングコンサートどころか、秋口か来春のフルマラソン完走など遠すぎる夢に終わってしまう。
自戒、自戒。