真如苑-許されざる虚構

2010.01.01.ブログ再出発
あらためて、「真如苑」とは?と思われる方々に読んでいただけることを願って…

真如苑とは

2010年01月08日 00時23分02秒 | Weblog
真如苑は伝統仏教であると主張しますが、それがきわめて奇異な主張であることは、その信仰の中心に据えられた「真如霊界」なるものが、古来の仏教の如何なる法脈を辿ろうとも、説明がつかないことで明らかです。
真如苑は、この決定的欠陥を取り繕うために、教祖が法脈を継承し、一宗を起こす正統な法位を得て開いたのだから、正しい伝統仏教なのだという言い方をします。しかし、正法に基づく立教を主張するならば、なおさら、仏教の根本である「悟り」とは似ても似つかぬ他力本願の対象「真如霊界」などというものを教義に持ち込むことは理屈に合わないことになるのです。
「真如霊界」は、開祖の、仏に帰依し仏道に徹する高僧としてではなく、あくまで俗人としての思いつきと言うほかなく、仏教の伝統的修行の中での「悟り」とは無縁のものなのです。

「真如霊界」が単なる思いつき、作り話である以上、その霊界と感応するとか、接心相手の先祖の霊が苦しんでいる様子が見えるとか、そういったことを発言の基盤にする真如苑の霊能者の霊言は根拠を欠くことになります。
従って、いわゆる真如苑の「霊言」は実際には存在するはずもない偽りであって、その霊言の伝授の場である「接心」は、伊藤家伝来の占いに色をつけ平俗化したまやかしの儀式に過ぎません。

また、「霊能」について、仏教(密教)のいわゆる「神通」に通ずるものだという主張がされますが、真如苑の「霊能者」は教祖以来のまやかしの説法を継承したに過ぎず、その「霊能」とされるものは、密教の修行僧、修験者が苦行の末に体得する神通[=超人的洞察力]に比することはできません。仮に、善意に解釈して、「霊能者」に嘘をついているという自覚意識がないとしても、狐狗狸(コックリ)信仰の祭主の憑依と変わるところはありません。
(「神通」とは修行者自らが自らを修めた結果として自らのために得ることの出来る冷徹な洞察力、またそれによってもたらされる深淵霊妙な力であって、仮にそれが観念として自らの内にある自らの霊との対話を含むとしても、真如苑の言うような他所霊界の霊と対話したり感応したりする力ではありません。)

信者は、入信直後から始まる組織的マインドコントロールによって、仏教が何かを自ら考える余裕を与えられることなく、真如苑の意のままに、真如苑こそ本当の仏教であると信じ込まされてしまうのです。(くだんの現役氏も、哀れなことに、その被害者なのです。おかしいと気づきながらも、仏教に持ち込んではならない「霊」を未だに信じているのです。)

真如苑とは、伊藤家とその取り巻きたちの俗世の我欲によって、神聖たるべき信仰を誤らせ、他人の尊い人生を破壊するところにほかなりません。


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18 コメント

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真如霊界 (匿 名)
2010-01-18 16:08:27
「真如霊界」が単なる思いつきでも、それが人を幸せにするんなら いいんじゃないですか?
慈善事業もしているようですよ この団体は。
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多くの人を不幸にする不純教団真如苑 (如是我信)
2010-01-19 17:09:34
私は、現に他の方法では解決しえない自覚的な悩みや苦しみを持つ特定の個人に対して、他の誰をも不幸にしないことが約束されるという前提条件のもとで、その悩み・苦しみからその人を確実に救い出せるのならば、思いつきの作り話も許されていいと思います。
目的が純粋に相手を不幸から救うことであり、かつそれによって他人に迷惑を及ぼさないからです。

しかし、真如苑の場合はどうでしょうか。不特定多数の、多くは自覚的な悩みも苦しみも持たない人たちを相手に、作り事の因縁話や御利益話によって、無用な不安を煽ったり期待を持たせたりして入信させ、いろいろな名目の献金をさせ、奉仕をさせ、さらに「おたすけ」と称して、同じ嘘・作り事でその家族や友人・知人を騙して入信させる欺瞞の再生産システムをネズミ講的に拡大して教団の不純な目的(集金)につなげていくのが真如苑です。不幸と迷惑をまき散らしているのではありませんか?
例えば、家族の一人が信者になったために崩壊してしまった家庭がどれだけあるか、真如苑は真面目に考えたことがあるのでしょうか。

慈善事業もしているなどと言ったところで、その目的は教団の拡大のための宣伝効果をねらったもので、偽善事業と言うべきでしょう。

そもそも、「真如霊界」などという作り事をした段階で、既に悪意を持った教団だったということになるではありませんか。

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ですから (匿 名)
2010-01-22 15:36:28
>そもそも、「真如霊界」などという作り事をした段階で、既に悪意を持った教団だったということになるではありませんか。

ですから、「真如霊界」が単なる思いつきでも、それが人を幸せにするんなら いいんじゃないですか? ってことです。
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既に述べましたが、咀嚼します (信如)
2010-01-22 21:02:08
2010-01-19 17:09:34
「私は、現に他の方法では解決しえない自覚的な悩みや苦しみを持つ特定の個人に対して、他の誰をも不幸にしないことが約束されるという前提条件のもとで、その悩み・苦しみからその人を確実に救い出せるのならば、思いつきの作り話も許されていいと思います」と明確に私の考えを述べました。
他の誰をも不幸にしないことが約束されれば、害はないわけですから、結構でしょう、と申しあげているのですが・・・

でも、作り事・嘘をいって人を騙す段階では、直接の相手さえ幸せに出来る保証はなく、自分の利益のための欺瞞行為ですから、悪にはかわりないということです。
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つまり (匿 名)
2010-01-23 05:14:45
>他の誰をも不幸にしないことが約束されるという前提条件のもとでなら
そりゃあそうですよ。それができてないから、真如苑は駄目なんですよね。しかもその害が偶然ではなく確信犯なわけでしょう。
つまり、問題は、作り話かどうかではないのですよ。
そこを理解していただきたいですね。

>作り事・嘘をいって人を騙す段階では、直接の相手さえ幸せに出来る保証はなく、自分の利益のための欺瞞行為です
幸せに出来る保証は、どこの宗教でも無いでしょう。
ですから、上記表現はおかしいのです。
そして、真如霊界を信じることは 信仰であって嘘ではありません。そこに悪は見出せません。

ただ、信者が勧誘の際に 作り事・嘘を言うのは、そりゃあ欺瞞ですよ。 相手のための嘘、というのもありますよ。ただ真如苑の場合はそうじゃないですよね。
誰かを連れてこないと自分が救われないシステムですから。ネズミ講そのものじゃないですか。w

つまり、何故、真如苑が駄目なのか。それは作り話があるからではありません。 実害があるからです。
では、何故実害が発生しますか?
その答えは、真如霊界を信仰しているから、ではありません。勧誘や献金させるから、でもありません。 そこが分かれば、
このような宗教被害は無くなるのです。勧誘や献金は、断れば済みます。 さてその答えは?
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少し?です (信如)
2010-01-23 15:44:37
>つまり、問題は、作り話かどうかではないのですよ。そこを理解していただきたいですね。

他の誰をも不幸にすることなく相手を確実に幸せに出来るのならば、という条件付きで、私は作り話も許されていいと考えると明確に書きました。
私が、作り話かどうかを問題にしていると思われたのなら、間違いです。私は、作り話の全てが悪だなどと無謀なことは言いません。


>幸せに出来る保証は、どこの宗教でも無いでしょう。ですから、上記表現はおかしいのです。

「作り事・嘘を言って人を騙す段階では、直接の相手さえ幸せに出来る保証はなく、自分の利益のための欺瞞行為です」と書きました。
作り事・嘘を言って人を騙す段階での開祖及び真如苑の行為について言ったのです。日本の伝統的仏教では、作り事や嘘を手段として、意識的に宗派・教団の利益のために欺瞞行為に及ぶことはありません。


>真如霊界を信じることは 信仰であって嘘ではありません。

信仰する側に嘘があるとは誰も言っていません。信仰させる側のことを言っているのです。真如苑が「真如霊界」という嘘の作り事を真実として信じ込ませること、何らかの不幸を先祖の因縁などとこじつけることなどは、邪な意図を持った、仏をも冒涜する最たる悪ではありませんか。


>何故、真如苑が駄目なのか。それは作り話があるからではありません。実害があるからです。

嘘の、初めから相手を騙して利益を得ようとの悪意ある作り話があるから、真如苑は害をもたらすのです。根本にこの悪意の作り話があるから真如苑は駄目なのです。仮に実害がなくても、その意図は悪であることには変わりなく、駄目なのです。

もちろん、真如苑が、真如苑が存在するために、大きな、しかも数多くの実害を生んでいるということは深刻な問題で、真如苑を否定すべき理由です。


>何故実害が発生しますか?・・・・・。そこが分かれば、このような宗教被害は無くなるのです。・・・・・。さてその答えは?

答えを一言で言えば、「真如苑が存在するから」です。
真如苑の存在は、信者ではなく、本来無関係な家族その他の身近な人たちを、謂われのない不幸に陥れるからです。その不幸の数は真如苑の信者の数の数倍にも達するでしょう。真如苑があったために死に追い込まれた人も一人や二人ではないでしょう。精神を病んでいる人も数え切れないでしょう。
真如苑があって幸せを感じている人がいるとしても、それはそのように思わされているだけです。またその陰で、多くの人を不幸にしています。真如苑で幸せを感じられる人は、カウンセリングなどの他の方法で、他人を不幸にすることなく幸せになれる人だと思います。真如苑がなくなって不幸になる人は、正しい意味では、一人もいないでしょう。
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お断り (ブログ開設者)
2010-01-25 00:22:15
ここでの議論を他のサイトに飛ばすようなコメントは削除させていただきます。

意図の不明確な、ブログ本文の趣旨を歪めてしまうようなコメントも、不毛な議論が冗長に続くことになりますので、同様に扱わせていただきます。(筋の通った真面目な反論・批判を排除するつもりは毛頭ありません。)

「掲示板」ではなく、自分の考えをまとめご披露することを目的とする、個人が主宰する「ブログ」ですので悪しからずご了承ください。
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具体的には (匿 名)
2010-01-26 00:07:38
>信者は、入信直後から始まる組織的マインドコントロールによって

具体的には どのようなマインドコントロールでしょうか。教えてください。
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「具体的には」の (匿名)さんへ (ブログ開設者)
2010-01-26 01:34:43

何を目的の質問か、あなたは信者なのか否か、信者だとすれば、入信後何年か、現在の霊位は何か、また信者でないならば、何故真如苑について知りたいのか、何故興味を持つのかを正直に教えてください。

ここはブログです。前コメの繰り返しになりますが、掲示板のように議論を目的にするものではありません。記事に対する感想・コメントは歓迎ですが、他意ある質問はご遠慮いただきたいと思います。
因みに「入信直後から始まる組織的マインドコントロール」と言えば、それがどんなことを指すのかは、真如苑をよく知る批判者であれば、十分に理解されているものと思います。

また、文中での言葉は文脈で理解するべきものが多いと思いますので、記事やコメントの一部だけを他のサイトに引用される場合は、投稿者の原意を損なわないよう、間違っても生半可な理解のまま引用するようなことのないよう十分にご留意いただくようお願いします。
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あらしは・・・ (太助)
2010-01-30 00:31:08
邪魔が入っているようですね。
惑わされず、構わずに続けるのが最善の対策ではないでしょうか。

次稿を楽しみにしています。
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