風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

大迫へ

2018-09-15 | 生活の風景
秋晴れのこの日、花巻市の北東にある大迫へ。
ここは早池峰山、早池峰神楽の里であると同時に
ブドウ栽培が盛んでワインの里でもある。



東京から移住しているカンタくんが育てた
ワイン用ぶどう収穫の姿を取材。
初めての収穫は格別の喜びだろう
終始笑顔のカンタくんだった。



小昼(こびり)には
地元大迫の高鉱菓子店の栗饅頭とおちゃ餅。
栗饅頭は「饅頭」といっても実際には醤油だんご。
中に栗が丸ごと入っている。
旨い。



そしてランチはふじかめさんへ。
暮坪そばとミニ天丼。
近隣の蕎麦屋ではここが一番好み。

いい街だ。
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セプテンバーバレンタイン

2018-09-14 | 文化
最近は聞くこともなくなった言葉。
2月のバレンタインは告白の日で知られるが
(最近はそうでもないのかな?)
9月のそれは別れを言い渡す日という
センチメンタルな日として知られていた。

佐々木幸男さんの「セプテンバーバレンタイン」は
確か高校時代にコッキーポップで知った曲。
佐々木幸男さんの曲は「君は風」が好きだったが
「セプテンバーバレンタイン」も
切ない名曲として記憶に残っていて
10年ほど前にはバンドでカバーしていた。
結構完成度高かったんじゃないかなと思ってるけど。
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夕暮れのマルカンビル大食堂

2018-09-13 | 食べ物・お店


ここからの夕焼けはきれい。
オーダーストップ前のガランとした大食堂も良い。



そしてコレを(^_-)

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その時代、その人の立場で物事を考える

2018-09-12 | 世界・平和


NHKの大河ドラマ「西郷どん」を見ていて考えることがいろいろある。
岩手の人間としては奥羽列藩同盟の一員として薩長は「敵」だから
いろいろ複雑な思いで薩長同盟締結のシーンを見ていた。
幕府を倒すために武力を使わざるを得なかったのはドラマでわかったが、
それならなぜ会津ではあんな残酷なことをしたのか。
実は薩長軍は単なるテロリスト集団だったのではないか・・・
一方で祖父は長州出身ということもあり、
特に井伊直弼による安政の大獄や新選組による志士虐殺などは
心情的に引っかかるところがある。
さて、当時私が南部藩の武士だったら、長州の武士だったら
あるいは新選組だったら・・・と考えてみる。
お調子者の私のことだから、きっとその立場の「正義」に酔い、
威勢のいいことを言って先陣切って飛び込み戦死していただろう。
どの立場だったとしてもだ。
決して西郷や大久保や桂や坂本みたいに思想を論じることもなく。

昭和の初めから終戦までの日本は
今考えてみると、国全体がある意味狂気に駆られていた時代。
自らの命を以って国を守ることこそ唯一の美徳とされ
異を唱える人々は「非国民」と罵るだけだった。
そんな中でも天皇神格視や覇権主義、帝国主義、軍部台頭を危惧し
牢獄につながれたり、命を落としていく者もいた。
さて、私が当時市井の人間だったらどうだっただろうか。
お調子者の私のことだから、きっとその立場の「正義」に酔い、
威勢のいいことを言って、真っ先に志願兵となったり
あるいは周囲から影響を受けた場合は地下に潜って抵抗し
最後にはどちらの立場だったとしても無為に命を散らしただろう。

昭和35年から50年ぐらいにかけ
世の中は高度経済成長時代であったと同時に若者の氾濫の時代だった。
おそらく若者たちの思想の根底には経済成長一辺倒の社会への
アンチテーゼとして「正義」があったのだと思う。
しかし残念ながらその思想が先鋭化していった結果、
榛名山粛清事件や内ゲバへとその行動が変質していった。
さて、私が当時市学生だったらどうだっただろうか。
お調子者の私のことだから、きっとその立場の「正義」に酔い、
先頭切って威勢のいいアジテーションを繰り広げ
だんだん追い詰められていったことだろう。
あるいは(ほんの1〜2年の違いによると思うのだが)
さっさと社会へ出、冷ややかに彼らの活動を眺めながら
当時「エコノミーアニマル」と海外から称された企業戦士になったかも。

私が育った時代は嵐の季節が熾火となり
何をやっても無駄という無力感の中で変動相場制が始まり
いよいよ日本がグローバル経済の荒波に巻き込まれた転換期。
そんな大きな波の翻弄されながらも、
無気力世代、シラケ世代、迎合世代と揶揄されてきた。
幸か不幸か、そんな時代に生まれ育ったためか
さまざまな「正義」を客観的に眺めることができ
冷静に物事を考えることができているのではないかと思う。
(だからこそオウムなどの渦に巻き込まれずに済んだ?)
しかし、過去の出来事を今の価値観で測ることはできない。
今安穏としながら客観的に時代を検証したとしても
未来が見えないその時々に、それぞれの人々の考え方や行動を
高みから批判したりはできないのではないか?
その時代のことを知り、そこにいた人々の心情を推し量って
その立場で物事を考えないと、その本質は理解できないのではないか?
勝手に罵ったり、「正義」振りかざしたりすることの恐ろしさを
私たちは歴史から学ぶ必要がある。
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お化け屋敷

2018-09-11 | 文化


あえて「文化」カテゴリーで(笑)

ここは花巻市内、ホテル花城の向かい側にある
通称「おだびや(御旅屋)」と言われる場所。
花巻の鎮守 鳥谷崎神社の神様が
お祭りの期間中滞在する、いわば別荘だ。
かつては祭り期間中ここにお参りする人が多く、
花巻まつりの中心だった。
敷地が広く、少なくとも私が子どもの頃から
ここには見世物小屋やサーカス、お化け屋敷が
祭りの3日間開かれていた。
どことなく怪しく、妖しい隠微な匂いがする場所で
子どもの頃は大いにそそられたものだった。
今もお化け屋敷が来てるんだねぇ。
拡声器を通した客寄せの声が非日常を演出する。

お化け屋敷といえば
高校時代に文化祭で3年連続お化け屋敷をやった。
初年度はクラス単位の出し物として
2年次、3年次は1年の時の仲間で有志の出し物として。
工事現場からコンパネを借りてきて、
前日から学校へ泊まり込み、徹夜で教室に迷路を作った。
音響を駆使した、当時としては最先端だったと自負している。
3年間続けたお化け役は4人。
みんな自前でファンデーションやら、口紅買ってきて
白い着物を着て、客を大いに怖がらせたものだった。
その4人は、今じゃ2人が医師、ひとりが高校の校長、
そして市議会議長となっている。
それぞれ大活躍だけど、
未だに大なり小なり付き合いがあるのは
友のお化け屋敷をやった仲間だからだと思っている。

今ならあんなこともできた、こんなことも・・・と
新たにいろいろ思いつくんだけど
まぁあの当時のテクノロジーや高校生の限界があるから
現代とな比較できないよね(笑)
でもいまだにお化け屋敷運営を
興味深く思っているワタシがいる(笑)
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まつりの後

2018-09-10 | 文化


初日は権現舞パレードに出た後
薪鹿踊りを見にまたお祭り広場へ。
2日目は花巻の鎮守 鳥谷崎神社の式後
午後いっぱい市内渡御に随行。
15km、3万歩近く歩いてヘトヘトに。
休憩のたびに飲んだはいたが、
それでも中日ぐらいは飲みに行こうと
直会後にぶらりと街中に向かったはいいけれど、
どこもいっぱいで疲れ果て、結局帰宅。
3日目は前日に引き続き鳥谷崎神社で式後、
午後から社務所にて奉納神楽。
大雨も相まって、そのまま帰宅した。

神楽衣装で3日間を過ごしたのは初めてで、
神輿も山車もほとんど見ることができなかったけど、
なんか妙に満足感のある今年の花巻まつりだった。
欲を言えば中日もう少し見たかったけど、
直会後向かった時にはには自由運行も終わってたし、
ヘトヘトで飲みに行くのもようやっとだったから、
庚子会の同級生たちに会って、
直会誘われた時にはもう電池切れ。
断って帰ってしまった。

若い頃は神輿も目一杯担ぎ、
身体中のエネルギーを出し切る3日間だったけど、
年齢相応の楽しみ方があっていいよね。
3日間とも雨に祟られたけど、
ともかく平成最後の花巻まつりは終了。
皆さんお疲れ様でした。

庚子会は今年30周年。
感慨も深い。
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花巻まつり最終日

2018-09-09 | 文化


今日は鳥谷崎神社のお祀り出席と神楽奉納。
11時からの式に出た後、
14:00ごろから神楽殿で数番神楽を奉納する。
見にくる人いるかなー(^^;

お祭り広場では
15:40から花巻囃子踊りパレード、
16:40からは神輿が繰り出し
18:00から山車の連合パレードがあり
19:30の大手締めを迎える。
まつりの最後を飾る、魂が震える瞬間。
20:00からの神輿・山車自由運行が
3日間のまつりを惜しむように
最後の華やかさを競う。

最後までお楽しみください。
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花巻まつり2日目

2018-09-08 | 文化


今日は鳥谷崎神社御神輿渡御への神楽としての随行。
13:00に鳥谷崎神社を出発し、市内を巡って
18:50から上町通りを渡御する。
神社に帰った後は権現舞で締めとなる。

鹿踊りは15:00から、
16:30からは神輿が繰り出し、
渡御後の19:10からは山車のパレードとなる。
20:20からの神輿・山車自由運行も見もの。

お楽しみください。
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花巻まつり初日

2018-09-07 | 文化


今日は権現舞パレードに参加。
花巻神社から15:30にスタートし
16:20から上町通りで権現舞演舞披露。

その後、17:40から神輿、
18:30から山車のパレードがある。
今日の最後は20:00からの
鹿踊り かがり火群舞。

みなさんお楽しみください。
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Machicoco便り vol.33

2018-09-06 | マチココ
今日は月1度の「マチココスタイル」放送日。
13:20ごろから花巻コミュニティ放送FM oneにて。

32ページとなった8/10発行の9号で特集した
花巻まつり、石鳥谷まつり、土沢まつりを間近に控え
改めて見どころなどもお話しできると思います。
また、もう始まっている10号(10/20発行)の取材裏話も。

ラジオアプリを使い、全国で聴取可能。
乞うご期待です。
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新聞

2018-09-05 | 文化
自宅では毎日新聞、事務所では朝日新聞をとっている。
時間がないときはナナメ読み、
時間に余裕あるときは両紙をじっくり読む。
それぞれの会社の姿勢や考え方が違っていて面白い。
ただし毎日新聞はローカルがちょっと薄いかな。
情報も遅いので、たぶん岩手対応が弱いのだろう。

特にじっくり読むのは週末掲載の読書欄。
どんな本が出ているのか、自分の趣味もさることながら
仕事上のネタやヒントが沢山隠れている。
両紙ともその時々でテーマが絞られているようで
似たようなカテゴリーが並んでいたりするんだけど、
ハマったカテゴリーがテーマだと隅から隅まで目を皿にする。
先週末は面白かったねぇ。







今回は社会手なことがテーマだったらしく
面白そうで、手に取ってみたい本が幾つも並んでいた。
この分野は仕事上も参考になる。
なるほどなぁ。

朝日新聞の方の楽しみは「折々のことば」。
昔は大岡信さんの「折々の詩」だったけれど、
今は様々な人の発言や著作からの引用だ。
時々ハッとさせられることばや
「なるほど」とつい膝を打つことば、
じんわりと胸にしみ入ることばがある。
最近ではこの吉本ばななさんのことばに共感。



それと、著名人が自分の人生を語るコーナーがあり
今は詩人の谷川俊太郎さんが連載している。
昔から大好きで、詩集も何冊かもっている人なので
興味深く読んでいる。
自在に日本語を操りつつ
ことばを編み出しているように思えるけれど
それなりに呻吟しつつ、生み出しているんだなぁ。



詩は、実は感覚的なものにあらず。
根底には深い思索と、確固たる哲学がある。
だからことばに力があるのだろう。
それ無しで紡がれた詩はどうしてもフワついたものになる。
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このまちの片隅で

2018-09-04 | 生活の風景


カメラを構えると
足を止めてポースを取る猫さん。
花巻 上町の路地にて。
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花巻まつり

2018-09-03 | 文化


今週末は420年以上の歴史を誇る花巻まつり。
全国的に有名な各地のまつりほどは有名じゃないかもしれないが
それは「人に見せる=観光」としてプロモーションするよりも、
花巻の人たちが自ら参加することの方に力を入れているから。
極端な話、観光客がいなくても、参加者たちは精一杯まつりを楽しむ。
小学校は午前授業となり、市内の会社もまともな仕事にならない。
お盆過ぎから山車作りが始まり、御輿の準備も始まる。
鹿踊りや手踊り、神楽権現舞など、それぞれの参加も多様だ。

例えば私の学年の御輿は、賄い込みの参加費が3日間で1万円/人。
100人以上はメンバーがいるからそれだけで予算規模100万円。
そんな御輿がざっくり120基あるから1億2千万円。
(御輿の台数はギネス認定済み)
そのほかにもっとお金がかかるであろう山車は12台ほどが出る。
もちろん御輿や山車の運行が終わった後
3日間ともにみんな飲みにも出るから経済効果はさらに広がる。
「まつり3日間で花巻の経済が成り立っている」とも言われる所以だ。
まつりの2〜3週間も前から
市内のスーパーやホームセンター、衣料品店では
肌着や股引、前掛け、草履や小物など
まつりグッズコーナーが入り口側に設置されるほど。

さて、すでに10年も前に引退した私は今年も御輿には参加しない。
仲間たちの御輿をニコニコ応援しながら見ているだけだ。
その代わり今年のまつりは大忙し。
初日は例年通りの権現舞パレードに参加。
2日目は祭神である鳥谷崎神社御輿渡御への随行がある。
神楽表紙を奏でながら市内約16kmを渡り歩くのだ。
そして3日目は鳥谷崎神社での権現舞奉納。
神楽装束ですごす3日間になる予定。
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まちづくりと生き方

2018-09-02 | 世界・平和
昨日の土曜日は、
午前中に家内の携帯機種変つきあいからの
昼過ぎからは2つのイベント出席。







まずは岩手33スタジオ主催のセミナー。
岩手県内33市町村をつなぐコミュニティが
県内各地の町の課題について考えるというもので
今回花巻市での開催となり、
花巻市職員でリノベーションまちづくりを担当する
おなじみ伊藤ケイ子さんの話だった。

具体的手法ではなく考え方と熱意について。
約40分間の話を聞いた後みんなで実際のまち歩き。
改めて、花巻のまちに魅力を感じる。
こんなまちへのアプローチの仕方もあるなと
Machicoco的には大変勉強になった。
その後co-baへ戻ってのディスカッション。
まちが持つポテンシャルと、魅力をどう生かしていくか。
自分のミッションと捉えている
「まちのプロモーション」はどうあるべきか。
現状の問題点を考え、その原因をどんどん遡って追求すると
結果として、花巻市民ひとりひとりが
「知る」「気づく」「考える」「意識する」に至る。
そのためのMachicocoなのだと再認識。
それには何より継続することだ。
多少しんどいことがあっても継続することが一番。

終了後参加者みんなでマルカン大食堂を堪能。
またco-baに戻って、
今度はセカンドワーカーズストーリーvol.7に参加。





今回は旧知のクリエイティヴディレクター金谷克己氏。
話を聞きながら思い出した。
そうだよ、初めて金谷さんに会ったのは
まだ私が30代のはじめごろ、彼が20代のころ、
Mac使用の先駆けだったデザイン事務所ファブリックにて。
Macの可能性を探っていた私は
同社のデザイナー金谷さんを紹介されたのだった。
その後も仕事上で会社としてのつきあいがあり
私は直接的に絡んだことはなかったものの
つかず離れずでここまで来た。

やりたいことをとにかく突き詰めてきた金谷さんが
いつしか二次元デザインのみならず、
場までデザインするようになったのは必然か?
いま本業とそれ以外の雑事との間の調整に
ちょっと考えるところがあった私の現状だったのだが、
そうだよね。
人生にグランドデザインはない。
理念の部分で1本筋が通ってさえいれば
あとは進むべき方向がどちらを向くのかは風次第。
いや「進むべき」という概念すら要らないのかもしれない。

昨日あんなこと書いたばかりなのに
自分自身が「べき論」に縛られていた。
「デザイン的思考をビジネスに」
という金谷さんの言葉をもじると
「人もまちも編集してプロモーション」
が自分のミッション。
その延長線上に自分の仕事がある。

2つのイベントで2つの再認識を得た。
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芸術は創造性

2018-09-01 | 文化


昨日の朝日新聞「天声人語」。
岡本太郎が日本の「わび・さび」に幻滅したとあるが
それは本質的な「わび・さび」思想に幻滅したのではなく
現代に残る「わび・さびのようなもの」に幻滅したのだろうと思う。
本来のそれは利休の思想に見るように
極めて創造的で、革新的で、旧来の文化価値の破壊を内包するものだから
「こうあるべき」とは真逆なものであると言えるから。

例えば、中国大陸や朝鮮半島からのいわゆる「唐物」を尊んでいた
それまでの茶人の文化的価値観を根底から覆し
新しいものを自ら作らせる「今様」を用いたこと。
それどころか周囲に生えている竹を切ってきて花入として使うなど
利休の審美眼の斬新さは当時の人たちを驚かせただろう。
茶室の設えも躙り口を設けたり、2畳という小間をを作ったり
それまでの茶の湯の価値観に革命的な挑戦を行ってきた。
彼の日の価値観のコンテにあったものこそ「わび・さび」だった。

しかし岡倉天心や柳宗悦の批判を見るまでもなく
近代以降、いや利休以降の茶の湯は単なる利休の猿真似にすぎない。
なんのことはない、利休以前の「こうあるべき」が
利休以降の「こうあるべき」に変わっただけだ。
形式にハマり、名物を愛でで揃え、自らその本質を知ろうとしない。
そりゃ岡本太郎じゃなくても幻滅するだろう。

縄文土器には、そんなことに縛られていない独創的な美がある。
自らが美しいと感じる創造性と実用性がある。
自分の価値観で、「名物」ではないものの美を発見する。
それこそが本当の芸術家じゃなかろうか。
私の心の師、柳宗悦氏も同じことを言っている。

そして現代においてそれは芸術に限ったことじゃなくなっている。
人生の進路も、社会での個人の有り様も、個性や多様性も
「こうあるべき」ばかりが幅を利かせている。
自分の価値観より、他者からの評価ばかり気にしている。
「こうあるべき」が高じて「ねばならない」ことばかりだ。
つまらない世の中になったものだ。
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