はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

母の文章

2017-12-14 06:00:47 | はがき随筆
 ある時、母の文章を目にした。母は筆まめで、よく便りをくれた。達者な字で、いつも近況を添え私たちの健康や安全を気遣うものだった。
 しかし、その文は違っていた。「足、足、足というほど足が痛く、びっこを引いています」「誰か治療法を知りませんか?」とある。25年前、同窓会の会報に寄せられたもの。その頃から腰が曲がり、つえをつき、ついには歩けなくなった。私は見守ることしかできなかった。娘には言えなかった親の思い、苦しみが母の年になり深く骨身にしみる……静かに時雨が降り秋が行く。
  出水市 伊尻清子  2017/12/3 毎日新聞鹿児島版掲載

折り鶴

2017-12-14 05:47:58 | はがき随筆


 中学の同窓会の席に3羽の折り鶴が飾られた。Kさんが折った、すてきな猪鹿蝶の絵柄の鶴だった。写真を送ると、彼女から折り鶴と折り紙が送られてきた。その夜、妻と夢中になって鶴を折った。子供の頃は戦争で折り紙などなかったので、新聞紙で飛行機やかぶとを折ってよく遊んだ。折り鶴とだまし船は母にせがんで折ってもらった。
 上毛新聞社が創刊130周年を記念して、折り鶴になる新聞を出した。手紙を出すと、世界の国旗をデザインした紙面が届いた。カラフルな紙面を折ってみると、大きな鶴となり、群馬からの使者が舞い降りてきた。

シカ君の頭蓋骨

2017-12-14 05:40:05 | はがき随筆
 帰省した娘と栗野岳周辺を散策し、帰りに寄った物産館でのこと。「お父さん、ちょっと来て」と娘が呼ぶ。行ってみると立派な角を付けたシカの頭蓋骨を挿して「これ買いたいけどどう思う?」と。「欲しいなら買いなさい。どこにでもあるものではないと思うよ」
 「んだ、まあ! そよ買て何よすっとお?」。頭蓋骨をしっかり抱いてレジに並んでいる娘に周囲のおばあちゃんたちの驚きの声。角だけはよく見るが頭蓋骨付きとは――。娘と考えた。「猟師魂かなあ、何かしらシカ君への敬意を感じるね。生前の表情が見えてくるみたいだ」
  出水市 中島征士 2017/12/1 毎日新聞鹿児島版掲載

遊んでから

2017-12-14 05:32:08 | はがき随筆
 中卒時の同級生321名。卒業とともに再会かなわぬ友が多い。菓子店の子だったN子ちゃんもそんな一人だったが、東京で既に亡くなっているという。
 彼女の家へ行くとおいしそうな菓子がガラスケースに並んでいたが、私のお目当ては彼女が毎月買ってもらう雑誌だった。見せてほしくて行くのだが、なかなか見せてくれなくて、さんざん遊んで暗くなりかけた頃にやっと本を出してくれるのだった。毎日少しずつ読ませてもらったのか借りて帰ったのか、はっきり思い出せない。早く読みたい心を押さえて遊んだ小6の頃が、彼女とともに懐かしい。
  霧島市 秋峯いくよ  2017/11/30 毎日新聞鹿児島版掲載

炊飯器寿命かな?

2017-12-10 21:15:01 | 岩国エッセイサロンより
2017年12月 8日 (金)
岩国市  会員  林 治子

 朝ウオーキングから帰り玄関を開けた途端いつも匂ってくるご飯の匂いがない。確かにセットしたのに。とうとう寿命か。コンセントを外したり差し込んだりしてみた。どうにか動きそう。やがてコトコト音がした。3合炊きで家族が少なくなった今重宝している。  
 15年前に大阪から帰る時、田舎は都市ガスでないから電気で炊くようになるという友人からの頂き物。その親切に感謝した。でも品物を見てびっくり。中の釜にご飯粒がついていた。嫁入りさせる時は磨きをかけるのでは? 彼女にどんな考えがあったのか。聞くわけにもいかないが今も不思議だ。
(2017.12.08 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

最期のとき

2017-12-05 17:07:57 | 岩国エッセイサロンより
2017年12月 4日 (月)
   岩国市   会 員   片山清勝

 5年ほど前、妹の連れ合いが難病と診断された。全快の約束はなく、妹たちはそれなりの心構えをした。痛みの緩和はもちろん、余病の併発にも注意を払いながら、入退院を幾度となく繰り返していた。
 ある日、主治医から複数の延命策について説明があった。義弟は延命治療を望んでいなかったものの、それでも妹は、3人の子どもとしっかり話し合った。「夫の厳しい症状を考え、延命治療は受けないことにした」。そう決めた妹の表情は、苦渋に満ちていた。いつかはこうなると覚悟し、心の準備はしていたが、いざ直面すると、皆、沈黙した。
 夫として、父として、そして祖父として…。妹たちは、これまでに義弟から受けた深い思いやりに感謝し、手を握り、体を優しくなでながら、最期のときを見守った。傍らにいて胸を打たれた。
 義弟は73歳で生涯を終えた。闘病の苦しみを感じさせない、寝顔のように穏やかな表情に救われた。
 妹の長男は、会葬者を前に、遺族としてしっかりとした内容のあいさつをした。聞いていて「義弟は安らかな気持ちで彼岸へ旅立った」と私は信じた。

   (2017.12.04 中国新聞「明窓」掲載)