はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

山のおもてと裏

2009-11-14 19:06:41 | はがき随筆
 まるであわてて変身したかのように色を競い合い「見て!」といわんばかりに青空に胸を張り、きらきら輝いている木の葉たち。そして白紫・六観音・不動の池をこれでもかと引き立てている。美しい。
 寒波の予報に、今日しかないとえびのへ向かった。考える事は皆おなじ、つかのまの四季の恵みに大勢の人が紅葉のトンネルを笑顔で行き交っている。
 帰りぎわ、救急車やヘリコプターのざわめきに不吉な予感。家族とはぐれた一人の少年が山の中にいたのだ。翌日は冬の嵐。祈る思いは届かず、悲報の映像に涙が止まらなかった。
  薩摩川内市 田中由利子(68) 2009/11/13 毎日新聞鹿児島版掲載
写真はMysさん

いつかいいことが

2009-11-12 22:59:53 | 女の気持ち/男の気持ち
 「オレは子供は作らん。オレみたいな子やったらかなわんから」
 そう言っていた息子から
 「子供ができました」と電話がかかってきた。そうか、君も人の親になるか……。さまざまな出来事が胸をよぎる。
 登校拒否、昼夜逆転の生活、高校中退、引きこもり……。彼は全く予想もしなかった方向に進んでいった。親としてどう動けばいいのか、夫婦げんかもしたし、公的機関に相談に行ったこともあった。
 後に息子が「あのころ、いつお母さんが殺しに来るのかと不安だった」と語った。意外だった。敵意むき出しの眼光で親をにらみつけていた息子が…。
 幸運だったのは、恋人であり、一番の友達である女性と出会えたことだろう。
 通信制の高校を経てコンピューター専門学校に通い、資格も取った。でも自分はやはり肉体労働が向いているからと、さらにクレーンの国家資格を取り、現在の会社に正規採用されるに至った。そばにはいつも彼女がいてくれた。今は息子のお嫁さんとなった彼女の母性が、きっと私より勝っていたのだと思う。
 「あのころの自分の心がよう分からん。違う人格に乗っ取られていたようだ」と当時のことを恥ずかしそうに話した息子。
 さて、これからは彼の子育てぶりをとくと拝見させていただこうか。ちょっぴり意地悪心さえ起こる余裕まで出てきた私である。
 長崎県東彼杵町 杉本共子・56歳 2009/11/12 毎日新聞の気持ち欄掲載


クツワムシ

2009-11-12 22:51:44 | はがき随筆
 朝夕冷え込むようになった。いわゆる晩秋である。夜、外に出てみる。ガチャガチャ鳴いている。クツワムシである。他の虫は冷え始めて鳴くのをやめている。冬に備えているようだ。
 台風が来た時に思ったことがある。怖い思いをした後、風雨が弱くなって一番に鳴き始めたのはクツワムシであったと認識している。幼いころ、ガチャガチャと聞こえると、ほっとした記憶がある。リーンリーンと鳴く鈴虫とかチンチロリンと鳴く松虫に比べて音色は良くない。ガチャガチャどうるさいくらいに、冷えても風雨でも気にせず鳴く、強い虫である。
 出水市 御領 満(6D) 2009/11/12 毎日新聞鹿児島版掲載


黒の仕事着

2009-11-12 22:48:08 | はがき随筆
 母の入所先、グループホームの所長さんの仕事着は黒です。別に制服でもなく、ご本入の好みと思う。最初のころは気がつかなかったが、訪問のたび黒の上下服です。
 柔和な感じで仕事熱心。苦労や悩みが表情に出ないし、おっとり癒やし系で、人々を安心させての対応ぶりに、母などたいへん感謝しています。もちろん家族も何の不満もありません。
 「黒がとても似合われます」と本音を告げたら「僕は肌の色が黒いので」と控えめな返事。
 また女性介護士の方々も、常に親切で、笑顔が絶えません。
 敬服の限りです。
  肝付町 鳥取部京子(70) 2009/11/11 毎日新聞鹿児島版掲載 

無事のお帰りを

2009-11-12 22:37:08 | はがき随筆
 鹿児島市内に転勤した息子が「駐車場がなくて、車での通勤は禁止だからバイクを買う」と言う。出水に良い店があるとの夫の薦めで、出水で買った。
 1週間後、大きなバイクが届いた。免許取りたての息子に、慣れないバイクで紫尾山越え、入来峠越えをして鹿児島まで走らせるのは不安でならない。そこへ息子から忙しくて取りに帰れないと運絡がきた。
 すると夫が「おれが乗って行こう」。それはそれで心配だったが、私は目をつぶった。
 孫が何より大事という私の母は「それは良かった。山越えは危ないからね」とにっこり。
  出水市 清水昌子(56) 2009/11/10 毎日新聞鹿児島版掲載


死なないで

2009-11-12 22:25:44 | 女の気持ち/男の気持ち
 夫が3度目の入院をした時、いつかは終わりが来ると思いつつ、私は頼んだ。
 「死なないでね。I人にしないでね」
 夫はにこやかに笑った。つかの聞の安堵。幾たびこのセリフを言ったことか。医師の宣告を青ざめて聞いたにもかかわらず、奇跡が起こるやも知れぬのだからと、真実そう思った。だんだんやせてゆく夫を見ても、もともとやせぎすなたちなのだと思おうとした。
 夫は我慢強い人で、私の前では弱音を吐かなかった。それが2ヵ月を過ぎたころ、大きくため息をついてこう言った。
 「ぼくはもう疲れたよ。頑張れないよ」
 ずっと前から何日も胸に収めていた言葉に違いなかった。私は息もできないほ
ど胸が痛んだ。
 「お父さん、頑張らなくてもいいよ。怒ってもいいよ。泣いたっていいよ」
 そんなことを言うつもりじゃなかったのに、なぜかすらすらと言えた。神様が「そう言いなさい」と肩を押してくれたのだろう。
 10日後、夫は私の知らない間にI人で眠るように逝った。「死なないで」云々
という言葉は「妻が嫌がる。こっそり死のう」と無意識のうちにこういう結果を導
くと聞く。でも誰もが「死んでは嫌」と思うのではないか。
 最近、私の大切な知人が入院した。再び単刀直入に「絶対に死なないで」と言うことに決めている。だって本当の気持ちだから。
  大分県竹田市 三代 律子・75歳 2009/11/8 毎日新聞の気持ち欄掲載


巡る季節に

2009-11-12 22:10:54 | はがき随筆
 柿の木に登り、実を取ろうと枝に手をのばしたとたん、バランスを崩して落ちた。
 日吉町の山あいに引っ越して迎えた秋。高さ3㍍くらいからだったが、シラスの庭だったためか、軽い打ち身ですんだ。しかし、当時10歳の私は、初めてのことで死ぬかと思った。
 縁側で縫い物をしていた母が、はだしでとんで来た。「母ちゃん、死にたくない」。しがみつくと「おとなしくならんと」ときつく抱きしめてくれた。
 男の子とチャンバラごっこをしたり、野山を駆け回っていた私は、静かになった。母も逝って7度目の季節が過ぎていく。
  いちき串木野市 奥吉志代子(61) 2009/11/8 毎日新聞鹿児島版掲載

気になる温暖化

2009-11-12 21:59:55 | はがき随筆
 昨年の日誌に、ブロッコリーのおんぶバッタによる大被害に困ったと記している。今年は今のところ大根や小松菜などに1~2匹見られる程度。夏はアブラゼミやハグロトンボなど数少なく、秋□のクツワムシなどの鳴き声も少なく感じた。家の庭には花木・楓・草花が所狭しと茂っているので環境としては著しく変わってない。現在、富有柿の鈴なりとピラカンサに振り向く人も多く、鳥の被害もなく楽しめそうだ。悲喜こもごもの様子を並べたが、これらが地球温暖化に起因するとすれば一大事。対策に営みをたゆまなく続けるしかないと自覚している。
 薩摩川内市 下市良幸(80) 2009/11/7 毎日新聞鹿児島版掲載

「逆境の赤い線」

2009-11-05 15:47:08 | 岩国エッセイサロンより
    岩国市  岩国エッセイサロン会員   沖 義照

 台風の接近で秋というのに天の低い昼下がり、久しく見向きもしなかった古い文庫本のなかから1冊を取り出した。見開きに万年筆で購入日が書いてある。21歳のとき買ったものだ。

 めくっていくと、最後のぺージに赤い線が引いてある。「傷ついても、之が神から与えられた杯ならばのみほさなければならない」というくだりである。失恋という逆境こそが、より強く生きることができる原動力だとうたった武者小路実篤の『友情』である。

 私が逆境でもがいていたときに読んだ本なのだろう。赤い線が、左に右に大きく揺れ動いている。
 (2009.11.05 毎日新聞「はがき随筆・特集『実』」掲載)

随筆にチャレンジ

2009-11-05 12:33:57 | はがき随筆
 昨年から随筆を書き始めた。
 きっかけの一つは、退職して七十過ぎても元気な方がいる。聞けば案の定、趣味やスポーツに熱中しているとのこと。私ものん気に暮らしているわけではないが、何かしなければと思うようになっていた。
 二つ目は、最近、老いや死を意識するようになった。いつ死ぬか分からない人生を、生きた証しとして記録に残しておきたい。
 そんな衝動に駆られ、随筆つづり「今を生きる」を作り始めた。「葉隠」の「好きなことをして暮らせばよい」を心に留めながら、書き続けていきたい。
  日置市 高橋宏明(66) 2009/11/5 毎日新聞鹿児島版掲載

せめて母の味を

2009-11-05 12:25:20 | はがき随筆
 栗の渋皮煮を作った。とにかく肩の凝る作業である。3時聞かけて皮をむき、丁寧に渋を抜く。今年はやめておこうと、なるべく栗を見ないようにしていたのだが、息子から「食べたい」と所望されたのだ。
 遠方で独り暮らしを始めて3年。たまに食事の献立を尋ねると、わが家の食卓より立派なご馳走で噴きだしそうになる。唯一の趣味がお料理だと答える。手作りおやつにこだわった私に、小学生の息子は「今日はこれ作っててね」と毎日リクエストしたものだ。
 意に反して私立高校へ進学した息子は「高校を辞めたい」と言い出した。なだめすかし、起こそうとして罵声を浴びた。母の意地とばかりに無理やり抱え、突き飛ばされて青あざを作ったことも。そのうち遊び始め、出かけようとするバイクの前に立ちはだかったりもした。帰宅も遅くなり、夜中に無言で息子の食事の相手をした。どんなにケンカしていても、食事だけは必ず黙って食してくれた。
 もう限界と姉に泣きついた時、姉は「生きてさえいれば、必ず何とかなる」と言ってくれた。その言葉を胸に抱きながら「今日眠ればまた明日がやって来る」と自分に言い聞かせた。荒れた気持ちに寄り添えず、息子を責め続けた日々。
 ようやく夢に向かって歩き出した息子。大人になった息子に何も言うことはない。せめて母の味を届けてやりたい。心の中で「頑張てね」とエールを送る。
福岡県大刀洗町
 白石 睦月・47歳 2009/11/5 毎日新聞の気持ち欄掲載


儀式

2009-11-04 21:58:00 | はがき随筆
 「儀式をお願いね」。妻が素肌の背を向ける。「あいよ」と答え、彼女が両肩にかけたバンドを引っ張りながら「これはいつ卒業するの?」と聞いてしまった。すぐさま怖~い雷が落ちる。「ブラジャーをするのは女の身だしなみよ! ずっと着け続けます!」。私は首をすくめてホックを留めた。
 その後「さあ、一日の始まり始まりー」と彼女が朗らかに言ったので救われる。
 妻は右手がかなわないので、ブラ留めを私に頼む。それを私たちは″儀式″と呼んでいる。朝の儀式は、我が家の安泰のあかしか……。
  出水市 清田文雄(70) 2009/11/4 毎日新聞鹿児島版掲載


向田邦子展

2009-11-04 17:25:54 | かごんま便り
 28日に生誕80年となる作家、向田邦子(1929~81)の特別企画展が30日まで、鹿児島市城山町のかごしま近代文学館で開かれている。

 雑誌記者からラジオ・テレビの脚本家となって数々の傑作ドラマを生んだ後、50歳で小説に新境地を開いた。直木賃を受け、これからという時に飛行機事故で散った。

 彼女は多感な少女期を鹿児島で過ごした。わずか2年3カ月ではあったが、鹿児島での暮らしは、平凡な市井の人々の日常を、鋭い人間観察の視点で描く作風の原点だと述懐している。東京生まれでいわゆる″田舎″を持たない向田は終生、鹿児島を「故郷もどき」と呼んで愛し、作品にもしばしば登場させた。

 同館が所蔵する約9300点もの遺品の大半は「鹿児島に嫁入りさせよう」との母・せいさんの言葉で寄贈されたものだ。今回はそのうち約450点を見ることができる。この種の展示は年代順に並べるのが通例だが、アルファベット26文字になぞらえたキーワードに沿ってテーマを分類しているのがユニークだ。

 学芸員の山口育子さんによると、従来とは趣向を変えた展示をとの遺族の意向を受け、4人のスタッフがアイデアを練ったという。草稿やメモから愛用品の数々まで、ART(絵画)▽DISH(器)▽FASHION(装い)▽WORD(言葉)――などなど、さまざまな角度から紹介し、いままで知らなかった「向田邦子」像が見えてくるという狙いだ。KはもちろんKAGOSHIMA(鹿児島)である。

 同館から500㍍ほどの平之町に居住地跡があり、少し歩くとビルの間から桜島が望める。亡くなる2年前、鹿児島を訪れた向田は街の様変わりに驚くとともに、変わらないのは「人」と「生きて火を吐く桜島」だと書き残した。彼女は鹿児島県人ではないが、確かに鹿児島が生んだ、あるいは育てた作家なのだ。

鹿児島支局長 平山千里 2009/11/02 毎日新聞掲載


30円の重み

2009-11-03 11:09:56 | はがき随筆
 バス通学をしている小学2年の孫は、下校時のバスを降りようとした時、カードリーダーに、30円不足の表示で呼び止められた。お金はない。どうしようと、もじもじしていたところ、親切なご婦人2人に助けていただいたそうだ。孫の話によれば、前の席にいたおばさんが20円、別のおばさんが10円出してくださった。2人にお礼を言って降りたとのことです。
 もし私がその場に居合わせていたら、と考えさせられた。
 貴重な体験をした孫は、30円の重みを大事にして、相手に対する思いやりの心を身をもって学んだことでしょう。
  鹿児島市 竹之内美知子(75) 2009/11/3 毎日新聞鹿児島版掲載

秋の終わりに

2009-11-02 19:26:43 | アカショウビンのつぶやき
 我が家のたった一つの宝物「フェイジョア」。
今年はどの台風もコースを外れてくれたおかげで、まれにみる大豊作だった。
毎朝、木の下に潜り込み幹を揺すっては落ちた果実を拾う。多い時はバケツ半分ぐらいにもなる。しかし油断すると落葉に隠れた実を踏みつぶすことがある。シマッタと足下を見ると、つぶれた実から甘い香りが立ち上る…。

 花も味も香りも楽しめる果実なので、道路に落ちた実は車輪につぶされながら、あたりに甘い香りを漂わせている。
 この頃だんだん実が小さくなり今年の収穫はそろそろ終わり。でも味が良いのは小粒だからこれからも楽しみは続く。

 高いところには、キウイフルーツもたわわに実っている。しかしこちらは脚立に乗らないと収穫できず、転倒が怖くて脚立に上れない私は下から眺めるばかり。「キウイ狩りに来ませんか」とお誘いしても、だあれも来てくれないんです(*^_^*)