はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

はがき随筆9月度

2013-10-26 15:23:29 | 受賞作品
 はがき随筆9月度の入賞者は次の皆さんです。
 【月間賞】11日「父が見た星空」種子田真理(61)=鹿児島市
 【佳作】15日「ペットの盆供養」一木法明(78)=志布志市
     21日「初秋」橋口礼子(79)=出水市


父が見た星空 延命治療などをせずに自宅で息をひきとった父親の、臨終の時の様子です。父親の最期に天井に星を見ていたという。幻視だといってしまえばそれまでですが、本当に見えていたと信じるのが家族の愛情でしょう。自分の好きなものを見ながら死んでいく幸福が、暖かく描かれています。
 ペットの盆供養 僧職の筆者に、ペット霊園から、盆供養の読経と法話の依頼があった内容です。行ってみると、室外に溢れるほどの参列者で、飼い犬にも飼い主に対する深い思いがあるのではないかと話した。釈迦入滅の時、動物も嘆き悲しんだという涅槃図は私たちに馴染みのものですが、犬から人へという法話の内容に興味深いものを感じました。
 初秋 昨今の初秋のたたずますい誰もが心地よく感じるものですが、それが実に美しくまた優しく描かれています。朝焼け、涼風、彼岸花、葛の花、その中での早朝散歩、残りの人生を自然の美しさに溶け込ませていきたいというのも、ある意味では日本人らしい悟りかもしれません。静かな文章です。
 次に心に残ったものを3編紹介します。
 森園愛吉さんの「今自慢のもの」は、緑のカーテンを試みたが、何度も失敗した。それが、今年はヘチマで成功した。自慢するほどのものではないのかもしれないが、やはり自慢したくなり、それが嬉しい。読んで嬉しくなる文章です。秋峯いくよさんの「追悼歌文集」は、夫君とご母堂のために追悼文集を出し、周囲の人に喜んでもらっている。題は自分の短歌からとり、「夫を待つ庭」とした。こういう家族のいたわりあいは素晴らしいと感じました。的場豊子さんの「日割り何十銭」は、結婚して46年、結納金が破格だったことを、ご主人が高い買い物だったとふざけたのに対して、病気一つせず、4人の子供を育て、両親をみとったのだから、日割り何十銭の安い買い物だとやり返したという内容です。ご夫婦の中の良さをほうふつとする文章です。
(鹿児島大学名誉教授 石田忠彦)

百舌鳥日和

2013-10-26 15:11:31 | はがき随筆
 「お若いのね。今朝も半袖!」。
 顔なじみのおばあさんから声をかけられた。外に出た時、ブルッと震え、歩くと手首が冷たくなる朝だ。散歩して山あいから太陽が昇る瞬間を私は待っている。
 その時、「キ、キキッ」と百舌鳥の高鳴き。乾っとした冷気の中での雄叫びは空気をつんざく。見上げれは、空は高く、電柱の上でしっぽを左右に振り、猛きん類の目で威嚇しているかのようだ。聞きほれていると「百舌鳥日和ですね」とあいさつされたご老人。日差しも柔らかくなり、小さな秋をいくつか拾い、至福を感じた朝であった。
  姶良市 山下恰 2013/10/25 毎日新聞鹿児島版掲載

私は勝つ

2013-10-26 15:04:40 | はがき随筆
 家庭菜園を始めて2年半。1年目は植え付けしたものは「前世は農民だったかも」と思うほど全てうまくできた。
 友達と食事に行った時、畑自慢をして得意になっていたら、横のテーブルの方が帰り際に「1年目はだいでん、ゆ、でくっと」とさりげなく捨てぜりふ。 
 少しの慣れから、虫取りやカラス、干ばつなどで愛情不足があった。今は以前の荒れ地だった頃のスギナなどはどうにかめどはついたが、クコ茶は取っても取っても出てくる。種を残すための必死の抵抗に思える。いじらしくもあり、憎くもあり、私との戦いである。
  阿久根市 的場豊子 2013/10/24 毎日新聞鹿児島版掲載

自慢話

2013-10-26 14:47:05 | はがき随筆


 テレビのクイズ番組で富士山が撮り上げられていた。懐かしく思い、古いアルバムを開いた。富士山頂の観測所の前で笑っている20歳の私がいる。パッチワーク中の妻に話しかける。
 20歳の記念に友と登ったこと。眼下に広がる雲海が真綿色の道に見えたこと。そして近隣に富士山に登った人は少ない──と自慢話をする。妻は「うん、うん」と聞いている。
 あれから47年。富士山は日本一の山から世界遺産となった。青春の富士山を抱き、ひときわ輝く家族遺産へと自身の項を目指している私に、妻は「その話しは何回も聞きましたよ」と。
  出水市 宮路量温 2013/10/23 毎日新聞鹿児島版掲載

白いバラ

2013-10-26 14:31:08 | アカショウビンのつぶやき


 玄関の横に白いバラが咲いている。初夏の頃の一番花と違って、どこか夢のように白く優しい。元気だった母が丹精込めて育てていたバラだが、父母が亡くなり、廃屋同然となった実家の庭から移植したものだ。
 もう8年になるだろうか。移植した時は弱りきっていた。人に聞いて、缶ビールや日本酒を薄めてやったりしたものだ。今では樹勢もよく緑も鮮やかになり二番花も開くようになった。
 バラの前でいつか足を止めている自分に気付く。バラに心引かれるのだ。じっとバラを見つめる。安らかに行った母の寝顔を思い浮かべる。
  出水市 中島征士 2013/10/22 毎日新聞鹿児島版掲載