吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

美しい国が、さらに「美しい国」になるために。

2006年10月28日 | Weblog
 若さと情熱の安倍総理が、ご自分から自分は”開かれた保守主義"者(「美しい国へ」文春新書)だという。恵まれた政治家家系の家庭に育ち、日本や日本国や政治および外交などの議論や語らいの環境で育ってこられた方だからということもあり、「美しい国へ」向かおうとする新首相に期待することが膨らむ。何となくの閉塞感やネガティブなイメージが蔓延する日本の”いま”を、活気と希望のある美しい国を実感できる国にしてほしい。そのような気配を感ずれば、多くの国民があなたの政治や国づくりを支持し、サポートするだろうと率直に思う。
 再チャレンジや再生と”再”という形容が多くみられる安倍内閣ですが、なぜ"再”なのか私にはクリアではありません。小泉さんの”改革”とは何か認識かコンセプトが違うのだろうか。改革やより公平で暮らしやすい社会へ向かっての革新を考えているのだからいいではないかというのなら、”そのような”看板にしてほしい。よって立つ現状や状態があり、肯定や受容されている基盤や体制があって”再生”なのでしょうが、”根っこ”が解らないのだ。脱皮するのか、改善するのか、再構築するのか、所詮改革するのだからいいではないかと言われれば仕方のないことですが、リバイバルや再生と言って、文字通り”再生”出来た企業などを見たことがない私だから気になるのだろうか。
 一度の失敗や大きな失敗があっても「もう一度と言わず、二度でも三度でも」チャレンジできる機会が得られる社会づくりは、大賛成です。生まれながらの不公平や、知らず知らず大きくなった格差などを意識させない、そんな社会や国になってほしいと思うのは誰しもでしょうが、まずは致命的な失敗にならないような生活インフラ(法律)を考えてほしいと思います。
 四方きれいな海に囲まれているからか高天原瑞穂の国のこの日本は、豊かな自然や文化、やさしく美しい心をもつ人々の立ち居振る舞いまでが美しい。戦前やずっと昔からの為政者や人々の協調する関係や相互尊重は、美しい国がインフラになっているからでしょう。地域や国の人々が、力を合わせ田畑や森林を開き、耕し、育て、そして守ってきた景観や緑の美しさと、人々の心の美しさを大事にし、育て、世界に誇れる行動をすることが「美しい国へ」の意図ですか。
 ナショナリストや保守系といわれる安倍総理が、このような意思で、美しい国をさらに「美しい国へ」リードしようとしていることに敬服しますが、美しい国の条件や目標や姿を見せて欲しいと思うのは贅沢でしょうか。つい、教育改革や再生および再チャレンジや憲法(改正)といっている"開かれた保守主義”の安倍総理が、セピア色の「復刻版や復古」を”再”と言っているように聞こえたものですから、私のように”誤解”したりするのでしょう。
 全国ほとんどの高校で、必修科目の未履修が出たからと言ってマスコミが騒ぎ、政府や各地の教育委員会が言い訳し、本来教育(体制)再生を考えるはずの教育再生会議のテーマに振っていまう錯誤は、望ましいことではない。自分も我が家の三人の子供たちも、おそらく文科省や教育委員会のいう必修選択未履修があっても考えもせず”大人”になってしまっている。要領や少々の知られないゴマカシを体制や教育現場で教わりながら、いつしか"大人”になった自分だ。
 教育再生会議と文部科学省の再生(改革)、再チャレンジ会議と厚生労働省の再生(改革)がそれぞれどのような関係にあるのか解りませんが、まずは”美しい国のビジョンを3ヶ月以内につくり上げる委員会”を早めに作ってほしい。美しい国を本物にするために。
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