老いて楽しく

余生を楽しむ

己を知る

2016-11-17 10:18:14 | 日記
責任は重く

 道路と云う空間を4つの車輪で高速で移動する物体、即ち是を自動車と称する、高速で移動する為、時には大きな凶器となり得る。

 このところ毎日の様に、高齢者の自動車事故が報じられている、年を取ると体力 筋力 思考力 判断力 瞬発力 視野すべてに衰えが来ている、此れに認知症が加わったら、途轍もない大きな凶器に早変わりする。

 人間て不思議なもので、周りはそうであっても自分は他人と違う、運転は確りした物だと、自負する人が多い、だが人間の能力なんて、各人そんなに大きな差はない、老いれば皆総てが衰えてくる。

 今は物損事故でも、まして人身事故は高額保障を請求される、自賠責も高額を契約していると思うが、商店に車を突っ込み店を大破させたなど、店の修理 営業損失総てを保障したら、大変な金額になる、だが物損事故は金で解決できる、人身事故で怪我をさせた、最悪死亡事故など起こしたら、一生その心の重荷を死ぬ迄背負って行かねばならない、年を取って心に大変な負担が有る。

 昔仙台に暫く居住した、仙台から石巻まで仙石線が走っている、ある日踏切で車が電車に衝突、車は大破運転者は死亡、電車は脱線田んぼに落ちた、JRが遺族に請求した損害補償額は莫大なもので、遺族は田畑 家 屋敷を売り払っても足りず、孫子の代まで借金が残った。

 小生 75歳の時に家内から「車の運転を止めたら」と云われ、ショックだった、まだまだ大丈夫だし車庫に車が無いなど想像もできなかった、行動範囲は狭まり手放す気はさらさらなかったが、よくよく考えて、若し人身事故でも起こしたら、取り返しがつかないと思い、廃車を決めた。

 年間の車の経費をタクシー代に充てれば良いと思った、その後タクシーなど余り使わず、何処へ行くのも自転車、結構遠くまで自転車で用足しした、健康的でいい、今は車などなくても不便は感じない、とっても気楽だ。

 誕生日が来た時、車もないのだから、免許も返納してしまえと、所沢警察へ返納届に行った、係員何を言うかと思ったら、一度返納手続きをすると、新たに欲しくなったときには,再度試験を受けなければなりませんよと云う、当然の事スッパリ免許も返納した。

 地域に依っては車が無いと不便な所もある、だけど大きなリスクと心の重荷を背負う前に、転ばぬ先の杖 、後悔先に立たず、思い切って廃車しては。