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余生を楽しむ

男の食彩 4

2014-06-15 14:40:24 | 日記
山かけ蕎麦 2

 戦後街から急速に姿を消したのは、「風呂屋、豆腐屋、蕎麦屋」があげられる、以前は何処の街へ行っても1軒~2軒の蕎麦屋が有って庶民が気軽に立ち寄れる食事処だったが、近年急速に数を減らしている。
 戦中 戦後暫く、引越しの挨拶は向こう3軒両隣に蕎麦券を配って挨拶回りをしたものだ、傍へ越して細く長くお付き合いをの意味が込められていたのか。

 蕎麦屋の屋号は非常に数多く有るが「砂場 藪 更科」が蕎麦屋の3大暖簾と言われる、他によく見かける屋号は「生蕎麦 満留賀 長寿庵」等はよく見かけた、何故か蕎麦屋の屋号は「庵」が多かった。
 蕎麦屋の屋号は修業した店の暖簾分けをして貰うのが普通だが、独自で修行して店を持って有名な屋号が繁盛するので、名の通った屋号を勝手に付けられた、その中で砂場だけは商標権を持っていたので勝手に名乗れなかった、故に砂場の屋号は少なかった。
 砂場の屋号は関西の屋号で、大阪城築城の時、今の蕎麦の形態「蕎麦切り」が始めて築城人夫に振る舞われ、此の蕎麦切りが庶民の口に合い、廉価で評判になり一気に普及した、此の蕎麦屋の屋号が砂場だ。

 小生蕎麦を食べる時、そばを蕎麦つゆにどっぷり浸し食べる、それでないと蕎麦の美味さを感じない、蕎麦通に言わせると外道の食い方かもしれない、だが自分の好みで一番旨い食い方が良い。
 先に蕎麦屋の3大暖簾を書いたが、江戸時代から大正にかけて、蕎麦つゆは可也辛かったらしい、それ故に蕎麦をどっぷりつけたら辛くて食べられないので、蕎麦の3分の1か半分浸して食べたもので、それがいつしか蕎麦通の食べ方と言われる様になった、最近は昆布 鰹節と良い出汁に割り下を加え美味い蕎麦つゆが提供されている、どっぷりつけて食べても喉が渇く事はない、通の食べ方でも外道の食べ方でも、自分の好みで食べるのが一番旨く食える。

 山掛け蕎麦のとろろだが、卸す道具も色々有る、銅板に錫メッキをして、職人が鏨(たがね)で一つづつ目を刻んでいく、非常に鋭い目が出来る、プラスチックを型でプレスした卸道具、電動摺り卸し機、便利な器具が数多く有る、此の卸器具の目は鋭くない鈍器だ、鋭い刃で手早く摺りをろす事に依って、繊維も細胞も傷つけない、プラスチックの成形卸機は唯摺り下ろすだけ、繊維も細胞もずたずただ、これで美味い物が出来る訳がない。
 
最近擂り鉢を使う家庭が少なくなったような気がする、擂り鉢で摺る事によって芋の繊維が細かくなり、空気が細かい気泡となって混ぜ合わさり、滑らかになり舌触りが非常にいい、摺る前とよく摺ったあとでは1,2倍くらいに量が増えている、人造り 機械造り 料理作りに手抜きをしたら決して良いものは出来ない。

 鮪の柵を買って来て自家で卸して刺身にする事も多いと思う、鋭利な包丁で一気に引き切り、刺身の角は立ち、繊維も細胞も傷つかず、綺麗で旨い刺身が出来る、切れない包丁で押したり引いたして切れば、形は崩れ繊維も細胞もぐちゃぐちゃ、旨味のドリップも流れだしこんな物食えたものではない、熟したトマトに鋭利な包丁を当て少し引くと皮が切れる、そのまま切れば形よく切れる、切れない包丁を皮に当てて
も切れない2度3度押したり引いたりして切ったら、トマトはぐじゃぐじゃ、こんなトマトはスパゲッテイのソースにしか使えない、切れない包丁の方が手を切り易い、切る、卸す 摺る 如何に手間と道具が大切か。

 前回は蕎麦つゆに山芋に添え物を全部掻き混ぜ、そこへ蕎麦を入れて食べるやり方だったが、今回は蕎麦猪口に蕎麦汁 山芋を加え薬味を添えながら、さっぱり食べるのを載せた。我が家に蕎麦猪口がないので、小さいコップを代用した。

 
左のプラスチックの卸機、機械の型で成形してあるので、卸す刃が鋭利ではない、右の銅板に錫メッキ、職人の手造り品、時価¥5000は下らない
大和芋を卸す時大きい内は良いが、小さくなってくるとぬるぬる滑って非常に摺り難い、百均でこんなグッズを買って来た三角の突起が有って芋をしっかりグリップ、最後まで綺麗に摺れる

ざるそばに山芋摺り卸し 紫蘇の葉3~5枚 好みで大根おろし少々、これは七味よりわさびが良いと思う