プロ野球南海(現ソフトバンク)で戦後初の三冠王を獲得して捕手兼任監督を務め、ヤクルト、阪神、楽天でも指揮を執り3度の日本一に輝いた野村克也さんが11日午前3時半、虚血性心不全のため死去した。84歳。
12日の第一面の書き出しを紹介しましたが、11日のテレビで訃報を知りましたので故人を偲びながらあれこれ考えて3句仕上げ、一晩温めてから翌12日に新聞を確認した後5時半に投句しました。
キーワードと直感したのが『月見草』『ささやき』『サッチー』、脚光を浴びる巨人の長嶋と王はヒマワリで自分はひっそり咲く『月見草』と仰っておられましたし、『ささやき』は捕手のポジションで打者に対して『打撃フォームを変えたの?』などとマスク越しにささやき、集中力をかき乱した『ささやき戦術』のことで、『サッチー』は夫唱婦随ならぬ婦唱夫随と公言しそのお尻の下に甘んじていた沙知代夫人のことです。
ほかに『再生工場』『神の子』『ID野球』『ぼやき』も使えますので、沢山の句が寄せられた中『先んずれば人を制す』と早朝5時半に投句したのが良かったようですが、ボツになった次の句も捧げたいと思います。
『ONが自称月見草に手を合わせ』
『サッチーが手ぐすねを引く婦唱夫随』
合掌
野村克也さんの送別に、これほどふさわしい句はないでしょう。
私が子供のころは、読売巨人軍のV9時代でしたが、南海ホークスの野村選手は実力・人気ともONに匹敵していました。
当時のパリーグは、(私が育った田舎では)テレビ中継はたまにNHKでやるくらいでしたが、野村捕手のことは子供たちはみんなよく知ってました。
ご自身のことを「月見草」と仰いましたが、当時から理性と知性にあふれ、ご自身を客観視され、謙虚でユーモアに長けたお人柄でした。
監督として一番私の記憶に残るのは、ヤクルトスワローズの1992、93年のリーグ連覇(93年はシリーズも制覇)です。
選手の才能を見抜き、育成にも力を注がれました。
前後して、テレビの解説では、野球の深み(とりわけ打者と投・捕手との心理的かけひきの面白さ)について教えていただきました。
ご冥福を心よりお祈りいたします。
私のテレビ事情も巨人戦優先でしたが、パリーグの王者は南海という印象が強くて、監督は鶴岡一人さん、キャッチャーは野村克也さん、ピッチャーは杉浦忠さんまではよく覚えておりますし、穴吹選手、スタンカ選手、寺田選手・・・・・など居ましたね(記憶違いかも)
監督時代は野球よりサッカーを観る機会が多くそれほど注目しておりませんでしたが、面白いことを喋る人だなと言う印象で、沙知代夫人との掛け合いは面白かったです。
ささやき戦術ですが、長嶋選手はささやきに反応して逆にささやかれ、王選手は集中力が凄くて効かなかったそうですが、ONのお人柄が偲ばれますね。
野村克也さんについては、新聞の扱いが金田正一さん以上でテレビやラジオでも多くの番組で取り上げられており、これも野村さんの人徳なのでしょうか。