とちぎの歴史建造物ぶらり旅

栃木県には、わが国を代表する優れた歴史文化が築かれました。カメラ片手にぶらり訪ねて、とちぎの歴史建造物をお届けします。

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日本最古の学校 史跡足利学校

 | 栃木県の土木建築遺産
 皆さん今日は、如何お過ごしですか、このページをお開きいただきありがとうございます。
 平成19年2月15日、宇都宮(自宅)9時45分出発し、11時5分に足利市太平記館駐車場に到着、51kmのドライブとなりました。
 天候は晴れ、しかし、強い冬型の気圧配置になった影響で、強風に見舞われ、例幣使街道(国道121号)の日光杉並木の大杉が倒れるなど、強い風が吹き荒れました。

 足利市は「東の小京都」ともよばれ、日本最古の学校といわれる史跡足利学校や足利氏ゆかりの鑁阿寺をはじめ、数多くの歴史遺産が残され、今も古き時代の面影が感じられます。

 太平記館は平成3年のNHK大河ドラマ『太平記』を記念してオープンした、足利市のインフォメーション・センターです。
 ここで、見学個所や散策コースの予備知識を得てから行動するのがよいと思います。なにより、駐車料が無料で,係員の親切が有難かったです。

 足利学校の創建については、諸説があり定まりませんが、歴史が明らかにされるのは、室町時代中期、永享11年(1439)に関東管領上杉憲実(のりざね)によって現在国宝に指定されている書籍が寄進され、庠主(学長)制度を設けるなどして学校を中興したことによります。
 また、天文年間(1550年頃)には「学徒三千」といわれるほどになり、フランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして最も有名な坂東の大学」と世界に紹介されました。
 しかし、江戸時代の末期には「坂東の大学」の役割は終了し、藩校へと移行し、明治5年(1872)をもって廃校になりました。
 そして、昭和57年(1982)「史跡足利学校跡保存整備事業」に着手し、平成2年(1990)12月江戸時代宝暦6年(1756)の姿に復元されました。
 
 国宝  宋刊本 文選(もんぜん)………南宋時代
      宋版 周易注疏(しゅうえきちゅうそ)………南宋時代
      宋版 尚書正義(しょうしょせいぎ)………南宋時代
      宋版 禮記正義(らいきせいぎ)………南宋時代

   下の写真は、史跡足利学校跡の全景です。




学校門
 寛文8年(1668)の創建。足利学校のシンボルとして江戸、明治、大正、昭和そして平成へと継承されています。
 学校門の扁額の文字は、明人蒋龍渓の書と伝えられています。



                              


復元された方丈・庫裡
 方丈は学生の講義や学校行事、また来客のための座敷として使用されたところです。
 庫裡は学校の台所。食堂など日常生活が行われたところです。

             


参考文献    足利学校 史跡足利学校事務所
          足利の文化財めぐりマップ 足利市教育委員会
          歴史と文化と花のまち・足利 足利市観光協会


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