今年こそは高木彬光の少年もの全集が出るというならば、
まずは宣伝を兼ねて「覆面紳士」の紹介と感想など。
あと、少年ものの神津について徒然。
昔、サイトに掲載していた文章を加筆修正しています。
「覆面紳士」
偕成社 書き下ろし。
1949.05.15が初版らしい。
挿絵、カバーは伊藤幾久造。
今回のテキストは偕成社S29.2.15発行のもの。
「姿なき凶盗の出現!警視庁は色めきラジオは恐怖をつとう。名探偵神津氏は早くも活動を開始、手に汗を握る冒険物語。」(巻末の偕成社のリストより)
【あらすじ】
古沢三郎博士は秘密裏に「生物を透明にする」研究をしていた。ある夜、博士は研究とともに行方不明になってしまう。心配した家族は近所に住む松下研三に助けを求める。一方、その頃、都内ホテルでは透明人間によるとしか思えない不可解な宝石盗難事件が発生していた。
翌朝、松下兄弟にそれぞれ相談を持ちかけられた神津恭介は2つの事件の繋がりに気づく。そして、事件を追ううちに宝石強盗団X団と対決することになる。
と、書いてみましたが、少年向け冒険小説なので、古沢博士の息子の古沢三千夫少年が活躍します。
三千夫少年は父の行方を探すため、家に手紙を持って来た男の後をつけ、怪しい洋館に辿り着くのですが、そこには……。
イメージとしては江戸川乱歩の少年探偵団シリーズを思い浮かべていただければいいでしょう。古沢少年が小林少年、明智が神津という構図です。
これらは名探偵シリーズですからメインは名探偵と犯罪者の対決なのですが、少年向けなので読者が感情移入できる主人公として「少年」の存在が必要不可欠となっています。
それが少年探偵団の小林君であり、この作品の古沢三千夫少年というわけです。
ただ、「覆面紳士」においては古沢少年は神津の助手ではなく父を救うという使命により事件の渦中に飛び込んでいくことになります。この後のシリーズでは助手的役割もあるのですが。
それから、特徴的なのは「透明人間」が本物であるということ。
トリックではなく「透明人間」が普通に登場人物として出てきます。
これは海野十三の影響とも言われていますが、私はあまり詳しくないのでその辺は専門家の解説に任せましょう。
お話としてはハラハラドキドキ一気読みの展開の、じっくり推理ものというよりミステリ風味の冒険活劇ではないでしょうか。
もちろん、宝石の行方や透明人間、さらに首領の正体など謎解きの楽しみもしっかりあるのですが。後半~ラストの急展開はジェットコースターです。
それから神津恭介の萌えファンにはなかなか重要なのは、古沢博士の娘、古沢美和子(18)の登場。
一部ファンの間では、大麻鎮子と結婚しなかったならば彼女が結婚相手だろうと言う人もいるくらい親しい存在です。
当時神津は30歳くらいだから一回り離れているけど、まあ、釣り合い的には珍しくもないし。
なかなかの美少女で聡明なお嬢さんらしいです。
私も清水香織は絶対に許せないけど、美和子ならまあいい感じだと思っています。
さて。
少年ものの神津と大人ものの神津について。
最近は同一視してもあまり問題はないなと思わないでもないのですが、十数年前、初めて少年ものを読んだ時は「少年ものの神津と大人ものの神津は別人である」と断言していました。
現在も、時間軸や事件は同じではあるけれど、主人公の神津自体は少し次元のずれたパラレルな存在ではないかと考えています。
高木先生自身がどう考えていたかはわかりませんが、子ども向けに分かりやすいカッコイイ頼れるキャラづけが必要だった為に違ってしまったのかなあ、と。
「東大医学部を、学校はじまっていらいという、優秀な成績で卒業して、しばらく研究室で研究を続けていたのだが、その後、軍医として応召し、このながい戦争の間ずうっと、北支からジャワの方ですごして来たのだった。」
「まだ三十をいくつもこえていないくらいの青年なのだが、このようにやさしい顔をした貴公子にどうしてあのようなするどい智慧がひらめくのかと、その顔を見る者は誰一人として、感心しない者はいなかったのである。」
前半の描写は大人ものとさほど変わりはありません。女のように優しい顔をした天才青年という描写。
「しかし神津恭介は、ほんとうの勇気にみちあふれている快男子だった。彼は自分の身にどんなことが起ころうと、あくまでこの透明人間と闘いぬく決心をかためたのだった。」
「恭介は軍隊時代には、ならぶ者がいないといわれた拳銃射撃の名手だった。」
しかし、後半は活動的で運動神経も抜群なスーパーマンというイメージが浮かび上がります。
「快男子」「射撃の名手」……思いつきもしない言葉ですね。
確かに大人向けの方でも勇気はあるし、従軍していたのだから射撃の名手ということもありえるかもしれないんですが、どちらかといえば線の細い蒲柳の質であるイメージが強かったので思わず驚いてしまった一文です。
だって、学生時代は病弱で「お嬢」と呼ばれていたこともあるのに。まあ、従軍してあの南方の激戦地を生き抜いて来たのだから健康で射撃も体術もある程度は出来なくてはいけなかったのでしょうけど。
これなら近藤神津も村上神津も仕方ないというものです。
でも、実は射撃の名手ってのはありかな…うん。ちょっとかっこいいし。
ただ、「快男子」っていうのは…やはりちょっと。
「さわやかで、気持ちの良い男」という意味なら間違いはないのだけれど、言葉のイメージとしてこう、冒険家の肉体派なイメージがあるからなあ。快男児とは違うのだろうけど…うーむ。
細身で長身、知的な学者さんのイメージではない言葉な気が。
大人ものでは「女の手」事件などでもわかりやすく大立ち周りしていたりしますが、やはりイメージが違うんですよね。
当時の子どものヒーローは「悪人を『自分で』やっつける」は必須だったからかなあ。
それとも話の筋ありきだったからだろうか(※)。
そんなわけで私は微妙にパラレル説をとっています。
ちなみにいつもの登場人物の紹介を抜粋すると、
松下英一郎は
「でっぷりと太った眉毛の濃い、鼻と口の大きな、それでいてやさしそうな、象のような眼をした」「柔道三段のスポーツマンで、悪者たちの間では鬼松といわれて怖がられていた猛者」
松下研三は
「まだ年も若く、この間軍隊から復員して来て、いま大学の医学部にかよっているのだが、なんでも、この頃はお兄さんのお仕事を助けて、たいへんなてがらを何度もたてている」「のっぽで、いつもの癖で帽子もかぶらず、ぶしょうひげをはやして、つよい近眼鏡の底から、人なつこい眼をして笑いかけた。」
松下兄はいいおじさん、頼りがいのあるやさしいおじさんの面が強調され、研三も人のいい面白いお兄さんとして描写されています。
研三も瓶底眼鏡をかけたバンカラ学生っぽい感じで神津よりかなり年下なイメージでちょっと違う感じです。
神津に関しては大人になってから少年向けを読んだので、やはり最初は子供の頃に読みたかったなあと思いました。明智とルパン、ホームズ等は素直にジュブナイルから入ったのだけれど、同じ小学生の時に、神津ものは父の本棚にあった大人のものを読んでいたからなあ。その時に受けたイメージが強いのです。
でも、少年ものを最初に読んでいたら神津に対するイメージも随分変わっていたことでしょう。
※この作品は昭和24年に公開された「透明人間現わる」の小説化?作品だそうです。私は未見なのですが、wikiによると原案:高木彬光で、もちろん神津は出てきませんが、あらすじはほぼ同じみたいです。映画の字幕に出てくる「科学に善悪はありません。たヾそれを使う人の心によって善ともなり、悪ともなるのです。」というメッセージは、覆面紳士においては神津の言葉として物語を締めくくっています。