Ryojinブログ

剣道のこと、オオカミ復活運動のこと、そして紀州犬のことやいつも行き来している大好きな京都のネタなども綴っていきます。

「明治維新とは何だったのか」その2

2018-07-11 13:36:06 | 随想・・・。

  我々の歴史観は官軍の記録からなっています、というか普遍的に勝者の記録からなっているものです。

まぁそれは周知の通りでしょうが、ただ今までこのアンタッチャブルとも云える「明治維新」という日本人の神話にはほとんど誰も手が着けられなかったのが事実です。

しかしここ最近になってようやく色々な角度から明治維新を見直すような著作が多く出回り始めました。

以前からこの明治維新は暴力革命であり決して神話的美談ですまされるものではないと訴えてきた半藤一利などは最初随分戸惑ったようですが、そのこと自体僕は良いことだと思います。

  幕末から近代日本史は多くは司馬史観(司馬遼太郎の代表作「龍馬が行く」や「坂の上の雲」などの小説などによる歴史認識)に影響されているものであり、それがすべてフィックションとは云わないもののかなり偏った見方もあったのは確かで、この対談の中でも半藤氏は司馬氏に「坂の上の雲」あれから先、日本がどんどんダメになって行く、その辺の事きちんと書いてくださいよ、と言ったことが書かれていました。司馬氏は「そうだな書く書く」と言っていたらしいのですが結局それまでになってしまった。そんな裏話も出てきました。

対談の面白いところはそう云うところなんですよね。

  で、前文でも少し触れた岩倉具視のことなんですが、この人「暗躍」という言葉がぴったりきそうな感じですが、近代史に堂々と名を残しているのも事実です。

岩倉使節団の話、これは当の岩倉具視、大久保利通を始め木戸孝允(桂小五郎)など総勢200名以上の使節が約2年に渡ってアメリカを最初(この当たりが意外でしたねイギリスが最初の訪問地と思っていました)にイギリス、フランス、ドイツと巡るのですが、これは先進国の国力というものを知り、今後の日本という国のビジョンを構築して上でも近代史上とても重要な要素を占めていたと思われます。

まぁ、その間、大久保は西郷に留守を頼むのですが、2年もの間、大方の政府の中心人物達がいない、こんなことって今じゃとても考えられないことですが、それをまた西郷さんも既に下野していたにも関わらず、またのこのこと中央に戻ってくるのですから・・西郷さんらしいと云えばらしいようなそんな気がしますよね。

ところがこの西郷さん、大久保達政府の要人達がいない間に結構好き勝手したみたいで、例えば多くの職にあぶれた武士達をいわゆる賊軍の武士達も含め構わず採用したりして、これは一例ですが、そんな事があって帰国した大久保達と衝突してしまうのですね、これが後の西南戦争というこの国の最後の内戦に向かっていくきっかけだったのかなぁと感じましたね。

詳しくは書けませんが、事実上の幕末動乱はこの西南戦争の終結でやっと終わりを迎えたのですね。

  また続きます。

 

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