Ryojinブログ

剣道のこと、オオカミ復活運動のこと、そして紀州犬のことやいつも行き来している大好きな京都のネタなども綴っていきます。

「明治維新とは何だったのか」

2018-07-11 12:46:21 | 随想・・・。

  気を取り直してもう一度書きます。

返す返す腹立たしいですが前回全文消してしまいました。

長い文章でした。

と云うことで再度この本を読んで感銘を受けた箇所を考察してみます。

  この本、作家の半藤一利と出口治明(立命館アジア太平洋大学学長)の対談ですが半藤氏はご存じの通り幕末から近代にかけての研究とその著書には定評があります。で、一方の出口氏は半藤氏も舌を巻くほどの博識であり、その視野の広さと調査研究のレベルは半端ない物があります。

  二人は幕末から明治維新(官軍が勝手に付けた呼び方)はを「御一新」と言った方が良いだろうと言いますが、ここでは判りやすく明治維新という言葉を使います。

で、最もこの明治維新に影響を及ぼした第一の人物は誰かと云うと、当時幕府の老中であった弱冠35才の阿部正弘であろうと二人は口を揃えます。

  その阿部正弘は大変に開明的で、まず開国を決断しました、そして富国、強兵とその後の日本と云う国のグランドデザインを描けた人物であったと云います。

ここでただひとつ開明的過ぎて余計な事・・と言えば少し気の毒かも知れませんが、後々にそれが尾を引くことになるのですが・・・それは広く庶民レベルまで今後の国の在り方について意見を求めたということらしいです。

いままでの幕府では考えられないことです。この当たりが僕が幕末動乱のその後の事件などを考えるときの「そう言うことかぁ」と云う納得を得たところです。

要するに、このことが逆に「えっ俺たちもものが言えるんだ」みたいな社会的な風潮を作ってしまい、それが訳のわからない、やれ尊皇だ攘夷だ佐幕だと騒ぎ立てる武士はもちろん浪人や庶民、農民まで含めた勤王の志士的なそう言う輩を多く生み出してしまい、結局は国を二分してしまうような内戦を引き起こしてしまったのですよね。

で、その後を引き継いだのが大久保利通(西郷隆盛は少し違う)であり同時に活躍した勝海舟(この人は初めて日本人という観念を持った人物で半藤氏は高く評価していますね)である訳で、その阿部や大久保が早くに亡くなってしまい、ちゃっかりとその後釜に納まったのが伊藤博文と山縣有朋であった訳ですが、彼らは先の人物と比較すると思想的にはかなり小振りで、自分たちの権威付けの為に、大した事もしていないしまた特別な思想らしいものも持ち合わせていなかった吉田松陰(何せまだ若かったもの・・)を引っぱり出し、自分たちは松下村塾の門人と云うことで彼を利用したのですね。

  岩倉具視・・貴族であることを良いことにそれを最大限利用した悪者・・?みたいです。

錦の御旗も彼が適当に作らせた偽物であった事も判明していますし、鳥羽伏見の戦いでそれを見せられた徳川慶喜はびっくり仰天して「こりやあかん!」ととっとと江戸に逃げ帰ってしまうのですね。

そんな事が歴史を大きく変えてしまうのですからわからないものですね。

坂本龍馬も司馬遼太郎の「龍馬がいく」という小説がなければさほどの評価はされていなかったと云うのが大方の見方です・・が唯々斡旋という技術には長けていたようで、これも面白い一面でまた彼の見方が変わるというものです。

またヘマしたらダメなのでここで一旦閉めます。

ー続くー

 

 

 

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