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サッカーあれこれ(7)

◎汚れないユニフォーム
 土のグラウンドが多かったせいもあります。私の若いころは、90分間の試合が終わったあと、みんな泥まみれ汗まみれ、おまけに擦り傷だらけになりました。が、その中で不思議にもユニフォームがきれいで、ケガひとつしてない器用(?)な男が必ずいました。いつかクラマーさんに、そんな話をしたところ
 「ベッケンバウアーがそうだった。試合が終わっても、彼ひとりユニフォームがほとんど汚れてなかった。あまりにもきれいなので、新聞に『ベッケンバウアーは汗もかいてない。一生懸命プレーしてない証拠だ』と悪口を書かれたこともある。ベッケンバウアーは、ぶつかられてもめったに倒れなかったし、無駄な動きがなかった。体のバランスのとり方に天性のものがあった。そういえば、ほかの優秀な選手もユニフォームがあまり汚れないようだね」
 ところで、日本人でユニフォームがよごれない選手がいただろうか。クラマーさんと私の記憶では、後に日本サッカー協会会長になった長沼健君がそうでした。彼と私は1945年8月、ともに広島で原子爆弾に遭いました。彼は広島高師付属中の3年、4歳年上の私は旧制広島高校2年でした。
 原爆に遭った広島ですが、戦後なぜかサッカーが強かった。戦争が終わって2年後の1947年(昭和22年)。彼の付属中は全国中等大会(いまのインターハイ)に、わが広島高は旧制の全国高等学校大会に優勝し、そろって広島に優勝カップを持って帰りました。
 いま思い出すのは、大会の少し前、付属中と練習試合をやったことです。わが高校チームは高校に入って何となくサッカーをはじめた連中がほとんどで、中学時代にサッカーをやっていた経験者は付属中出身の三野浜雄君というセンターハーフと、広島一中出身の私の2人だけ。文字どおり烏合の衆で、前へ蹴って走るだけのまるで百姓一揆のようなサッカーをやっていました。
 付属中の方は、コーチもいるし練習量が断然多い。それに長沼君はじめ木村現、樽谷明といった、後に関西学院の全盛時代をつくった連中がいる。わが高校はいわば素人集団ですから、いつの年も中学生に負けているのですが、このときは不思議にも3-0で、われわれが勝ちました。
 なぜ勝てたか。あとで考えたのですが、わが三野君は学業も優秀で付属中時代にずっと級長をやっていた。朝礼のとき全校生徒に号令をかける役をやっていたほどですから、長沼君らにとっては近づくのも怖い上級生でした。その三野君がゴール前でデーンと守っているのですから、たぶん長沼君や、木村現といった強気の男といえどもシュートをビビって1点もとれなかったのでしょう。

◎長沼君のプレー
 さて長沼君のことになりますが、その後、彼は付属から関学、中大、古河電工に進み、オリンピックには1956年メルボルン大会から1968年メキシコ大会まで、選手や監督としてがんばりました。ユニフォームがあまり汚れない彼のスマートなプレーを、私は何10試合見たかわかりません。最後は協会会長になって、新聞記者の私にとって貴重な取材源でした。
 彼のプレーの特徴は戦況判断の良さとカバーリングのうまさです。相手とぶつかり、タックルし接触する修羅場に、彼はあまりからまない。だから転倒することも少ない。ユニフォームは汚れない。
 しかし、敵味方がボールを奪い合い、あるいは例えばコーナーキックののち、飛び上がってヘディングし合うこぼれ球、あるいは相手のパス・ミスなどの球筋をいち早く見極めて体を寄せてキープ、あるいはシュートする、そのカンとスピードは抜群でした。見ようによっては、イイトコ取りなのですが、味方にとってはチャンスを物にする貴重な存在です。やはり彼もベッケンバウアー同様、体のバランスがよかったのでしょう。
 余計なことですが、私のプレーも長沼タイプで、味方が競り合ったこぼれ球を拾うのが好きでしたが、私の場合は単に競り合ってケガをしたくない、正面からぶつかるような嫌なことは他人にやらせるというだけで、私もユニフォームはあまり汚れませんでした。

◎プロはたいへんという話
 長沼君に最後に会ったのは、亡くなる2カ月前の2008年4月で、『篠島秀雄さんをしのぶ会』の席でした(篠島さんは殿堂入りされた日本サッカー界の大恩人)。広島出身の篠島夫人のたっての希望で、私が長沼君を誘ったのですが、かなり体が弱っていたのに出席してくれました。会の後に岡野俊一郎君がタクシーで自宅まで送り届けるほど顔色が悪く、私としては、申し訳ないことをしたと内心忸怩たるものがあるのですが、会の最中はけっこう昔話の雑談の花が咲きました。
 そこで私は冗談めかして聞きました。これが、新聞記者丸出しの長沼君に対する最後の質問、および答えになりました。「もしキミが、50年遅く生まれていたら、いまごろJリーグで大活躍し、大金を稼いでいただろうな」
 ところが、意外や意外、私が予期しなかった長沼君の答えが返ってきました。「いやいや、ボクの技では、いまのプロでは通用しませんよ。みんな巧くなったし、とてもついていけない。Jリーグのおかげで日本の国際レベルはグーンと上がったのは、うれしいですけど、しかし」と前置きして
 「問題は、Jリーグ全体のすべての環境がまだ整っていないことでしょう。それが心配です。プロを目指す若者は増えたが、受け皿がまだまだです。例えば給料。長い人生に希望がもてるほどいい給料を貰っていないし、チーム側は払えない。選手の『ただサッカーが好き』という気持ちだけで、やりくりするのは限界がある。欧州へ行く選手はいいが、大部分の選手は将来に不安を抱えてプレーしていると思いますよ」
 「そう考えると僕の学生時代や実業団時代はよかった。生活の心配もなく、思うがままサッカーがやれた気がします。アマチュア時代の方がよかった、というのは変な話ですが……」
 話は飛ぶようですが、私は、長沼君の話を聞きながら、どこかで「日本のオペラやバレー界にはプロがいない」という文章を読んでエエッと驚いたことを思い出していました。
 日本人の中には国際コンクールで優勝し、外国で活躍している有名なプロの歌手やダンサーがたくさんいるじゃないか。それなのにプロがいないなんて……。
 だが、その文章の真意はこうでした。「日本には、世界に出しても恥ずかしくないオペラ歌手やバレリーナがたくさんいる。だが、彼らは外国で有名だとマスコミが称えても、日本国内にたくさん観衆が入るいい劇場があるわけでなく、興業も収入も少ない。だから教師などのアルバイトをやらなくては食っていけない人がほとんど。プロがプロとしてやっていく環境が整っていなければ、いくら実力があっても、それはプロとはいえない」
 たしかにJリーグは、いま40チームにまで増えて日本中の市や町でサッカーの普及におおいに力を尽くしています。それは、それですごいことです。だが、現実は、長沼君が言ったように『サッカー大好き』という青少年のプロの、身を削るような努力に支えられている。それに報いる収入を得ていません。バレーボールのプロ化を叫んだ故松平康隆会長の努力が受け入れられず、選手たちはいまだに会社員チームの生活に甘んじている事情がわかる気がします。
(以下次号)

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