東京でカラヴァッジョ 日記

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ボッティチェリ《神秘の磔刑》

2018年05月28日 | 西洋美術・各国美術
ボッティチェリ
《神秘の磔刑》
1500年頃、51.4×71.4cm
ハーバード大学附属フォッグ美術館、ボストン
 
 
   1924年よりフォッグ美術館が所蔵。
 
   画面の状態はよろしくないようであるが、ボッティチェリ晩年の作品として、また、サヴォナローラの時代の雰囲気が結晶された絵画作品として重要とされている。
 
 
   
   1490年代のフィレンツェ社会を席捲したフェラーラ生まれのドミニコ会修道士サヴォナローラ。

   サヴォナローラが繰り返し説教した、フィレンツェに対する「神の罰」。

   本作品は、サヴォナローラの扇動的な説教のテーマを絵画化したものとされている。

 
   画面の右半分は「神の怒り」。
   すっかり黒い嵐の雲に覆われ、そのなかを燃える剣が天から降り注ぐ。
   正義の天使が、フィレンツェの象徴である小さなライオン(マルゾッコ)を掴み、剣を振り上げる。


   画面の左半分は「神の慈悲」。
   明るく晴れた空を、赤い十字架の盾を手にした天使たちが飛んでいる。
   その下に拡がる街は、サンタ・マリア・デル・フィオーレ聖堂やパラッツォ・ヴェッキオのあるフィレンツェ。浄化された街には、父なる神から出てくる光の中に浸される。


   十字架の足に必死にすがりついているのは、マグダラのマリア。聖職者の悪を象徴するオオカミが彼女の服の下から逃げ出そうとしている。

 

    この作品は、ボッティチェリ自らのために制作したのだろうか。それとも、サヴォナローラ信者からの注文を受けての制作だったのだろうか。


6 コメント

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ボッティチェリとサヴォナローラ (むろさん)
2018-06-10 22:37:38
高階秀爾著「ルネッサンスの光と闇」の記事が出てから、コメント投稿をしようと思っていたのですが、いろいろと忙しい状況が重なっていたので1ヶ月以上たってしまいました。「神秘の磔刑」の記事が出たので、ここにまとめて書きます。

私は数十年前からボッティチェリの絵に惹かれていて、フィレンツェ・ローマ、英仏の美術館の次に行くのはアメリカと思っていました。そのアメリカ東海岸の美術館巡りで最大の目的がこの神秘の磔刑でした。ISガードナーの聖餐の聖母とかワシントンNGやメトロポリタンなどでいくつかのボッティチェリ作品を見た中で、やはりこの絵が一番良かったと思います。ロンドンNGの神秘の降誕とともに、サヴォナローラの影を最も濃厚に残している作品ですが、画面の状態があまり良くないのが残念です。空中の天使や煙の中の悪魔はほとんど見えません。ある本で「画中のフィレンツェの街並は画家自身がミケランジェロ広場の上から見た景色だろう」と書いているのを読みましたが、私はこの絵の街並がルネサンス期の絵に描かれたフィレンツェの街並で、最も素晴らしいと思っています。ボッティチェリが自分自身のために描いたのか、サヴォナローラ支持者からの注文品なのか、それは難しい問題です。神秘の降誕に書かれた難解な銘文にヒントがあるかもしれませんね。

「ルネッサンスの光と闇」については、今まで読んだ美術書の中で最も影響を受けた本の一つです。ボッティチェリの本は摩寿意善郎の本(Rizzori日本語版、集英社の全集、戦前のアトリエ社の本など)から始まり、矢代の岩波日本語訳、森田義之、鈴木杜幾子、京谷啓徳などいろいろ読んできましたが、高階の中公新書「フィレンツェ」とこの「ルネッサンスの光と闇」が最もインパクトがありました。初めて読んだ時はまだルネッサンスの光と闇の文庫版は出ていなくて、ハードカバーは絶版だったので、図書館で借りて必要部分だけをコピーして何度も読み返した覚えがあります。この本がなければボッティチェリの晩年作、サヴォナローラの影響を受けた作品にこれほど惹かれることもなかったし、アメリカ旅行ももっと後になったかもしれません。そして、この本で読んだルカ・シニョレリのオルヴィエート大聖堂サン・ブリツィオ礼拝堂の壁画が見たくなり、1990年頃に現地へ行ったのですが、残念ながら壁画は修復中で見られず、それ以来まだ再訪できていません。この時はシエナのマエスタ2点も修復中で見られなかったので、この2都市訪問は将来の宿題です。スポレートのフィリッポ・リッピの最後の壁画やナポリ、カポディモンテのボッティチェリの聖母子もこの旅行では見られなかったのですが、これらについてはどうしても見たかったので、その後再度訪問しています。

ボッティチェリ、サヴォナローラと言えば、辻邦生の小説「春の戴冠」はお読みになりましたか。その単行本が出た年、1977年の5月に新潮社の雑誌「波」に掲載された辻邦生と高階秀爾の対談(激しく美しく滅びた歴史―長編小説「春の戴冠」をめぐって)が15世紀末のフィレンツェやボッティチェリを理解するにはとても有意義な内容です。また、この対談に出てくる「ルカ・ランドゥッチの日記」が当時のフィレンツェを知るには重要とのことで、是非読みたいと思っていたら、その10年後ぐらいに日本語訳が出版されたので早速買いました。サヴォナローラの処刑やミケランジェロのダヴィデをシニョリア広場へ移動する時にメディチ一派から投石事件があったことなどがいきいきと記録されていて面白い日記です。(1988年、近藤出版、中森義宗訳)高価な専門書ですが、大きな図書館にはあると思います。「波」の対談記事とともにお勧めの1冊です。(「春の戴冠」は大長編小説なので、特にお勧めはしませんが。なお、上記の対談では「ルカ・ランドゥッチの日記」と「ルネッサンスの光と闇」を足すと「春の戴冠」の雰囲気になるとのことです。)
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むろさん 様 ()
2018-06-12 07:10:52
むろさん 様

コメントありがとうございます。

ボッティチェリ《神秘の磔刑》を実見なさったのですか。素晴らしい。やはり、画面の状態は良くないとのこと。この絵のフィレンツェの街並の素晴らしさ、実見なさったからこそ、のご見解ですね。

書籍のご紹介ありがとうございます。「波」の対談記事は知りませんでした。「ルカ・ランドゥッチの日記」は昔古本屋で値段を見て購入断念、以降は忘れていました。早速その2冊を探して読んでみようと思います。
辻邦生氏の小説は、大作とのことなので遠慮させてもらいます。
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神秘の十字架の背景に描かれたフィレンツェの景色について (むろさん)
2018-07-23 16:53:43
美術出版社「ボッティチェルリ」1968年、浜谷勝也「ボッティチェルリとメディチ家の人々」に「(神秘の十字架の)背景には彼の故郷フィレンツェの荒涼たる遠景が望まれるが、落魄の身を郊外の丘辺に運んだ折、心にとどめた風景であろうか。青年時代の栄光の数々やメディチ家の今昔を哀惜する心情がここに定着されているのである」とありました。私は昔この文章を読んで、フィレンツェの市街から一番近いミケランジェロ広場の上から見た景色を描いたものと思い込んでいましたが、どうも違うようです。

鹿島美術研究年報26号(2009.11)掲載の「ボッティチェッリの後期作品における都市景観―その図像源泉と思想背景―」(石澤靖典)では、聖母被昇天版画やボッティチェリ工房作であるパリスの審判(ともに2016年の都美術館ボッティチェリ展出品作)の背景に描かれたローマの景観や神秘の十字架に描かれたフィレンツェの景観について論じています。神秘の十字架のフィレンツェの景観は「フィレンツェを南西方向から眺めた」ものだそうで、ボッティチェリは「フィレンツェの南西にあるベッロズグアルド丘の麓に兄シモーネと共同で邸宅を持っていた」ので、この景観はその葡萄畑付きの別荘付近から見た景色ということになります。(サン・フレディアーノ城門の外側、ピッティ宮やカルミネの西の方向)
私はヴァザーリのボッティチェリ伝に書かれた「サヴォナローラに心酔して絵を描かなくなり、困窮のうちに亡くなった」という文章がずっと気になっていました。サヴォナローラ派だったということは事実とは違うようですが、一方で晩年が貧困であったかどうかは不明でした(別荘を買っているぐらいだからヴァザーリの記述は嘘ではないか、とも思っていました)。このことについて2年前の都美ボッティチェリ展図録のチェッキ氏解説や同氏の講演会で、「ボッティチェリ没後すぐに、残された負債が多かったので遺族が相続放棄をしたという記録があった」ということで、ヴァザーリの記述も案外真実を伝えているのだと感じました。晩年の主な出来事としては、1494年に上記別荘を購入、1498年にサヴォナローラ処刑、1501年にロンドンNG神秘の降誕、1504年にミケランジェロ作ダヴィデ像設置に関する審議委員、1508年にサン・ルカ画家組合の負債を清算、1510年没・オニサンティ教会に埋葬 となっています。晩年に困窮したのは絵が売れなくなったためであり、レオナルドやミケランジェロが活躍し始めるような時代にはボッティチェリの絵は時代遅れになったのでしょう。神秘の十字架は1500年頃の作品だと思いますが、この絵のフィレンツェの景観が別荘付近から見たものであり、晩年は困窮して結局この別荘を手放すことになっただろうと想像すると、この絵に描かれたフィレンツェの景観が一層感慨深いものに思えます。

なお、私が30年ぐらい前にフォッグ美術館へ行った時は、この絵は普通に展示されていましたが、最近行った人の話では絵の状態が良くないため、保存上の問題から展示されていなかったそうです。期間を限定して公開しているのかと思いますので、将来もし行かれるなら、そのへんをよく確認されてから計画するのがよいかと思います。
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ありがとうございます。 ()
2018-07-25 21:24:42
むろさん 様

いろいろと教えていただき、ありがとうございます。

《神秘の磔刑》の背景のフィレンツェの街並みは、ボッティチェリが所有した別荘付近からの景色なのですね。この絵の見方が変わってきそうです。ベッロズグアルド丘は、初めて知る地名ですが、ネット検索すると、フィレンツェ中心街から車で10分ほどの近距離で、かつ、自然豊かな絶景の場所のようですね。丘からフィレンツェを望む写真もありましたが、確かに絵に描かれた街並みどおりですね。

絵について、フォッグ美術館のサイトを見ると、展示部屋が記載されていましたので、今時点は期間限定公開中なのでしょうか。私自身としてはまずはフィレンツェ再訪を実現したいところです。
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塔のあるホテル (むろさん)
2018-07-30 00:32:51
私もベッロズグアルドという地名は初めて知りました。ネット検索して出てきた風景の写真をミケランジェロ広場の上から見た景色と比べると、SMデル・フィオーレとヴェッキオ宮の位置関係が逆ですね。ボッティチェリゆかりの場所なので、この次にフィレンツェに行った時には訪ねてみたいと思います。作品を見るだけでなく、こういう場所に行くのも楽しみの一つであり、初めてフィレンツェに行った時にも、ウフィッツィとオニサンティ(書斎の聖アウグスティヌスとボッティチェリの墓)だけは最優先で行ってきました。(その後行った時にもオニサンティ周辺でボッティチェリの家や隣家のヴェスプッチ家を探してみましたが、手がかりはありませんでした。)

さて、今回「ベッロズグアルド」をネット検索したところ、塔のあるホテル(Torre di Bellosguardo)がヒットしました。宿泊料金がかなり高いようなのでちょっと無理ですが、以前泊まった街中のTorre=塔のあるホテルがとても素晴らしかったのでご紹介します。今まで5回ぐらいフィレンツェに行きましたが、宿泊はいつもシニョリア広場などに近い観光に便利な場所に取るようにしています。その中で最も良かったのが、5年前に泊まったHotel Torre Guelfa というところです。アルノ川に近いサンティ・アポストリ教会のそばで、シニョリア広場まで数分、建物は13世紀ぐらいのもので、家族的な雰囲気のホテルでした。素晴らしいのは塔の上からの眺めで、左にSMデル・フィオーレ、右にヴェッキオ宮がすぐ眼の前に迫り、特に夜はこれらをライトアップしていて、塔の上で飲み物などの注文もできます。私は毎日朝と夜に塔の上に登って景色を眺めていました。次に行った時もまた泊まりたいと思っています。よろしかったら是非どうぞ。
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フィレンツェのホテル ()
2018-07-30 22:12:57
むろさん 様

コメントありがとうございます。

私がフィレンツェを訪問したのは20年以上前のことです。ホテルは旅行会社でこれしか取れないと言われた中央駅すぐ近くの三つ星ホテルでした。施設が安っぽくて古めであったことはともかく、車の走る音が一晩中大きく響き続けるのには参りました。
三つ星は当たり外れが大きい。これに懲りて、次の旅行(ローマ、ナポリなど)からは、予算の許す範囲の四つ星以上の評判のよさそうなホテルを選び、ネットで直接予約するようにし、それからは特段の失敗はありません。
今度こそ素敵なホテルに泊まる。フィレンツェ再訪時に実現したい項目の一つであることを、むろさんのコメントで思い出しました。いつの日になるか分かりませんが、ご推薦いただいたホテル(場所も雰囲気も良さそうですね)も最有力候補の一つとさせてもらいます。
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