東京でカラヴァッジョ 日記

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琉球絵画の美人画 ー 琉球 美の宝庫(サントリー美術館)

2018年07月27日 | 展覧会(日本美術)
琉球    美の宝庫
2018年7月18日〜9月2日
サントリー美術館

 
本展の章立て
 
第1章   琉球の染織
第2章   琉球絵画の世界
第3章   琉球国王尚家の美
第4章   琉球漆芸の煌き
エピローグ   琉球王国の記憶
 
 
   以下、私的に一番楽しんだ第2章「琉球絵画の世界」について記載する。
 
 
   琉球王国の絵画は、第二次世界大戦により多くが失われてしまったため、その全容は謎に包まれているという。
 
   本展では、近世琉球期(1609-1879)の琉球絵画がまとまって紹介されている。現存する優品の大半が出品、と言ってよいのかも。
 
   ぱっと見、よくある中国絵画や日本絵画と変わりのない琉球絵画。私が勝手に想像する南国らしさは感じられない絵画。
 
   首里王府には、国際的なネットワークを通じて中国や日本絵画の優れたコレクションが集められた。
   また、琉球の絵師たちは、薩摩藩の絵師のもとで修業したり、王府の派遣により中国・福州で学んだり、あるいは、そういう経歴を持つ絵師のもとで修業し、王府の貝摺奉行所に所属して、あるいは貝摺奉行所に属さずに王府直属のお抱え絵師(宮廷画家)として活躍した。
 
   なるほど、そういう背景があるので、変わりがないわけだ。東アジアの一王国として中国や日本などと対等にやっていくという決意が、絵画にも表れているのだなあ。
 
   などといい加減なことを思いつつ、山水画や花鳥画や交易港図屏風を見ていく。
 
   人物画になるとちょっと違う。基本フォーマットは同じかもしれないが、肖像画もちょっと違うし、美人画もちょっと違う。明らかに違うではなく、ちょっと違う。容貌によるものかもしれないが、服飾によるものかもしれない。
 
 
   以下、気になった美人画3点。
 
 
《うやんまあの図》
泉川寛英(慎思九)筆
一幅
第二尚氏時代、19世紀
沖縄県立美術館・博物館
 
   仲睦まじく肩を寄せあう男女。男の右手は傘を持ち、左手は女性の肩にある。
   男性は、首里王府から八重山に赴任した役人。女性は、現地妻として役人の世話をする「うやんまあ」。女性の衣装は華やかだが、その簪は身分が低いことを示しているという。ひょっとすると、江戸絵画における遊廓の女性のような役割を琉球絵画では「うやんまあ」が担っているのか、と勝手な想像をする。
 
 
《傘をさす婦人の図》
島袋宗展(張長荘)筆
一幅
第二尚氏時代、19世紀
一般法人  沖縄美ら島財団
 
   この絵の女性は、首里士族の貴婦人。付き人の老婦を連れて歩く。先の絵の女性の簪は、この貴婦人の簪と柄が異なり、付き人の簪と同じ柄である。
 
 
《琉球美人》
絵画:作者不詳
六曲一双
第二尚氏時代、19世紀
一般法人  沖縄美ら島財団
 
   王女クラスから下級士族の婦人まで6人の女性が描かれる。服装や簪や指輪の材質で身分の違いが分かるとのことであり、琉球の服飾を知る貴重な絵画資料でもあるよう。ただ、私には区別できない。簪の柄や指輪無から、この人がたぶん下級士族の婦人だろうと推測。容貌上の上下関係はないなあ、みんな平民ではないからね、と勝手な想像をする。
 
 
 
   第2章は、琉球絵画や手本とした中国絵画以外に、琉球の異国情緒に着目する日本の絵画も展示されている。
 
   一つは、琉球使節を描いた絵画。
 
   琉球使節は、琉球国王が徳川幕府に派遣した使節であり、徳川将軍の代替わりを祝う「慶賀使」と、琉球国王の即位のときの「謝恩使」と、合わせて18度行われた。薩摩藩の警護団とともに、薩摩藩を経て、瀬戸内海を抜けて、大坂に行き、東海道を通るルートであった。薩摩藩の意向で、中国風の行列に仕立てられたという。
 
   もう一つが、1756年に中国で刊行され、1831年に和刻本が刊行された『琉球国志略』の風景図から8点を版画にした葛飾北斎《琉球八景》。
 
   北斎は、原画そのままではなく、月・船・雪を加えているとのことだが、南国らしさは感じない。本版画は前後期4点ずつ展示される。
 
 
 
   第2章の琉球絵画等の作品は、前後期でほぼ全点入れ替わる。
   初めて触れる琉球絵画の世界、これは後期(8/8〜)も行かざるを得ないなあ。
   行くなら、本展のメインビジュアルを担う、国宝《玉冠(付簪)》が登場する8/22以降だろうか。
 
 


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