投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

民具が語る日本文化(1)

近畿民具学会10周年記念刊行物。

「民具が語る日本文化」 河出書房新社(1)

1986年6月29日に開催された講演とシンポジウムが元となっている
1989年5月15日刊

・民具への道  岩井 宏實
・粉の文化史から見た民具  三輪 茂雄
・手織機の東西差  角山 幸洋
・やきものへの視点  神崎 宣武
・ヨコヅチをめぐって 渡辺 誠
・在来民具の再生と継承  岩井 宏實
・対談 日本文化の東西差と民具 佐々木 高明・神崎 宣武

箸のはなしのつづき。
http://blog.goo.ne.jp/k-74/e/c39c4ef8741d35f30233e83f95ddff11

朝鮮では一般的に食事で使用される匙(サジ)が何故日本も含めて根付かなかったのかについて知りたくて読んだ本。

正倉院の遺物に匙(サジ)があるから日本にも当然そういう習慣は入ってきていたということは私の前提知識としてあった。朝鮮半島で遺物として出てくる匙は、韓民族の遺跡ではなく楽浪郡・帯方郡等のシナ人の遺跡から出てくるということも知識としてあった。

私の親戚に台湾人がいるのだが、彼らは匙を一般的に食事で使わないということも知った。炒飯も箸で食べる。もう少し正確にいうと「匙」には「飯匙」と「湯匙」があって、中国人は「湯匙」は使うが「飯匙」は使わない。「湯匙」とはスープ用のスプーンのこと。中国人は匙を使うだろうと思っていたが、普通使わないのだ。朝鮮で一般的なのは飯匙。

何年か前に今現在の中国の重慶の風景を取り扱ったフィルムを観たことがあるのだが、そこの人々が日本人と同じように箸で椀・碗から飯を口にかき込むのを見て、新鮮な衝撃を受けた(笑)。

何で朝鮮半島だけ飯匙が残ったのかということを、どうしても自分として納得したくなり、暇に任せて本を漁りはじめた。

朝鮮人(韓国人)に言わせると「箸の使い方は倭人に教えてやったが、匙の使い方は教えてやらなかった」と言うことらしいが、そんなわけは無いだろう。まあ日本人が使わない理由はそれでも良いのだが、何で朝鮮人が使い続けるのかが分からない。とりあえず事の発端から考えようと思った。

・・・という理由で、かなりの本を漁った時の一冊。今までここに書いたものの中にも、この時に読んだものがある。最初は「匙」と朝鮮を結びつける本はないものかと探していたのだが、そのような都合の良いものは見つからなかった。あったとしても「箸の使い方は倭人に教えてやったが・・・」のような類でしかない。ならばもっと本質にせまって(笑)やろうということで探した。

ざっとこの本に目を通した後、主に読んだのは「粉の文化史から見た民具」。書き綴ったメモはここに関してのものになる。

朝鮮半島で遺物として出てくる匙の始まりは、韓民族の遺跡ではなく楽浪郡・帯方郡等のシナ人の遺跡からということでシナの食文化から見た。シナの食文化といっても多種多様なんだろうが、朝鮮半島と根元でつながっている地域に限定すれば良いし、時代は楽浪郡・帯方郡のあたりだから時代区分も限定できる。

シナは「粉食と粒食」に分かれる。つまり「穀物を粉にして食べる地域」と「粒のまま食べる地域」に分かれるというのは良く知られていることだが、それは今の話であって過去そうであったというと否である。シナ全域に「粒食」の時代が長くあって、その後に「粉食」の習慣がシステムとして入って定着する。それは西域から小麦とともに入ってきた。日本に稲が入ってきたのと同じように、シナに小麦の栽培から加工・食事の方法まで一緒に入ってきた時代がある。

その一つの技術がウス。穀物を粉にする技術。ちゃんと言うとミルストーン。

穀物を粉にする技術が大そうなものなのか?とお思いの方は、粉を使って作る食品を主食とする生活になったとして、毎日食べるパンやうどんの粉を手でひくことを想像してほしい。気が遠くなるような作業になるはずだ。日々の暮らしは粉挽きで終わってしまう。そんな悠長な暮らしはできやしない。

この本の「粉の文化史から見た民具」には、粉挽き用のウスの種類と構造・伝来について書いてある。シナのシステムとしての小麦の栽培導入については詳しくは触れていないが、漢の時代のウス、唐の時代のウスについての記述がある。

以下メモより。

--↓---------------------------------------

臼:遺物 12000年~9000年前
     イスラエルのナトウフ遺跡

パウダーテクノロジー 

ウスの種類
 ・サドルカーン  :サドルに跨るようにして使うウス
           エジプト~朝鮮半島 日本には無い
 ・ロータリーカーン:回転するウス
           西暦紀元元年前後 ヨーロッパか全土、中国、朝鮮に
           小麦の伝播とともに広がった

ローマでは4世紀にミルストーンあり
 ・ミルストーンとはロータリーカーンの一種、人力以外の動力で粉を挽く機械

中国では漢の時代にロータリーカーンあり 使い方は不明
    唐の時代に碾磑の記録あり ← ミルストーンか?

--↑---------------------------------------

■パウダーテクノロジー

粉挽きの技術はパウダーテクノロジーというそうで、現代でも一級の技術のようだ。鉱物・金属を粉にするのもパウダーテクノロジー。

この技術には繊維技術も関係するそうで、その織物とシルクロードとを関係させている記述もあった。この辺の基礎技術はなかなか廃れないし真似もできないようで、長い間スイスの繊維業界の独壇場とのこと。

■サドルカーン

またがって使うウス。長方形の板状の石の上に穀物等を置いて、円柱形の石の両端を手で持って擦りつぶす。またがって使うからサドルの名前がある。日本にも似た様なものは縄文時代の遺物として出てくるが、大きさが小さいのと板状の石の磨り減り方が中心部に片寄っているらしくサドルカーンとは認められていない。つまり日本は大陸と無関係ということ。

■ロータリーカーン

回転するウス。日本最初のロータリーカーンは抹茶を挽く道具らしい。茶道具として入った。日本は粉食の世界とは遠い位置にある。

■中国では漢の時代にロータリーカーンあり 使い方は不明

漢の時代でさへ粉食ではなかったということ。粒食の時代。米ではない。小麦も入っていない。つまり粟(アワ)や黍(キビ)が主食なのだ。唐でさへミルストーンに?マークがついている。つまりまだまだ粒食の時代なのだ。楽浪郡・帯方郡も粒食。粟(アワ)や黍(キビ)を食べていた。煮ても蒸しても米のように粘り気は無くホロホロした穀物だ。手でつかむかヘラですくうかして食べる。これが上品になって匙になる。

三国志魏志韓の条には帯方郡の周りをうろつく韓人や倭人が書かれている。彼らは「家は塚の如し」と書かれているから、地面に穴を掘って木と草で蓋をしたような家に住んでいたことだろう。そんな連中が帯方郡から匙を使って食べる作法を真似たんだろうね。

■日本のミルストーン

あまり興味はなかったので日本に関してのメモはないが、本の題名が「民具が語る日本文化」であるから「粉の文化史から見た民具」も、日本へのウスの伝来と技術に関して話は進む。ミルストーンは日本には水車小屋が一般的になるまでなかった。これはつい最近である。


続く・・・・。
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