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「弱者」とはだれか - 小浜 逸郎(PHP研究所)

「弱者」とはだれか (PHP新書)
小浜 逸郎
PHP研究所

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PHP新書
1999年8月4日第一版第一刷

著者は小浜逸郎。1947年横浜市生まれ。横浜国立大学工学部卒。評論家。「オウムと全共闘」「無意識はどこにあるのか」「大人の条件」「この国はなぜ寂しいのか」などの著作がある。


あの有名な「部落出身の女教師と部落出身の女生徒の話」が載っている本。


以下メモ。

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P44 差別構造を強化しているものは

障害者には、均質の同情や称賛が自分に集まることで、自分は「社会的弱者」一般というカテゴリーに属するのだという意識が絶えず呼び覚まされることになる。ある人にとっては、これはかえって甘えや依存を強くする可能性があるし、また別の人には「バカにされ、特別視されているようで、かえっていやだ」と感じられることだろうこのように逆らえない心情に訴えて、集団的な境界線や距離感を社会的な規模で組織化し、再生産する試みこそ、まさにイデオロギーの働きといえる。結果的にそれが、むしろ差別構造を強化するように思えてならない。

P91 現代社会は過剰配慮社会

日常生活での無関心の支配と裏腹の関係にある、カテゴライズされた対象を福祉や社会参加の課題としてあげれば、他には何もしなくていいような顔をしている。

P103 寺園敦史「だれも書かなかった部落」かもがわ出版 1997

京都市同和行政養育費支給について。金沢医科大学に進んだ男子学生には1987年の入学以来7年間で2395万円の支給があった。医学部だからではない。小学校から大学、各種学校、運転免許に至るまで、費用が支給される。

P121 部落史の罪

近代以前の特定の人々への卑賊視や特別視は近代以降の差別とは単純に連続していないはず。その社会構造的な意味が異なっている。同じ人間がつながっているわけではない。

そこにあえて連続性を見出そうとする意図は、結果的に部落民の伝統なるものを虚構し、部落民とそうでない人たちとの相容れない関係という観念を固定化させることになる。

畑中敏之「あなたの祖先の身分を質問することが差別だと言う考え方に立つならば、部落史の概説書のほとんどは差別図書になり、同和教育や解放教育のほとんどは差別教育になる。しかし全く逆の評価を受けて、あなたの祖先の身分は何ということは堂々と通用している」

部落の起源から書き始めて、それが近世、近代、現代へと続いていくと捉えること、これはどう考えても部落民というまるで特別の人たちがずっと存在していて、それに対する差別がその時代、時代にありました、という理解になるのではないでしょうか。それはあきらかに間違いなのですが、今もこの泥沼から抜けきれていない。

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