もう様式美ですね。決めの台詞がビシッと決まってますね(笑)
【コラム】日本のヒノキと韓国の松 ソウルのシンボルだった国宝第1号の崇礼門(南大門)が焼け落ちた事件は、韓国の恥を世界にさらすことになった。だが、もっと恥ずかしいのは、崇礼門を再建するのに使う松の木を探すのが困難だということだ。韓国は国土の3分の2を山が占める国。その山に生えている木のうち、4本に1本は松の木だ。にもかかわらず、崇礼門を再建するのに使うまっすぐな松の木がないというわけだ。 樹木学者の全瑛宇(チョン・ヨンウ)国民大教授に、日本の実情について聞いてみた。全教授からは「(韓国の状況は)実に恥ずかしい」という答えが返ってきた。日本とは比べものにならないというのだ。全教授は数年前、長野県の山岳地帯にある木曽地方のヒノキ林を訪れた。樹齢が200‐300年にもなるヒノキの木からほとばしる香りが、全身を濡らすような感覚にとらわれたことが今でも忘れられないという。日本では樹齢300年を超えるヒノキを「大径材台帳」に登載して管理している。そんな「大径材」が木曽地方には密集しているという。 日本の神社・仏閣や皇居の建物などはヒノキの木で建てられている。ヒノキは材質が緻密(ちみつ)な上、柔らかいため加工がしやすく、また香りがよく光沢も美しい木だ。皇室の祖先を祀る三重県の伊勢神宮は、690年以来、20年ごとに古い社殿を壊し、その隣に同じ形の社殿を建ててきた。現在、2013年の完成に向け、62回目の建て替えに向けた行事が行われている。この建て替えに使うヒノキを切り出す行事が、05年6月に木曽地方の上松町で行われた。当時、東京・上野駅から上松町へ向かう特別列車が運行されるほど、多くの人々が行事を見守った。 日本では木曽ヒノキは「御神木」と呼ばれる。法隆寺や大阪城も木曽ヒノキで建てられた。1657年に江戸で発生した大火の後には、江戸の街の復旧に使い過ぎたため、木曽ヒノキが全滅しかけたことがある。それ以来、日本ではヒノキを許可なく伐採すれば厳罰に処せられた。「ヒノキ1本は人一人の命と同じ」という言葉が生まれるほどだった。1665年には木曽ヒノキを守る役人が94人もいたという記録が残っている。以来、350年以上にわたって木曽ヒノキを保護してきたおかげで、皇居の建物や神社・仏閣を建てる際の材木の調達に関しては、何ら心配することはないのだ。 そんな日本のヒノキよりも、韓国の松は優れている。松もまた、ヒノキと同じように柔らかく、しかも丈夫な木だ。また、松の木に含まれる松脂は防腐剤の役割を果たすため、腐敗することもない。数年前に景福宮の復元工事を行った際、勤政殿を解体したところ、4本の大柱のうち、松の木を使った1本の柱は無傷だったが、モミの木を使った他の3本はひび割れて使えない状態だったという。 1960年代初めに行われた崇礼門の補修工事に携わり、景福宮の復元工事でも陣頭指揮を取った大工のシン・ウンスさんは、松の木を使うことにこだわっている。だが、十分使えるだけの松の木を確保するのは、そう簡単なことではない。勤政殿の解体修理の際も、ひび割れたモミの木の柱の代わりになる韓国産の松の木を入手できず、結局米国産の松の木を使った。また昨年、光化門の再建工事に使う金剛松を入手するため、春から初冬まで白頭大幹(太白山脈と小白山脈)の一帯を探し回り、ようやく26本見つけることができたという。焼け落ちた崇礼門を復元するためには松の木が56本必要だ、とシンさんは説明する。だが、この松の木をどうやって入手するかが問題だ。 シンさんは15年前から、江原道旌善郡、江陵市の一帯にある松林を買い取ってきた。石炭公社などが競売にかけた松林を購入したのだ。これまでに購入した松林は数十万坪にもなる。後で値段を吊り上げて売るつもりなら、道路沿いの林を購入したことだろう。だが、シンさんはほとんど使われることのない山奥の松林を購入してきた。松林の価格も1坪(3.3平方メートル)当たり1000ウォン(約113円)から2000ウォン(約226円)と安いものだ。シンさんはそんな松林で代を継いで松の木を育ててみようと考えたのだ。 木は工場で物を作るように素早く作ることはできない。100年、200年という長きにわたって管理しながら育てていかねばならない。国家の文化財に使う木は、当然国家が責任を持って育てていくべきだ。その責任を個人に負わせようというのでは話にならない。 韓三熙(ハン・サムヒ)論説委員 朝鮮日報/朝鮮日報JNS http://www.chosunonline.com/article/20080222000067 http://www.chosunonline.com/article/20080222000069 |
>そんな日本のヒノキよりも、韓国の松は優れている
カッコいいですね。さすが論説委員です(笑)